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1.伊江島の概要
2.伊江島の歴史(激しい地上戦により島は焦土化)
3.伊江島の産業・特産品
4.伊江島の伝統文化・イベント
5.古の水利開発と昭和以降重層的に実施された国営事業及び県営事業
6.地下ダムによる農業用水の開発調査
7.伊江地区の事業概要
8.水あり農業への期待

1.地域の沿革



左:位置図 右上:伊江島遠景 右下:航空写真
(出典:伊江地区事業誌)


 伊江島は沖縄本島北部の本部半島から北西9㎞に位置し、落花生の形をした東西8km、南北3km、面積約23km2の「一島一村」の離島である。島の北側は数十mの断崖が続き、南側はサンゴ礁~砂浜から緩やかに高くなり、中心付近は平坦な地形となっている。東部中央には島のシンボルである城山(イージマタッチュー:標高172mの岩山)がそびえ、ほぼ平坦な地形に約1,100haの農地(畑地)が広がっている。村は8つの集落で形成され、人口は約4,500人で近年はやや減少傾向が続いている。
 小さな島だが、写真に見られるように3本の滑走路がある。右側は民間空港、中央は旧日本軍が建設し、現在は米軍の管理となっている。左側の滑走路は米軍の施設で、現在でもしばしばオスプレイなどの訓練に使用されている。
 気候は亜熱帯海洋性気候に属し、年平均気温は約22.6℃で年間を通して温暖で、冬でも10℃を下回ることはめったにない。年平均降水量は1,800mm程度で、全国平均を少し上回るものの降雨の多くは梅雨期と台風期に集中する特性があり、安定した農業用水の確保が課題となっていた。
 農業は、花き(キク)、葉タバコ、肉用牛、島らっきょうなどが生産されており、沖縄の離島にしては珍しくサトウキビの栽培が少なく、高収益作物の栽培や子牛生産を主とした県内でも農業の盛んな地域となっている。
 島には観光地として城山や伊江ビーチ、湧出(ワジー)などに代表される断崖とサンゴ礁が織りなす風光明媚な海岸線がある。沖縄本島とは本部港とカーフェリーが約30分で結ばれており、那覇空港から自動車で2時間程度の交通利便性から、日帰り可能な離島として多くの観光客が訪れる。また、中高の修学旅行生を対象とした民家体験泊(民泊)にも早くから取り組んでおり、コロナ禍以前は、全国各地から5万人以上が参加する一大事業に成長し、農業を含む地域の活性化など村の地域経済に大きく貢献している。

フェリー「いえしま」(出典:伊江地区事業誌)

イージマタッチュー
(出典:伊江地区事業誌)
伊江ビーチ
(出典:伊江地区事業誌)


2.伊江島の歴史(激しい地上戦により島は焦土化)



 伊江島にいつ頃から人が住み着いていたか詳しくはわかっていないが、旧石器時代の約1~3万年前の遺跡からも生活の痕跡が確認されており、縄文時代や弥生時代の遺跡も数多く見つかっていることから、かなり昔より人々が生活していたと考えられている。
 また、歴史書に初めて登場するのは、14世紀初期の三山時代に当時沖縄本島北部を治めていた「北山」への入貢の記録からとなっている(三山時代(13世紀前半~14世紀前半):沖縄本島が北山、中山、南山で群雄割拠し、後に中山が統一して琉球王朝が成立した)。
 島名がいつ頃から伊江島となったのか、その年代ははっきりしておらず、最古の琉球地図(1471年)に、「永島(イイシマ)」と出てくるのが伊江島だとされている。その後、明確に伊江島の名称が記載された文献は1713年『琉球国由来記』で、伊江島の語源は、伊江島の姿から「良い島(イイシマ)」、石ころの島として「石島(イシジマ)」や沖縄本島(アーリジマ)と区別するため「西り島(イリジマ)」、大和に近い上方の島「上島(ウェイノシマ)」等からイイシマになったとする語源説がある。
 伊江島は地理的に海上交通の要の位置にあり、第二次世界大戦において日本軍の飛行場があったことから米軍が上陸し、日本軍との間で激しい地上戦となり、多くの住民が犠牲となった。その後2年間、全島民は米軍によって島外に強制移動させられ、広大な米軍基地が造られた。帰島後、村民は戦争で一木一草に至るまで焼き尽くされた島の復興に尽力するとともに、基地の返還に向けて粘り強く基地闘争を行っている。現在でも島の北西部を中心に面積の約35%は米軍用地となっている。
 また、帰島後間もない昭和23年には、不発弾を積んだ米軍の爆弾処理船が港で爆発し、近くにいた住民100名以上が巻き込まれて死亡するという、悲惨な事故も発生している。

伊江国民学校跡
(出典:伊江地区事業誌)
今も保存されている公益質屋跡
(出典:伊江地区事業誌)


