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1.一ツ瀬川地区の事業概要
2.地域の歴史
3.地域の水土整備の歴史
4.国営事業の実施に至る背景と経緯
5.国営事業の実施による地域の営農の変化
6.営農飲雑用水(宮崎県営 農村基盤総合整備パイロット事業)の確保
7.一ツ瀬川農業水利事業の概要

icon 1.一ツ瀬川地区の事業概要



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東原調整池に建つ若い農夫婦像

1 位置・自然条件等

 一ツ瀬川地区は、宮崎県のほぼ中央に位置する西都市、高鍋町、新富町、木城町からなり、 東西は日向灘、九州山脈、南は一ツ瀬川、小丸川に挟まれた標高70m~140mの洪積台地上の畑地とその周辺水田である。

 この畑台地は、一ツ瀬川(二級河川)、小丸川(一級河川)とその支流により浸蝕、切断され形成した茶臼原、牛牧原、祇園原、新田原、三財原、 平伊倉原と西都原の7つの団地に区分され、ゆるやかな勾配で日向灘へ向かって傾斜している。水田は、一ツ瀬川、鬼付女川、宮田川等の河川沿いに細長く分布しており水源が乏しい状況にある。

 国営事業に係る受益面積は、1市3町にまたがる水田760ha、畑2,790ha全面積3,550haである。

 この地域の産業は農業が主体で、水田にあっては水稲が中心であり、台地上の畑地帯では甘しょ及び飼料作を中心に乳牛、肉用牛、豚などの飼育、一部に茶、桑等が栽培されている。

 また、本地域は野菜指定産地、肉用牛生産振興地域、酪農近代化計画、果樹濃密生産団地等幅広い国の指定を受け農業の振興を図っている。

 交通条件は、国鉄日豊本線、国道10号線を主要交通機関として、国道219号線他主要県道が網の目状に走っており交通には恵まれた地域である。さらに農産物の輸送は、 さきに就航しているカーフェリー(日向港~川崎港、神戸港)と西都市、日向市を結ぶ広域営農団地農道によって確保され、京浜、京阪神等の大消費地と直結している。

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2 水利事業の必要性

 本地域は、野菜、畜産、果樹等の振興を図るため各々の指定を受けて、野菜については冬春きゅうり、夏秋きゅうり、冬春ピーマン、冬春トマトの作付拡大、畜産については、 多頭化を目標として飼料作の拡大、果樹については栽培の合理化を早急に推進する必要がある。

 しかしながら本地域の気象条件は、降雨量の季節的変動が著しいために、水田は常時旱ばつを受け極めて不安定な営農となっている。 また、畑地にはかんがい施設は全くなく計画的輪作体系が組めずに、土地生産性は極めて低い状況にあった。したがって水田の用水源の確保と、 畑地の水源を確保して、かんがい施設の早急な整備の必要性に迫られていた。

3 事業計画

 本事業の要旨は、水田に対する用水補給と、畑地に対する新規畑地かんがいの実施である。このために、 一ツ瀬川の杉安ダム(九州電力建設)に取水工を設け、トンネル、サイフォンにより導水する。一方、瀬江川の上流に頭首工を設けてトンネル、 サイフォン等により導水する。さらに、東原調整池を建設し調整機能をもたせることにより、自然導水できる瀬江川の水を優先的に有効に利用して、 不足をきたす場合にのみポンプアップを要する杉安ダムの水を補水する。さらに畑地かんがい施設と一連の基幹的水利施設を新設するものである。

 本事業の計画は、上記国営事業と併行して実施されている国営附帯県営事業(農村基盤整備パイロット事業)の完成とあいまって効果を発揮することとなる。

icon 2.地域の歴史



 一ツ瀬川の流域は、古くから多数の人が住みつき、古代文明の中心地であったと思われ、東都原・西都原古墳群遺跡がある。 日本でも有数な古墳文化の象徴的な遺跡が西都原古墳群である。

1 西都原古墳群
 西都原古墳群は、現在の西都市街地の西方の平坦な丘陵(標高70m)に329基の古墳からなっている。 中央部に天孫ニニギノミコトとそのお妃コノハナサクヤヒメの御陵墓参考地として、宮内庁管理の男狭穂塚、女狭穂塚があり、前方後円墳、円墳、地下式古墳、 横口式古墳、方形墳、柄鏡式古墳などの古墳がある。この中の代表的な男狭穂塚、女狭穂塚は、全国で仁徳稜、応神稜に次ぐ第3位の規模で、 この古墳をつくるのに延べ100万人の労力が動員されたであろうと推定されている。


