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1.はじめに
2.地域の概要と水開発
3.地区の沿革
4.事業の経緯
5.基本計画
6.事業実施後の状況
7.最近の状況
8.おわりに

icon 1.はじめに



(1)位置
 国営南紀用水農業水利事業は、昭和49年度に事業が着工され、平成7年度に工事が完了し、その後施設機能監視制度を適用し平成10年度に事業が完了している。 南紀用水地区がある和歌山県は、紀伊半島の西側に位置し、総面積4,726km2のうち山地が3,632m2と総面積の約77%を占めており、古くから「木の国」と謳われたほど山林が多い 地域である。
 紀伊半島は、アジア大陸の東縁に弓状に連なる日本列島のほぼ中央部にあって、本州中 央部から南側の太平洋に突き出る日本最大の半島であり、西側は大阪湾・紀伊水道を挟んで淡路島と四国に向かい、東側には熊野灘・伊勢湾が広がっており、その背後には紀伊山 地の山岳地帯がそびえ立ち、山並みは絶壁となって海に迫り美しい海岸線を展開している。
 和歌山県の北は大阪府、東は奈良県・三重県に接しており、南は太平洋、西は紀伊水道に臨み、南端の潮岬は本州最南端に位置している。
 北の大阪府境には和泉山脈が東西に連なり、その南側を紀ノ川が西流し、下流に和歌山 平野が広がる。紀ノ川以南の県域の大部分は紀伊山地が占め、高野山付近を除き、おおむね険しい褶曲山地が連続し、北から有田川・日高川・富田川・日置川・古座川などが山地 を刻み、山地が海に迫るため、和歌山平野を除き各河川の河口部には大きな平野はない。 和歌山県・奈良県・三重県の3県にまたがる世界遺産(文化遺産)の紀伊山地の霊場と参詣道(熊野古道)も多くの観光客を集めている。

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南紀用水地区位置図
(南紀用水概要図より)


(2)気象
 和歌山県の気候は、県北部と南部では温度差があるものの、黒潮の影響を受けて一般に温暖で雨量も多く、太平洋型気候を示している。全国的にみても四季の温度の変化は少なく、年平均気温は和歌山で16.1℃、潮岬で16.8℃となっている。特に日照時間の長い県南部地方は、冬に暖かく、夏は比較的涼しい気候を示している。降水量は一般に冬少なく、夏多い型で、県北部の紀の川沿岸では、年間降水量1,500㎜以下の少雨地域となっている。
 しかし県下の3分の2が2,000㎜以上の多雨地域に入っており、南部山岳部と南斜面にある那智勝浦町は、全国でもきわめて降水量の多い地域の一つである。理科年表を調べてみると、全国の日最大降雨量は昭和43年9月26日三重県尾鷲において806㎜/日が記録されているが、田辺の日最大雨量は、901.7㎜/日(M22.8.20)で前日の降雨量368.3/日を加えると2日間で1,270㎜と驚異的な記録が残されている。

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(3)地域の歴史
 日本列島に人類が登場した時期については定かではないが、今から3万年前と言われている。先土器時代の遺跡として有名な和歌山県日高郡川辺町松瀬遺跡から多くの石刀や剥片が出土していることから、和歌山に最初に人が住んだのは今から約3万年前頃といわれている。
 縄文時代は土器の製作、弓の発明、食糧保存の技術開発などの生活を支える食糧資源の開拓と技術開発がされ、弥生時代に入ると紀ノ川沿いや海岸沿いで稲作が始まり、4世紀初めには巨大な経済力と権力をもった豪族が生まれた。
 奈良時代前半には、皇位継承問題に絡んだ政権抗争や天候不順、天災などによる社会経済不安が起こり。これを沈静化するために、諸国に国分寺、国分尼寺を造る詔がだされた。
 平安時代に入ると、地理上の不利と財政難を克服するために熊野参詣の功徳を説いたおかげで、平安時代の中頃から熊野三山(本宮、新宮、那智)の信仰が盛んになった。熊野参詣の特色は、皇族や貴族などの身分の高い人も参ることにあり、宇多上皇にはじまる院の熊野参詣の回数は多数に及んだ。院の参詣経費は、参詣の沿道周辺農民の税でまかなわれ、大規模な院の参詣は農民にとっては大変な苦しみであったが、熊野路の始点である紀伊田辺はおおいに繁栄した。
 安土桃山時代には、豊臣秀吉が紀州征伐を開始し、紀州を平定後、和歌山城を築城し弟の秀長に治めさせた。
 秀吉の死後、関ヶ原の戦いに勝った徳川家康は全国支配の実権を握り、1619年二代将軍の徳川秀忠の時、 徳川家康の第10男の頼宣が55万石の藩主になり紀州藩が徳川御三家となる。第5代紀州藩主となった吉宗は質素倹約に努め、藩財政の再建を進め、紀州の藩政を確立した。このころ、大畑才蔵による紀の川北岸用水の完成、伊沢弥惣兵衛による亀池の築造がされ新田開発が進めれれた。
 明治の時代に入り、1871年(明治4)の廃藩置県により、和歌山県、田辺県、新宮県の3つの県が設置され、同年和歌山県に統合し、数度の県域変更を経て1872年に現県域となった。