3.伊江島の産業・特産品



 伊江村は、農業が主要な産業であり、以前はサトウキビと葉タバコが基幹作物であったが、近年は高収益作物を中心に多様な品目の農産物を生産している。特に、輪ギク、葉タバコは県内でも有数の産地で村の経済を支える重要な農作物となっている。そのほかにも島らっきょう、とうがんなどの生産も盛んで、最近では伊江島在来品種の小麦も菓子類、麺類などの加工品原料として生産が増えてきている。
 伊江村の畜産業は子牛(黒毛和牛)産地として県内外からの評価も高く、競り市でも安定した価格で取引されている。また、肥育にも取り組んでおり「伊江島牛」ブランドで出荷されている。
 四面海に囲まれ、恵まれた漁場が点在している伊江村は漁業も盛んで、漁獲された水産物は主に名護市の漁港で水揚げされて競りにかけられるが、一部は島の漁港に水揚げされ、島内消費や加工品として付加価値の向上にも取り組んでいる。
 伊江島の特産加工品といえば、ピーナッツは有名で加工品も数多く作られ、定番商品のピーナッツ黒糖のほか、みそピーやゆでピーなどがあり、そのほかにも、紅イモを使ったおかしや島らっきょうを使った漬物や「いえぎょうざ」等多くの商品がある。
 また、サトウキビのしぼり汁のみを使い、じっくり熟成させたラム酒や島の北海岸の湧水で造った炭酸飲料「イエソーダ」も観光客やビジネス客に人気となっている。

左:主な農産物 中:サトウキビで作ったラム酒 右:伊江島小麦チップス(出典:伊江地区事業誌)


4.伊江島の伝統文化・イベント



 伊江島の伝統芸能は、古くから沖縄各地の民謡や本土の影響を受けつつ、島独特の創作も加わり、個性豊かな芸能として発展してきた。国の重要無形民俗文化財に指定されている「伊江島の村踊り」もその一つで、各集落の持ち回りで毎年11月頃に地元住民や島内外の招待者を招いて、盛大に民俗芸能発表会が行われている。
 そのほかにもゆり祭り、伊江島一周マラソン大会、海神祭(ハーリー)、チューパンジャまつり(村産業祭)、大折目(祭祀)、旧盆巡回エイサー等の祭り、イベントが数多く開催される。また、島内の集落対抗、年代対抗で行われるバレーボール大会、ソフトボール大会、駅伝大会などのスポーツイベントも盛んである。

左:伊江島の村踊り 右上:ゆり祭り 右下:伊江島一周マラソン大会(出典:伊江地区事業誌)


5.伊江島の地質地下水と水利用



 伊江島の地質は、基盤岩である伊江層(粘板岩・チャート・緑色岩・古期石灰岩)とこれを覆う第四紀の基底部層及び琉球石灰岩で形成されている。
 伊江層は、城山(イージマタッチュー)や北側海岸の一部でしか見られず、島の大部分が琉球石灰岩で覆われている。琉球石灰岩は隆起サンゴ礁で形成された空隙が多く、透水性が高い地層のため、降雨の大半は地下へ浸透して地下水となり、基盤岩に沿って流れて海へと流出している。そのため伊江島には河川はないが、北海岸では湧水として湧出(ワジー)が見られる。なお、表層土壌は島尻マージと呼ばれる琉球石灰岩由来の土壌で、一般に土層厚は薄くて保水力に乏しく、干ばつの被害を受けやすい性質となっている。
 前述したように島の大部分を覆う琉球石灰岩は、地表に降った雨をすぐに地下に浸透させ、海に流出させる。このため、古来、生活用水や農業用水の確保に困難を極め、生活用水の確保は、雨水を貯める小規模なため池の造成や自然井戸・湧水の利用、井戸を掘削した地下水の利用などにより行われてきた。女性と子供は近くの井戸に生活用水を汲みに行くのが、重要な仕事として毎日繰り返されていた。村内には今でも自然井戸や掘削された井戸が多く残されている。

マーガ(古くからの井戸で汚染されないようコンクリートの蓋がされている)
(出典:伊江地区事業誌)
湧出(ワジー:中央下にポンプ小屋)
(出典:伊江地区事業誌)

 農業用水を貯留するため池は、明治頃には34ヶ所に増えているが、いずれも小規模で需要を満たすには十分ではなかった。また、湧出量の豊富な湧出(ワジー)は断崖下の海岸にあるため利用は困難であった(戦後、米軍が揚水施設を整備して利用した)。
 戦後、深井戸の掘削による水源開発が行われたが、依然として水源量が乏しく、最大の水源である湧出(ワジー)は米軍の管理下にあったことから、昭和51年に沖縄本島から海底送水による生活用水の供給が始まるまで、水不足に苦しめられた。現在では、湧出(ワジー)水源の水と沖縄本島から海底送水された水が生活用水として利用されている。
 農業用水は戦後も大規模な水源開発は進まず、相次ぐ干ばつにより伊江島の農業は大きな打撃を受けてしまい、島外への出稼ぎや人口の流出など苦しい状況が続いた。
 このような干ばつへの対策として、伊江村は昭和56年から農業改革と並行して、農業用水確保による生産性の向上を目指して、ため池建設に着手した。平成13年度までに、21ヶ所、総貯水量67万m3のため池が整備された。ため池の整備に伴い、干ばつの被害が軽減されるとともに、花き(輪ギク)を中心に高収益作物の栽培が増加し、伊江村の農業生産額は大きく向上した。しかしながら、道路や農地に降った雨を集水して貯留する水源開発には限界があり、スプリンクラーまで設置されたほ場は一部にしかすぎず、多くの農家はため池からタンク車でほ場まで運搬して散水するという作業を朝早くから夜まで繰り返さざるを得なかったため、主要作物であるキクの生産量も次第に頭打ちとなっていった。