2 民族のふるさと

 西都原古墳群のほか、西都原周辺に三財77基、三納65基、清水49基、東都原200余基の古墳群があり、西都周辺だけで約800余基をかぞえる。

 高鍋、川南、本庄、宮崎などにも古墳群があり、宮崎県下には2,000余基の古墳が分布している。このように、他に例をみないほど、多数の古墳が存在することは、 西都原を中心としたこの地域に古代 紀元前~3世紀まで に多くの集落が形成され、農業生産も旺盛であったことがうかがわれる。 また、この地域が古代日向の政治経済の中心地であったことを物語るものであり、民族のふるさとといわれるゆえんもここにあると思われる。

icon 3.地域の水土整備の歴史



1 土地改良の先覚者 (西都市)

 穂北の児玉九右ヱ門は、一ツ瀬川が米良山狭を流下し杉安取水工の下流で、穂北平野の最上流部に、1,720年杉安堰に着工し、1,748年二期工事まで完成した。

 当時穂北は、延岡藩牧野氏の支配下にあったが、年貢に困窮した百姓は、訴えをおこして、高鍋領、薩摩領に逃散するものもあった。 庄屋の二男に生まれ、幼少より蒙遇にして義気の強かった九右ヱ門は、この困窮を見かねて水路開削を思い立ち、資金の調達、工事中の水害等あらゆる困難を克服して、初志を貫き大事業をなしとげた。

 田地80余haの用水事業である。現在、児玉九右ヱ門は神と祭られ、杉安堰は近代的施設に改良され、用水路は満々と用水をたたえ流下している。

2 一ツ瀬の杉安用水 (西都市)

 江戸後期になると、宮崎の町人資本を導入して、人夫12,000人を動員し、600haの開田を成した「一ツ瀬の杉安用水」が竣工している。

3 広谷用水(高鍋町)

 天正年間から明治にかけて340年間をついやし、大正3年にやっと通水し日の目を見た。

4 茶臼原の開拓 (西都市 受益地)

 石井十次(1,865~1,914)は高鍋町に生まれた。生まれつき慈悲心にあつく、岡山県の医学校を卒業後孤児院を創設した。 また、孤児に信仰、労働奉仕の教育をするため、茶臼原を数10ha開拓し友愛社を設立した。

icon 4.国営事業の実施に至る背景と経緯



 一ツ瀬川地区の国営土地改良事業計画は、昭和43年から昭和45年までの3ヶ年にわたって実施された。この調査開始の発端は、 昭和35年9月23日に九州電力株式会社が一ツ瀬ダムの建設に際して、宮崎県知事と九州電力社長との間に将来の農業開発に備えて、 4,489haを対象に7.45m3/sを杉安ダムより取水することとした協定によって、用水確保がなされていたことと、地元農家の意向の盛上りによったものである。



icon 5.国営事業の実施による地域の営農の変化



1 耕地利用率の推移(宮崎県・一ツ瀬川地域)


 宮崎県全体は昭和40年144%が平成18年109%で逓減率75.7%に対して、一ツ瀬川地域は昭和40年148%が平成18年122%で逓減率82.4%と6.7%多く利用している。


2 作物別作付け延べ面積の年度別割合


 特徴的な2品目でみると、工芸作物の宮崎県全体は昭和40年4.7%が平成18年5.0%で増加率106.4%に対して、 一ツ瀬川地域は昭和40年5.8%が平成18年7.5%で増加率129.3%と22.9%多く作付けしている。また、野菜の宮崎県全体は昭和40年7.8%が14.3%で増加率183.3%に対して、 一ツ瀬川地域は昭和40年8.2%が平成18年19.7%で増加率240.2%と56.9%多い増加率で作付している。

3 主要作物の栽培状況の変化


 主要作物の作付面積の比較(昭和60年と平成18年(図  参照)は、宮崎県と一ツ瀬川地域との顕著な傾向を示す作物は次のとおり。秋冬だいこんは県が71.4%で、 一ツ瀬川地区は110.4%と逆増、キャベツは県が106.2%で一ツ瀬川地区は295.4%と大幅に増加、ばれいしょは県が87.0%で一ツ瀬川地区は167.3%と逆増、 茶は県が90.8%が一ツ瀬地区は157.0%と増加している。また、代表的作物のかんしょは県が58.7%で一ツ瀬川地区は56.1%を示し他作物への切り替えが見られ、 飼料作物は県が84.4%で一ツ瀬川地区は91.3%と減が少なく、これらはかんがいの効果によるものと推察される。



