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1.まえがき
2.事業のあらまし
3.事業の概要
4.地域の概況
5.事業計画
6.水源計画

1.まえがき



 本事業は畑地かんがい1,015ha、田畑輪換136.7ha、既成田1,483.7haのかんがい用水供給のため、鏑川の支川、南牧川に南牧頭首工を、鏑川と南牧川合流点下流に下仁田頭首工を新設、また既設中村堰を改修し幹線水路30.3kmを新設、改修して地区内への導水を図り、幹線水路の途中に大塩、竹沼貯水池を新設するほか、既設丹生(にゅう)貯水池を改修し、河川の豊水時に貯水し、渇水時に不足水量を補う計画である。
 また、地区の最末端にある中村堰には伏流水の取水施設を新設して用水を補給する計画である。
 付帯事業として県営、団体営事業が行われ、これによって、既成田の干ばつを解消するとともに、畑地かんがいと陸田方式の田畑輪換とにより、要求に応じた農業生産性の向上を図るものである。
 昭和28年調査開始、昭和34年工事着工したが、途中昭和35年4月~37年1月まで中断し、昭和45年完成を迎えた。事業費は、3,230,000千円。受益面積は2,635.4haである。
農業用水を確保した貯水池

竹沼貯水池 (出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)
大塩貯水池(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)

丹生貯水池(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)


2.事業のあらまし



 事業地域は群馬県の西南部甘楽(かんら)、多野両郡にまたがり、妙義山の東南を流れる利根川水系、烏川の支流鏑川の沿岸に広がる洪積層の台地及び沖積層の平地地帯で、南は関東山地の北縁にあたる山地や丘陵を成して北は標高200m前後の丹生丘陵、岩野谷丘陵に囲まれ上、中、下三段の段丘を発達させている河岸段丘地帯である。
 そして、南岸にある上段の段丘は、東は小幡付近から西は北原まで東西にわたって分布するが、長い間の侵蝕のため丘陵状になっていて、10mもの厚さの礫層の上にローム層や表土が薄くのっているので、主として畑として利用され桑、こんにゃく、さつまいも、とうもろこし、たばこ等が栽培されていた。上段と下段の段丘は3mから10mくらいの段丘崖で境されており、下段の段丘面は幅広く利水の方法があれば水田開発も可能なところで、慶長年間(1603年頃)溝口伊豆守が当地に陣屋を構えたとき農民の営農を考慮して4kmの溝を掘り鮒川(またの名を舟川)の水を引用し畑地かんがいを試み、次いで元禄6年(1693年)畑地を水田として 100haのかんがいを行っていた歴史がある。
 しかし本格的な地域農業として今日に及んだのは、慶長年間(1610年)、農業の先駆者として中野七蔵なる者が幕府の士として3千石を領し、一時南牧に居住した後下仁田に移り、その後一の宮に住み田畑を開き農業開発に貢献した記録があり、これが富岡地区の開田の基礎を作った。
 また明治維新前の富岡は旗本領であり、曽木村は七日市藩の所領であったため、七日市藩は水源を丹生の谷川に求め、用水堀を設け曽木村の山畑かんがいをすると同時に富岡の排水溝ともなっていたようである。
 上述のように、部分的な引水方法をもった農業水利を行っていた。その後耕作地域も拡大し遂次今日の農業へと進展してきたので、一戸当たりの平均耕作反別は0.85ha、水田率は33%と畑作中心のいわゆる低位生産地帯であった。
 本来鏑川の水量は南牧頭首工地点で1.3トン、下仁田頭首工地点で1.6トン、中村堰地点で2トン以下であったため満足な水量を確保できず、下流部の八幡堰、中村堰においては特に水の不足をきたし、代かき時において水騒動を生じることが古来より度々であった。
 上述の状況において、本川による取水利用は上水道、農業用水を含めて20余の既得水利権者があるが、水の効率的利用と近代技術の水利事業による開発がこの地域の課題であった。このような実情が地域農民の必然的な強い要望となり、昭和27年1月、関係26町村による国営の土地改良事業を実施すべく鏑川期成同盟会が発足し、昭和28年6月、農林省は直轄調査を開始、昭和31年3月調査を完了、計画を樹立するに至った。