(4)地形地質
 起伏に富み、豊かな自然をたたえている紀伊半島でみつかる最古の岩石は、今からおよそ6億年余りも前の先カンブリア時代のものであり、以後6億年余りの間に陸域を順次形成し、やがて紀伊半島という姿をとるようになったものである。本地区に該当する地層は、音無川層群、牟婁層群、田辺層群及び熊野層群となっている。
 梅栽培の盛んな地域の地層は、この音無川層群の中の瓜谷累層にあたり、黒色をした泥岩層で崩れやすいのが特徴で風化した土は、梅の生育やウバメガシの生育に適している。盆石として有名な瓜溪石は、今から約6000万年前の新生代初め、海底に堆積していた泥岩層である「瓜溪層」とよばれる地域から産する石である。
 良質で収穫量の多い梅栽培には、中性質で水はけの良い土壌が適しており、梅は生長時にカルシウムを多く吸収する。瓜溪石は主に炭酸カルシウムからできており、この炭酸カルシウムを含んだ中性質の土壌が、良質な梅の栽培に適している。
 古くから名湯として有名な白浜にある千畳敷や三段壁など美しい景観をもつ白浜付近で見られる地層は、田辺層群と呼ばれ新第三紀中新世に海底に堆積した地層で、下位の朝来累層と上位の白浜累層に分けられている。

(5)地域の営農
 和歌山県の平成22年における総農家数は33,799戸で、約7割が販売農家(23,207戸)となっており、そのうち果樹栽培農家(15,809戸)が約7割を占めている。
 和歌山県では果樹の生産額は農産物全体の約60%となっており、全国果樹生産額の約8%を占めるなど、果樹栽培を中核とした特徴ある農業が行われている。
 作付延面積(31,900ha)で比較しても、果樹が63.9%を占めており、みかん、うめ、かきで全体の約5割を占めている。平成23年における農業産出額の総額は1,013億円で、部門別では果実604億円、野菜160億円、米85億円と続いており、総額に占める上位3部門の産出額の割合は、果実59.6%、野菜15.8%、米8.4%となっている。 

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H23作付面積の構成
(県HPより)


 有田川中・下流域を中心にしたみかん、紀ノ川中流域でははっさくなど柑橘類、南部川流域と田辺市付近での梅、スターチス・カスミソウなどの花卉栽培も盛んである。 産出額で比較すると、全国シェアでは、はっさく68%、梅54%、かき20%、みかんが18%占めており、それぞれ、生産量で全国1位となっている。

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農業算出額(H22)
(農林水産統計より)


 他にも、もも、すもも、いちじく、キウイフルーツ等高い生産量を誇っている。
 果実は、大部分が青果として出荷されているが、うめの大半は生産農家等で一次加工の塩漬けが行われ、「白干梅」として加工業者などに出荷されている。これも和歌山県の果樹生産の特徴である。

