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「農民」が造りし大地を生かす 佐賀県 ―嘉瀬川農業水利事業
九州エリア
戦後の国営事業







農民によって造られた平野



 佐賀平野で行われた記録に残る最古の干拓は、鎌倉時代までさかのぼります()。しかし、これ以前、平安時代には、すでに現在の国道264号線より南に海岸線があったと考えられ、古代からごく小規模な干拓が行われていたものと想像できます。


 戦国時代末になると、海岸線は現在の国道444号線の辺りまで進みます。江戸時代前半には、その先に「松土居」という大規模な堤防が築かれ、以後、干拓は本格化しました。
 この平野を治めた佐賀藩の干拓は、江戸期を通して約500か所、6300町にも及びます。その60%は5町以下の小規模なもの。藩財政の窮乏が著しかったため、ほとんどが農民の手による干拓でした。
 完成後に長期間の無税が保証され、肥沃な農地が手に入ることから、農民たちの意欲は高かったようです。結果、江戸末期、佐賀平野は、概ね現在の県道313号線の辺りまで進出していました。しかし、干拓で農地が拡大していくにつれて、この平野は宿命的な問題を抱えることになります。

※・・・ 13世紀末の元寇直後に干拓が行われた記録が残っています。二度にわたる元寇は、戦後の食糧不足と、大量に動員された武士への恩賞(土地)不足を招きました。有明海に広がる干潟へ開発の目が向けられたのは、このような社会的な背景も関係していたのかもしれません。



佐賀県 ―嘉瀬川農業水利事業