4 主要作物別10a当たり収量など

 一ツ瀬川地域を代表するピーマンの10a当たり収量をみると、昭和60年は宮崎県平均8,710kgが平成18年8,370kgで逓減率96.1%、 一ツ瀬川地域平均は昭和60年9,716kgが平成18年8,907kgで逓減率91.7%と、共に漸減したのは施設栽培から露地(夏秋)栽培増と商品価値の高いカラーピーマンの導入によるものと推察される。

 一方、県内に占める作付面積割合の推移は、昭和60年45.8%が平成18年53.3%と増加率16.4%を示し、 収穫量割合の推移は、昭和60年51.1%が平成18年56.8%と増加率11.1%を示し、宮崎県内の主要生産地となっている。

5 産地化

① 日本一の規模を誇る新富町洋ラン団地シンピジウムは、昭和56年に4人で1.2haの規模から始められた。整備されたほ場と豊富なかんがい用水を利用して、 栽培や販売に対する努力と研究、組織の強化で年々規模拡大が図られ、平成6年度には会員15人、栽培面積12ha、売上は8億円になっており、 商品価値の高い洋蘭が生産されるようになった。

② 設野菜団地

 エリザベスメロンの産地から、高級なネットメロンの導入が進んでいる。トマト、さといも、ゴボウなどの栽培が増えている。


③ 大規模 茶の生産

 茶は一番茶が年間生産量の60~70%を占め、出来次第で経営の成果が大きく変わる。

 生産量を上げるため、事業前は防霜対策として被覆資材や防霜ファンを利用していた効果が十分でなかった。通水後は、 霜害をスプリンクラー散水によって回避され、併せて薬剤散布、施肥などの多目的利用により生産安定と産地化がはかられている。


icon 6.営農飲雑用水(宮崎県営 農村基盤総合整備パイロット事業)の確保



 一ツ瀬台地のほとんどの家庭は地下水を利用した井戸水に頼っていたが、高台地のため地下水水位も低く、農業規模拡大による作付け体系の改善、 山林開発、基盤整備などにより井戸の水量は年々低下する一途だった。渇水期には枯渇する井戸もあり、給水車による対応を強いられていた。 その上、畜産を主体にした営農方式が多くなり多頭化・専業化し、そこから発生する多大な糞尿の耕地投入や家庭排水などの影響で、 地下水の水質悪化による衛生上の問題も危惧されるようになった。

 早くから関係市町それぞれに上水道施設、簡易水道施設が整備されていく中で、一ツ瀬台地だけが取り残された格好だった。 しかし、市長が単独で簡易水道を設置したり、上水道の給水地域に組み入れるには、あまりにも多額の費用を要するため困難な状態だった。  このため、 農林水産省の補助事業として認められ、営農飲雑用水が県営農村基盤総合整備パイロット事業の一環として実施でき、農村生活の改善も図られることになった。

 一方、当初地元においては飲雑用水より基盤整備を優先する意向が強かったことからその取り組みが遅れ、 ようやく昭和57年10月に一ツ瀬川営農飲雑用水広域水道企業団が設立され、翌年1月に上水道事業の認可を得て事業がスタートした。平成7年度完了した。


icon 7.一ツ瀬川農業水利事業の概要



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東原調整池

(1)事業工期  昭和47年度 ~ 昭和60年度
(2)受益市町村 西都市、高鍋町、新富町、木城町
(3)受益面積  3,547ha (内訳 水田 764ha 畑 2,783ha)
(4)事業費   165億円
(5)主要工事

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参考文献等
・事業誌 一ツ瀬川農業水利事業  (九州農政局 一ツ瀬川農業水利事業所)
・事業誌 マスコミで綴る一ツ瀬川の歩み (九州農政局 一ツ瀬川農業水利事業所)
・工事報告 一ツ瀬・杉安アーチダム  (九州電力・土木学会)  
・一ツ瀬川地区の営農資料 (九州農政局 南部九州土地改良調査管理事務所)
・県営農村基盤総合整備パイロット事業誌 -よみがえる一ツ瀬台地― (宮崎県)