(6)南部梅林、紀州みかんの起源
○南高梅
 全国的に知られる南部梅林(日高郡南部川村晩稲)の起源は、紀州初代藩主頼宣の時代にさかのぼる。藩主頼宣の御付家老であった安藤帯刀直次は、初代田辺藩に任じられた。田辺藩は旧田辺市、旧南部町、旧南部川村等を治めていたが、耕地に恵まれず、貧しい農民の免租措置として、直次は生産力の低いやせた土地や急傾斜地の山畑の梅栽培には一切年貢をかけなかった。これに感謝した農民は梅の栽培に励み、今日の梅林の基礎をつくった。幕末には南部の梅林は有名になり、文政9年(1826年)の「紀州田辺領名産品数書上帳」には田辺、南部の”梅干し”が名産と記されている。
 慶応元年(1865年)、当時の山田村(現在のみなべ町)に生まれた内中源蔵翁は、明治34年(1901年)に梅栽培の将来性を期待し、私財を投じて4万m2の山林を開墾して梅の木を植えるとともに梅の加工所を設け商品化にも着手し、品質の改良や販路の拡張にも努力し南部梅の基礎ができた。村人たちは毎年2月11日を「梅の日」と定め翁の遺徳を讃えている。
 明治40年以降、日清・日露戦争による兵糧食としての梅干需要が増加するとともに、戦後、社会経済の復興とともに、果実類の需要も増加し、梅の栽培も昭和30年代以降は急速に伸びている。
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南高梅
(南紀用水概要図より)

○紀州みかん
 紀州みかんの起源には、2つの説がある。一つは、永享年間(1429~1441)に有田郡糸我荘中番村楯岩の麓神田峰に自然発生したというものと、もう一つは、天正2年(1574)に有田郡宮原組村糸我荘中番村の伊藤孫右衛門 がみかんの栽培を始めたというものである。1700年代に入り、江戸に出荷されるようになり、伊豆、駿河、三河などのみかんに比べ、風味、色、形で群を抜いているとして有田みかんの評判が広まった。みかんの販売組織は、村々に組株をおき、生産地から有田川の河口の北湊に集荷され、ここに蜜柑方をおいて輸送と仕切金を取り扱った。江戸には組の代表を荷主代として1名置き、紀州みかんを受取り問屋に卸していた。
 紀州みかんは、藩の保護と統制の下に発展をとげ、組株も問屋も増加した。途中、統制の乱れ、流通組織の矛盾から内部騒動はあったが、風土に適し、他地方より品質が良く、美味であるとともに藩の力により全国に発展していった。紀伊国屋文左衛門が風波の強い中を海路で江戸にみかんを輸送し、巨利を得て、その後、江戸に移転して材木問屋として巨万の富を築いたことは有名である。


icon 2.地区の概況



 本事業の実施地域は、和歌山県南西部に位置し、旧田辺市(平成17年5月に市町村合併により新「田辺市」となる。)、日高郡旧南部町、旧南部川村(南部町と南部川村が平成16年10月に合併し「みなべ町」となる。)の1市1町1村からなり、南西側は太平洋(紀伊水道)に面し、北東側は急峻な山々に囲まれた地域であり、関係市町の総面積は257km2で和歌山県全体の約5%を占めている。地域のほぼ中央を2級河川南部川が流下し、その下流に南部平野が広がっているが、その他は平地に乏しく、山がちな地形で占められている。
 気象条件は、黒潮の影響をうけて年平均気温は約17℃と温暖な気候に恵まれている。年平均降水量は約1,700㎜であるが、年によって約1,200~2,400㎜と変動が大きい。
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南部平野を望む
(完工記念写真集より)

 市町村合併前の平成12年における関係市町の総人口は約85,000人で和歌山県全体の8%を占めている。就業人口の産業別割合では、第1次産業が19%、第2次産業が23%、第3次産業が58%となっており、和歌山県全体と比較すると第1次産業の割合が非常に高くなっている。平成14年の関係市町の耕地面積は、5,140haで、地目別にみると、田が637ha、普通畑33ha、樹園地が4,468haとなっており、耕地の大部分が樹園地である。作付面積が多い作物は、果樹ではうめ(3,250ha)とみかん(695ha)で、うめは和歌山県全体の67%を占めている。平成14年度における関係市町村のうめの出荷量は49,650tで和歌山県全体の79%を占めており、全国でみても総出荷量(96,200t)の52%を占める全国一のうめの生産地となっている。農家1戸当たりの生産農業所得は県平均を大きく上回り、旧南部町、旧南部川村、旧田辺市が県内全市町村の 上位を占めている。


