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信玄の里は天下一のブドウ王国 山梨県 ―笛吹川農業水利事業
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戦後の国営事業










ぶどう王国



勝沼や 馬子もぶどうを 喰いながら    芭蕉

大善寺
 甲府のブドウは江戸時代から有名だったようで、松尾芭蕉も俳句に詠んでいます。また江戸中期の代表的儒学者である荻生徂徠も「勝沼の宿は、人家多くし繁昌な所、甲州街道で第一番地、甲州葡萄は此国の名物なり」と記しています。江戸時代には「甲州八珍菓」として、ブドウ、もも、りんご、かき、ざくろ、くり、なし、ぎんなんが挙げられるなど、この地域は古くから果物の産地として知られていました。
  甲州におけるブドウの起源としては2説あるそうです。ひとつは「雨宮勘解由説」、もうひとつは「大善寺説」。
  「雨宮勘解由説」は、1182年、上岩崎(勝沼町)の農民であった雨宮勘解由が石尊宮へ参詣した折に、珍しい山ブドウを見つけて持ち帰り、栽培して実生したものが広まったというものです。もうひとつの「大善寺説」は、718年、有名な僧侶の行基が勝沼の地へ来た際、川岸の岩壁で21日間修行したところ、満願の日に右手にブドウを持った薬師如来像が現われたので、さっそく如来像を彫り、大善寺に安置するとともに、村人に法薬のブドウ栽培を教えたという説です。この大善寺は武田家とのつながりも深く、武田勝頼も戦勝祈願をしています。

長田徳本の碑
 大善寺も雨宮勘解由の里・上岩崎の近くにあり、いずれにせよこの周辺が甲州ブドウ発祥の地ということになるのでしょうか。この上岩崎は傾斜地であるため水に恵まれず、極貧の地であったと言われています。このような逆境の地が後に全国一になる特産物を生んだことになります。もちろん、その特産物も一朝一夕にできるものではなく、多くの先駆者の努力によってもたらされたものでしょう。ぶどうの棚架法を考案したのは、武田信虎に医者として仕えた長田徳本(とくほん)であるといわれています。彼は上岩崎で棚架法を考案し、ブドウ栽培に革命をもたらしました。また後年、江戸に赴き、徳川秀忠の病気を治したともいわれています。
  江戸時代には、すでに観光ブドウ園のようなものをつくり、明治になると「観光遊覧ブドウ園」として著名人の間では有名になりました。また明治時代には、町の起業家が2人の地元青年をフランスのボーヌ市へワイン研修に派遣し、ワイン産業を起こしています。
  日本で本格的な米の生産調整(減反)が始まるのは昭和45年。すでにこの地域はその2年前に果樹栽培に徹した「畑地かんがい」の道を選んでいます。こうした歴史が示すように、かなり進取の気性に富んだ地域であったことが分かります。
  しかし、こうした気性も水田の少なさ、つまり山間盆地ゆえの農業条件の厳しさが生み出したものと言えなくもありません。




山梨県 ―笛吹川農業水利事業