3.事業の概要



 本事業地域は群馬県の西南部に位置し、甘楽、多野両郡にまたがり、妙義山の東南を東流する鏑川(利根川2次支川)沿岸に広がり、沖積、洪積地帯でその関係市町は富岡市、藤岡市、下仁田町、甘楽町、吉井町、新町の2市、4町にわたる農耕地2,635.4haである。
 本地域における洪積地帯の高位・中位段丘面の農業経営の主体は畑作で低位生産地帯であり、本地帯の開発を図るため鏑川の水利用を高め、併せて既成田の用水を確保する等の施設の整備を行うものである。
 本事業は畑地かんがい1,015ha、田畑輪換136.7ha、既成田1,483.7haのかんがい用水供給のため、鏑川の支川、南牧川に南牧頭首工を、鏑川と南牧川合流点下流に下仁田頭首工を新設、また既設中村堰を改修し幹線水路30.3kmを新設、改修して地区内への導水を図り、幹線水路の途中に大塩、竹沼貯水池を新設するほか、既設丹生貯水池を改修し、河川の豊水時に貯水し、渇水時に不足水量を補う計画である。
 また、地区の最末端にある中村堰には伏流水の取水施設を新設して用水を補給する。なお、付帯事業として県営、団体営事業が行われている。これによって、既成田の干ばつを解消するとともに、畑地かんがいと陸田方式の田畑輪換とにより、要求に応じた農業生産性の向上を図りつつ、総合的食料生産による農業経営の近代化が期待できるほか、農家雑用水及び防火用水等その他の効用は大きく、ひいては鏑川沿岸地域の社会経済開発につながるものである。


4.地域の概況



1.地域の気象

 本地域は比較的高い山岳に囲繞され、遠くは上越国境の諸山及び八ヶ岳連峰に包囲支配されている。平年気温は13~14℃で温暖であるが、冬期日本海方面からくる北西風が甚だ強く、上越国境を越える間に多量の雪を降らして本地方に吹き入る。冬期における天候は概して晴天が多くまた降雪も少なく、12月〜3月の降雪は約10日である。
 夏期における気温は比較的高く21〜23℃で、8月が最高を示し、日照も著しい。
 降水量は年間1,200 〜 1,500mmくらいで降水日数は 120 〜 140日、下仁田上流鏑川流域は県内の多雨地であるが、富岡、藤岡地方は寡雨地帯に入る。

2.水利状況

(1)水 源
 鏑川は長野、群馬県境の八風山、物見山に発し、本宿にて熊倉峰より源を発する市野萱川を合わせ、曲折し途中小坂川を合わせ、下仁田町川井で南牧川を流入させる。南牧川は長野県南佐久郡佐久町に水源を発する熊倉川、星尾川をはじめ諸渓流を合流し、紆余曲折、甘楽郡南牧村をとおり下仁田町跡倉で青倉川を合流後鏑川に入る。さらに南牧川を合わせた鏑川は蛇行しつつ東流大小十数の支川を合わせて、高崎市阿久津市内(旧八幡村)にて烏川に注ぐ。その流路延長は約55km、流域面積は637.73km2である。 

(2)河川の現況
 本川及びその支川のほとんどは第三紀丘陵及び段丘面を深く刻み、各所に基盤が露出し、河床からの比高は10~20mである。しかしながら本流は多野郡吉井町を過ぎて比高は漸減し、鮎川合流付近においては2~3mになる。河床勾配は1/50〜1/200、河巾は20~400mで、鮎川合流点下流は平野部河川の形態を備えてくる。
 本川の河床は極めて低く、川岸は崖状をなしているため、上流甘楽郡においては直接取水が困難であり、かんがいの適地はほとんどなく、多野郡内にて直接取水するものは中村堰ほか2ヶ所及び揚水機11ヶ所を数え、そのかんがい面積は683.1haで本川の利用度は極めて低い。

(3)用水状況
 鏑川は群馬、長野県境よりその源を発し、数多の支川を集めて東に流れる本地域唯一の重要河川であるにもかかわらず、極めて低位部を流れるので利用度は低く、水田は下位及び中位の一部段丘に限られている。本川の水を利用するものは下流中村堰ほか2ヶ所546.1ha(うち受益地域に含まれるものは中村堰1ヶ所317.1ha)及び、12ヶ所の揚水機によりかんがいする137.0ha(うち受益地域に含まれるものは3ヶ所67.3ha)のみで、他の既成田は支川から取水、あるいは無数の小ため池等を水源としてかんがいしている。その面積は約1,600ha(うち受益地域に含まれるものは1,099.4ha)である。鏑川に水源をもつ地域は、鏑川の渇水流量に比べ鏑川本川の水利用が少ないため、干ばつ時といえども用水不足はあまりないが、支川ならびに小ため池、天水等にたよっている地域は干ばつを受けることがしばしばである。


