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上毛の地、渡良瀬川流域の開発 群馬県 ―渡良瀬川沿岸農業水利事業
関東エリア
戦後の国営事業








渡良瀬川と坂東武者



 東毛地域の大規模な開墾は、中央の貴族や豪族が進出してきた平安末期に始まります。荘園開発がピークを迎えたこの時代、中央の荘園領主は、新たに開墾する土地を求め、地方に目を向け始めました。関東平野の中でも、水利条件や平野に恵まれていた東毛地域は、彼らにとって格好の的だったのでしょう。中央からきた荘園領主、在地の豪族らは、競うようにこの地の荘園開発を進めていきます。
 こうした荘園開発により力をつけたのが、新田氏や足利氏といった、後に坂東武士ともよばれた豪族でした。特に新田氏の治めた新田荘は、極めて古くから開発され、平安末期には大規模な荘園を形成し、大きな勢力を持っていたといいます。
 都からの距離が遠いので、その支配が及ばなかったことや、都とつながりを持っていても大きな恩恵は得られなかったことなどから、この地の荘園領主は次第に自立していくようになります。領主は開墾した土地を自ら守るために武装し、独自の支配体制を強めていきます。これがいわゆる坂東武士の起こりです()。
 朝廷と奥州(今の東北)の間でしばしば起こった争いに、兵士として参加した坂東武士は、合戦の中で自然と鍛えられていったのでしょう。頼朝の奥州征討(1189)、承久の乱(1221)六波羅探題攻め(1333)と、歴史の節目とも言える大きな戦には、坂東武士の活躍がありました。そして、後に、「坂東武者1人は、よその武者8人に匹敵する」「武士の本場は坂東(関東)」と言われるほどになります。
 こうした勇猛な武士を育てたのも、豊かな土壌と渡良瀬川の恵みがあったからこそといえるのではないでしょうか。

※・・・ 武士の発生は全国的にほぼ同時期といわれ、その起源については諸説あります。




群馬県 ―渡良瀬川沿岸農業水利事業