icon 3.地区の沿革



 昭和30年日高川総合開発構想の一環として、日高川の豊富な流水の一部を南部川村清川へ導水し、発電所と調整ダムを建設し水源の有効利用を図るとともに、南部町及び南部川村の農業用水を確保し、農業の振興を中心とした南部川沿岸地域の開発構想『日高川分水計画』が策定された。
 しかし、この『日高川分水計画』は、流域変更に対する地元調整が難航し、実施には至らなかった。これに代わる水源対策として、南部川単独のダム建設構想が提案され、昭和34年、ダム地点選定調査の結果、南部川村清川穂手見地点が適地と判定され、県営事業として南部川ダム建設への期待が高まっていった。
 一方、田辺地域においても、水不足は深刻を極め、その水源対策として日置川からの分水構想が打ち出された。
 時を同じくして進められていた南部川ダム建設構想と、日置川分水構想の対象地域は相隣接することもあって、両構想の合体により、開発地域の広域化、効率化を図り事業の早期着工を期して、昭和41年5月南紀用水事業促進協議会が発足し、態勢が整った。
 これら地元の態勢を受けて、昭和42年度から国営事業化のための直轄調査が開始され、昭和45年度から全体実施設計を開始し、昭和50年3月には近畿農政局南紀用水農業水利事業所が開設され事業が着手された。


icon 4.事業の経緯



(1)当初計画の概要
 当初計画は田辺市を中心に、上富田町、南部町、南部川村の1市3町村に跨る受益面積4,173haの地域を対象に、水田711haの用水補給及び樹園地3,462haに対する多目的畑地かんがいを行うための水源確保(ダム)と用水施設を建設する。樹園地においては、畑地かんがいの導入により品質向上、高位安定生産等から生産性の向上を、また、水田では用水改良とほ場の整備を行うことにより大型機械化体系の確立を図るとともに、温暖な気象条件を活かした野菜類の導入を行い、生産性の向上、経営の安定化を図るとともに地域産業の発展に寄与するものである。
 このための水源対策として、南部川に島ノ瀬ダム(有効貯水量2,420千m3)を、日置川小房地点に頭首工を建設して最大2.6m3/Sを取水する。地区内への導水は、南部川村辺川地点の辺川頭首工(最大取水量0.94m3/S)を改修補強し、南部幹線水路(延長6.4㎞)により導水する。日置川からは、小房頭首工の取水を受けて日置幹線用水路(延長20.3㎞)により導水するもので、両幹線水路末端に中芳養調整池(貯水量20,000m3)を設けて水管理の適正化と水資源の有効利用を図る。樹園地への送水は、幹線水路から分水し、各揚水機場(9箇所)・ファームポンド、支線水路を経て、末端固定式中高圧スプリンクラーにより多目的畑地かんがいを行う。水田への補給は、幹線用水路から河川または既設用水路へ直接分水放流し補給する計画としていた。

(2)第1回変更計画の概要
 事業発足時の最大の課題であった日置川分水について、南紀用水促進協議会等が和歌山県を窓口として日置川関係者、水利使用者と積極的に協議を重ねたが昭和51年7月の町長選において「原発及び日置川分水反対」を公約とした候補が圧勝するとともに、主要作物であるみかんの生産調整が行われる等社会経済情勢の変化が生じた。  このため、昭和53~55年度にかけて受益地及び日置川分水等計画骨子の再検討が必要となり、事業計画内容を中心とした見直し作業が行われた。
 その結果、温州みかんの全国的な過剰基調を踏まえて生産調整が行われる等今後農業所得の大幅な向上は見込み難い状況となったため、立地条件が不良で末端配管等が割高となる地区並びに水田の他用途転用地区等を除外するほか、水田総合利用計画に基づく輪換畑に畑地かんがいを行うこととした。また、本地区の主水源である日置川分水については、現計画の取水計画に対する日置川下流関係者の同意は極めて困難な状態にあることから、取水量の変更を行うこととした。
 以上を基本として、受益面積を水田480ha、樹園地2,510haに縮小するとともに、日置川分水については、2.6m3/sを1.55m3/sとする変更計画をとりまとめた。