5.事業計画



1.計画の要旨 

 本地域の水田はその大部分が下流低位部の平担地にひらけ、鏑川の流量が乏しいのと相まって、高位部の開発を著しくはばんでいる。ここにおいて鏑川の流量を高度に利用し、上下流の水利、既成田の用水を確保するとともに、田畑輪換及び畑地かんがいを行い地域内の生産性の向上を図り、農業経営の改善近代化に資するため次のような計画を樹立する。
 鏑川支川南牧川の下仁田町宮室地先に堤高4.50m、堤長28.691mのコンクリート固定堰を設置し、最大取水量2.00m3/sを右岸に取り入れ隧道で南牧川沿いを東流し、途中青倉川、栗山川を水路橋で渡り、第1号分水工に至り南1号幹線水路に接続する。この区間を南牧導水路と称し延長3,094mである。
 南1号幹線水路は導水路の水を受け東に向かい、下仁田町旧馬山村横瀬給及び鎌田を経て富岡市(旧額部村)中井に至り、野上川をサイホンにて横断し、岩染を経て澗沢川をサイホンで横断、富岡市(旧須部村)大塩地内に新設する大塩貯水池に流入する。この間の延長は8,951mでありかんがい面積は190.5haである。
 大塩貯水池は大塩集落の上流谷間を締め切る土堰堤(均一型)で、その規模は堤高31.90m、堤長250.79m、総貯水量1,841,000m3である。大塩貯水池の貯水の一部は直接富岡市(旧額部村、旧黒岩村、旧小野村)292.6haをかんがいするほか、同池は渇水時に南2号幹線水路及び竹沼貯水池の不足量を貯水調節するものとする。
 南2号幹線水路は大塩貯水池より始り、甘楽町(旧小幡町)国峯、城の集落を経て轟地先に至り、雄川をサイホンで渡り、雄川用水等に用水補給し、甘楽町(旧小幡町)上野(旧新屋村)上引田を経て田口地先で天引川を横断、安坪地域にその一部を分かち、吉井町(旧多胡村)東谷で大沢川をサイホンで渡り、牛伏山の北端をとおり、小河川を渡り、吉井町(旧入野村)中組上流で、土合川をサイホンで横切り、藤岡市(旧平井村)緑埜に新設する竹沼貯水池に流入する。その区間を南2号幹線水路とし延長は15,244mで、かんがい面積は991.4haである。
 竹沼貯水池は、貯水量43,000m3のため池の堤塘敷(ていとうじき)に新設する土堰堤(均一型)である。規模は堤高27.40m、堤長215.0m、総貯水量1,034,000m3、吉井町(旧入野村)及び藤岡市(旧平井村及び旧美土里村)一帯の324.2haがかんがい面積である。
 鏑川左岸地域は、水源となる下仁田吉崎地先に堤高4.5m、堤長64.25mのコンクリート固定堰を新設して、最大取水量0.7m3/sを取水し、取付水路581mを新設し、現甘楽野水甘楽幹線に接続させる。
 幹線水路は通水断面の拡大ならびに素掘隧道分の改修延長2,418mで、かんがい面積は265.2haである。 甘楽幹線水路より流入する既設丹生貯水池は土堰堤(中心刃金式)で、漏水が甚だしく計画貯水量を確保できないので、漏水防止ならびに法面保護工等を行い貯水量1,447,400㎥を貯水する。
 同池のかんがい面積は254.5haであるが、下流中村堰に対する涵養水源ともなっている。本計画地区の最下流にあり、鏑川より既設の堰で取水している中村堰の現況の水路は老朽化し、漏水が多い。また堰は、堤体ならびに水叩き床止工等、相当破損しており、取水効率が非常に悪く、加えて本地点は扇状地で河川流は伏流しやすい状態にあるので、取水確保のため改修するとともに、渇水時には伏流水を取水できるように集水暗渠(内経φ500〜800、延長575m)と揚水機(揚水量0.265m3/s、 口径φ350、45kW2台)を新設して中村堰の取水確保を図るもので、中村堰の最大取水量は1.944 m3/s、かんがい面積は317.0haである。

