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九州一のカルデラ湖「池田湖」を調整池にするという壮大な計画が南薩地方を不毛の台地を、緑なす肥沃な畑作大地へと変貌をさせました。 鹿児島県 -南薩農業水利事業-
九州エリア
戦後の国営事業






大正大噴火と耕地整理



 台地の開発は江戸時代から始まりましたが、明治・大正時代になっても耕地は台地の半分にも満たず開発は進みませんでした。その主な原因は水が無いためです。飲料水にも不自由するほどでした。
 
 1914年(大正3年)、笠野原の北西約30kmに位置する桜島で起きた噴火(大正大噴火)のために、多くの耕地が火山灰の被害を受けて荒廃し、これをきっかけとして耕地整理事業が始められました。

 1925年(大正14年)から耕地の整理に取りかかり、約10年の歳月をかけ昭和の初めに完成しています。1区画を約3haに区切り、直線道路を縦横に通し、どの畑にも車が横付けできるようになりました。

 上水道施設や耕地整理、開拓の各事業が実施され、ようやく昭和の初めに台地上での農業生産が可能になりました。しかし、台地の水は依然として足りず、畑に水をかけるすべもありません。2週間も晴天が続けば干ばつになり、雨乞いをするような状況です。  そのため、農作物は干ばつに強い作物(サツマイモ、ダイズ、アブラナ:シラス台地の三大作物)に限られるなど、不安定な農業を強いられていました。

かんがい事業が始まる前の笠野原 かんがい事業後の笠野原


鹿児島県 ―笠野原農業水利事業