(3)第2回変更計画の概要
 島ノ瀬ダム及び南部幹線用水路の工事は平成2年度までに完成したが、農産物の自由化とそれに伴うかんきつ園地再編対策の実施、農産物価格の低迷等、農業をとりまく情勢の変化により、みかん農家の営農は非常に厳しい状況に置かれることになった。この様な状況の中で、本地区の一部条件の悪い農地の受益者らが新規投資意欲の減退及び高齢化等により受益から脱落したいとの意欲が強まってきたことから、受益地の見直しが行われた。

icon 5.基本計画



(1)計画の要旨
 本事業は、田辺市外1町1村の樹園地約1,550haの畑地かんがい用水の確保と水田約240haの用水不足の解消を図るものである。
 このための水源対策として、南部川上流に新たに島ノ瀬ダムを築造し、既設辺川頭首工を改修利用するとともに、南部幹線用水路に導水し、末端に中芳養調整池を設ける。樹園地への送水は、幹線用水路から分水し、各揚水機場及びファームポンドから、支線水路を経て末端スプリンクラーにより撒水かんがい及び防除を行うものである。併せて、関連事業により樹園地の畑地かんがい施設の整備や水田のほ場整備を行い、農業生産性の向上と農業経営の安定を図ることを目的としている。
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事業計画一般平面図
(概要書より)

(2)主要工事概要
①島ノ瀬ダム
形式:直線重力式コンクリートダム
提高:44.5m
提頂長:131.5m
総貯水量:3,070千m3
有効貯水量:2,480千m3
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島ノ瀬ダム
(南紀用水事業誌より)

②辺川頭首工(既設改修)
形式:フローティングタイプ
 コンクリート固定堰
提高:1.3m
提長:55.8m
最大取水量:0.82m3/s
③揚水機
岩代揚水機場:φ125~φ300
東本庄揚水機場:φ200、φ300
熊岡揚水機場:φ80~φ125
芳養揚水機場:φ125、φ250
芳養第2段揚水機場:φ100、φ200
④用水路
南部幹線:6.4km 中芳養調整池
岩代支線:9.3km FP(2箇所)
東本庄支線:2.4km FP(3箇所)
熊岡支線:3.9km FP(2箇所)
芳養支線:5.9km FP(3箇所)
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ファームポンド
(完工記念写真集より)

(3)事業工期
 昭和48年度~平成10年度(工事は平成7年度に完了。
 平成8年度~平成10年度は施設機能監視制度適用。)

(4)関連事業
 県営かんがい排水事業等により、国営のファームポンド以降の幹線・支線水路の整備や省力化や手作業からの解放を図るため樹園地内のスプリンクラー等の末端施設が整備されているほか、団体営事業等により、水田の区画整理や樹園地の農地造成が実施されている。


icon 6.事業実施後の状況



(1) 農業構造の動向
 関係市町の農家数は年々減少しており、平成12年の総農家数は4,074戸で、昭和60年と比べ12%減少しているが、県全体の減少率27%と比較するとその割合は小さい。
 経営規模の大きな農家、販売金額の大きな農家の割合は県全体に比較して多く、年々増加してきている。昭和60年と平成12年を比較すると1.0ha以上の経営規模の農家の割合は34%から51%に、また、販売額では500万円以上の農家の割合が12%から50%に大きく増加している。
 作物の延べ作付面積は、平成14年で4,799haとなっており、水稲や野菜類の作付け面積の減少に伴い、昭和60年の5,170haと比べ7%減少しているが、果樹だけは年々増加傾向にあり、平成14年には4,198haと昭和60年の3,454haよりも22%増加している。
 うめの出荷量は、年により豊作、凶作はあるものの、昭和60年の約24,000tと比較すると2倍以上に長期的には増加してきていたが、平成9年の59,000tをピークに、最近では5万t前後の出荷量で横ばいで推移している。

(2) 事業効果の発現状況
 事業効果の発現状況、事業実施による環境の変化などについては、統計データや計算式からは算出できないことから、平成16年度に受益者や地域住民を対象にした意識調査を近畿農政局と南近畿土地改良調査管理事務所が実施し整理されている。
①農業用水の確保・安定供給
 島ノ瀬ダムの築造により、水田、樹園地に必要な農業用水が確保され、干ばつ時においても安定した用水供給が可能となっており、干ばつに対する不安から解消されるとともに、農業用水の確保、ほ場への運搬に係る労力が節減され、農業生産と農業経営の安定に大きく寄与している。
 樹園地では全域でのかん水が可能となったばかりであるが、「水不足への不安が解消された」、「用水の確保、運搬に係る労働時間が短縮された」と多数の回答が得られている。
②畑地かんがい施設の整備による営農の省力化
 畑地かんがい施設が整備され、スプリンクラーを利用したかん水、防除が行われるようになったことで、園地内で行うこれらの作業に係る労働時間が大幅に軽減されており、特に、作業効率の悪い急な園地では、その効果は大きなものとなっている。
 アンケートでも、「かん水や農薬散布に係る労働時間が短縮された」と数多くの回答が得られている。