2.事業別面積


3.営農計画の概要

 本地区は農山村畑地帯で、その受益地区の約30%が水田にすぎず、また1戸当たり耕地面積は約78aと狭小であるうえ水田は常時干害を受けやすい。従って鏑川の流水を高度利用することにより、既成田への用水補給を行うとともに田畑輪換・畑地かんがいを行い農業経営の安定を図るものである。

土地利用区分


 関係市町(下仁田町、富岡市、甘楽町、藤岡市)4市町の経営耕地面積については、昭和40年の経営耕地面積は、1haまで73%、1~3haは27%で、3haを超える農家はなかった。  
2 020年の経営耕地面積調査では、1haまで63%、1~3hはa28%、3~5haは5%、5ha以上4%となっている。100~150haの経営規模に1農家を確認できる。
 規模拡大は本事業により貯水池等の農業用施設が整備されたことによる。


6.水源計画



 主要工事計画 施設の概要

1.貯水池の概要


2.貯水池の工事

(1)竹沼貯水池の工事と完成
施工中の竹沼貯水池
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)

竹沼貯水池入口
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)
完成した竹沼貯水池
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)

(2)大塩貯水池の工事と完成

クラムシェルによる仮排水路掘削
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)
床掘
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)

上:ドラグショベルによる床掘作業
左下:工事中の余水吐
右下:完成した大塩貯水池
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)

完成した大塩貯水池
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)

(3)丹生貯水池の工事と完成

改修前の丹生貯水池
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)
本堤の改修工事
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)

完成した丹生貯水池
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)


3.用水路施設の概要


 用水路は、上表のように、隧道(トンネル)が多くを占め、また、サイホン、暗渠で構成され難工事であったと工事写真から受け取れる。

(1)南1号幹線水路の工事

南牧導水路 1号水路橋 前方3号トンネル
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p11~p12)
3号開渠
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p11~p12)

4号水路橋
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p11~p12)
6号水路橋
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p11~p12)

5号開渠
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p11~p12)
8号サイホン
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p11~p12)

雪中でのヒューム管敷設
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p11~p12)

8号サイホン水管橋
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p11~p12)


(2)甘楽幹線水路

甘楽幹線水路
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)
改修中のトンネル作業
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)


(3)南2号幹線水路

1号サイホン呑口に設置する余水吐
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p13~p15)
1号開渠
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p13~p15)

2号サイホン
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p13~p15)

上:3号水路橋
左下:1号水路橋
右下:15号開渠
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p13~p15)

13号サイホン呑口
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p13~p15)
16号サイホン呑口
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p13~p15)

21号サイホン工事
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p13~p15)
20号サイホン
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p13~p15)

南2号幹線 現在の開水路
(撮影:柄澤氏)

現在の開水路
(撮影:柄澤氏)
現在の水路橋
(撮影:柄澤氏)



4.頭首工


(1)下仁田頭首工

下仁田頭首工予定地
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)

現在の下仁田頭首工
(撮影:柄澤氏)

(2)南牧頭首工

南牧頭首工
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)
現在の南牧頭首工
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)

(3)中村堰頭首工

改修前
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p19)
鉄筋及び型枠組立
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p19)

固定堰工事中
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p19)
護床工
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p19)

現在の中村堰
(撮影:柄澤氏)
完成当時の中村堰
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集p19)



5.中村揚水機場


集水管埋設工事
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)
有孔ヒューム管φ500~800
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)

完成した中村揚水機場
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)



6.隧道工事

完成したトンネル(1)
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)



完成したトンネル(2)
(出典:国営鏑川農業水利事業完工記念写真集)






参考文献
1.鏑川事業誌(昭和45年)
   :作成:関東農政局鏑川農業水利事業所
   :保存:関東農政局利根川水系調査管理事務所
2.国営鏑川農業水利事業完工記念写真集(昭和45年)
   :作成:関東農政局鏑川農業水利事業所
   :保存:関東農政局利根川水系調査管理事務所


2023年2月1日公開