③農作業の安全性の向上
 果樹作業における防除作業は、手散布で行う場合には薬剤を浴びやすいため、人体に悪影響を及ぶ恐れのある作業であり、薬剤を浴びないためにカッパを着込んで行う作業は、精神的にも、肉体的にも大きな苦痛を伴うものである。また、本地区に多い急傾斜畑でのかん水や防除は、転倒などの危険を伴う作業である。
 スプリンクラーを利用した無人防除が可能となったことにより、防除の際に薬剤を浴びることもなくなり、作業の安全性が大きく向上している。

icon 7.最近の状況



(1)大都市への流通拡大
 地域の交通網は、紀伊半島の海岸線に沿って走る国道42号線と国道424号線を基幹路線とし、これらに接続する県道、市町道等により交通網が形成されていた。
 平成8年に湯浅御坊道路が全線開通し、平成15年には阪和自動車道御坊IC~みなべIC間が開通し、平成19年にはみなべIC~田辺IC間が開通するとともに、中山間部を中心とした農業用道路の整備等を行う「黒潮フルーツライン区域」(森林農地整備センター)が平成22年に完了したこととにより、京阪神地区へのアクセスが大幅に改善され、果樹・野菜供給基地の性格が益々強まっている。

(2)商標登録『紀州みなべの南高梅』」
 昭和40年に種苗登録の南高梅を、2006年10月27日に地域団体商標制度の認定第一弾として、「紀州みなべの南高梅」が地域ブランドとして認定(商標登録第5003836号)された。生産者の意識の中での「紀州みなべの南高梅」の知的価値をより高めながら、対外的には地域ブランドとしての価値を高めるために、地域団体商標制度の誕生を契機に出願し、登録が認められた。商標権取得により、生産者の心の中により安全・安心できる商品の提供に心がけなければならない理由付けが確立され、産地の一体感に向けての取り組みに弾みが出来ている。

(3)小水力発電の取り組み
 地球温暖化対策の一環として自然エネルギーの有効利用と農家の経営安定化などを目的とした、和歌山県の「農村地域エコエネルギー導入プロジェクト」の初めての取り組みが島ノ瀬ダムで行われた。
 全樹園地にかん水が可能となったことから、ポンプ等の各施設の使用頻度が増加し、これに伴う電力料金の増加が予測された。また、農産物価格の低迷や肥料、農薬等の高騰に悩む受益者の負担の軽減を図るため、島ノ瀬ダムの既存取水設備を利用した小水力発電設備(最大出力140Kw、年間発電電力量75万Kwh)が平成24年に完成し、農家が負担するポンプなどの電力代や施設の維持管理費に充てられている。

icon 8.おわりに



 この地域には、平成2年に南部川村の「うめ21研究センター」が、平成16年には和歌山県の果樹試験場の「うめ研究所」が設立され、うめの栽培から加工に至るまでの様々な研究が行われている。さらに、生産者自らも研修等を行い栽培技術の向上のための活動に取り組むなど地域を挙げて産地を一層堅固なものにするための取り組が進められている。
 また、この地域のうめ園の開花期には美しい景観を形成しており、「南部梅林」や「岩代大梅林」などに多くの花見客が訪れるなど貴重な観光資源となっている。
 受益地で安定した農業生産が継続していくことは、関係する産業をも維持発展させ、地域経済の等の活性化にも貢献するものであり、益々の発展を期待するものである。なお、この記述における内容は、過去に出版された事業誌によるものが中心で、文献は原文をそのままの形で掲載させて頂いた部分も多々ある。

引用・参考文献
・南紀用水事業誌
・南紀用水完工記念写真集
・南紀用水農業水利事業概要図
・国営南紀用水土地改良事業変更計画書
・国営かんがい排水事業「南紀用水地区」事後評価報告書
・平成24年度 わかやまの農業農村整備
・県営かんがい排水事業
 「南部川右岸地区」「南部川左岸地区」
・和歌山県HP
・和歌山県教育委員会ふるさと教育副読本HP
・和歌山県田辺市HP
・和歌山県みなべ町HP
・紀伊民法HP(2012.8.14)
・森林農地整備センターHP
・近畿農政局HP