ため池全景
(出典:伊江地区事業誌)
ため池からの給水
(出典:伊江地区事業誌)

人力によるかん水
(出典:伊江地区事業誌)
アオコの発生するため池もある
(出典:伊江地区事業誌)


6.地下ダムによる農業用水の開発調査


 伊江島では沖縄の復帰直後の昭和47年から沖縄総合事務局や沖縄県により、農業用地下水調査が行われ、伊江島の地質地下水は、基盤岩である伊江層(難透水層)の上位を透水層である琉球石灰岩及び基底部礫層が分布しており、これらを地下水が流下していることはわかったが、地下水の水深は浅く、流下範囲も狭い範囲に限られ、かんがい水源となりうる地下水賦存量や地下水盆の存在は認められず、地下水の利用は困難と考えられた。
 その後、昭和53年に伊江島と同様に農業用水の確保が困難だった宮古島で実験地下ダム(皆福ダム)の建設により、大規模な地下ダム開発が技術的に可能であることが実証され、砂川地下ダム、福里地下ダムや沖縄本島南部地区の慶座地下ダム、米須地下ダム等、大規模な地下ダム開発が進められた。各地の地下ダム工事が進捗し、水理地質への知見や地下ダム造成技術の蓄積により、それまで対象とされなかった水理地質条件の地域についても地下ダム造成の可能性が検討されることとなった。
 沖縄総合事務局は、“水なし農業からの脱却”を願う農家の強い水需要に対する期待に応えたいとする伊江村から要望を受けて、平成4年度から水源開発を主体とした可能性調査を開始した。調査の結果、小規模であるが地下谷の存在が確認されたことから、地区調査(平成9年度~平成12年度)、全体実施設計(平成13年度~平成15年度)を経て、地下ダムを新たな水源とした国営かんがい排水事業「伊江地区」を平成16年に着工した。


7.伊江地区の事業概要



 伊江村の668haの畑地を対象に農業用水を確保し、農業生産性の向上及び農業経営の安定を実現するため、伊江地下ダムほかの基幹水利施設を整備し、併せて関連事業によるかんがい施設等を整備する。

① 関係市町村 伊江村
② 受益面積 畑668ha(用水改良423ha、畑地かんがい245ha)
③ 総事業費  269億円、 事業工期 平成16年度~平成29年度
④ 主要工事 地下ダム 1ヶ所(総貯水量141万m3)、用水路8.3km、揚水機 2ヶ所
⑤ 主要作物 花き(キク)、葉タバコ、飼料作物、野菜(島らっきょう等)、サトウキビ

(出典:伊江地区事業誌)


事業の主な効果
① 安定的な水源の確保により、花き、マンゴー等の高収益作物の生産拡大及びサトウキビ、飼料作物等の反収が増加するとともに、これまで栽培できなかった高収益作物の導入が可能となった。
② 給水栓やスプリンクラー等の末端施設が整備されることで、従来のため池からほ場までの水の運搬、かん水作業が解消され、営農労力と経費が大幅に削減された。

地下ダムの特徴
 地下水は空隙が多く(約10%)透水性の高い琉球石灰岩中を浸透し、不透水性基盤に沿って流れる。不透水性基盤が谷の形状であれば地下ダムの適地となり、地下に止水壁を築造して地下水を貯留することにより、これまで海に流出していた地下水を有効利用することができる。また、地下ダムの止水壁は畑地や道路下などに建設され、工事完了後は原型復旧されるため、地表面は従前同様の土地利用が可能となるなどの利点がある。

地下ダムの仕組み
(出典:伊江地区完工パンフレット)
伊江地下ダムイメージ図
(出典:伊江地区完工パンフレット)

 これまで建設された沖縄管内の地下ダムの多くは高透水性で多孔質な琉球石灰岩を帯水層とし、かつ、難透水性の島尻層群泥岩が断層により明瞭な地下谷を形成している地質・地下水条件的に恵まれたダムサイトで建設が進められてきた。
 これに対し伊江地下ダムは、中生界~古生界の緑色岩・粘板岩・チャートからなる伊江層と呼ばれる亀裂性岩盤を水理基盤とし、浸食によって形成された地下谷には基底部層と称する粘土混じり砂礫層が堆積している。このようなダムサイトで課題となったのは、以下のような厳しい施工条件であったが、これらの課題について設計・施工上の工夫、対応を重ねながら地下ダム完成に至ることができた。
(出典:伊江地区事業誌)

地下ダム工事の概要
 地下ダムの止水壁は、地下連続撹拌工法(SMW)という工法を用いて建設され、連続性を保つために精度の高い施工が必要となり、以下のような手順で施工が行われた。
① ケーシング削孔:孔の鉛直性確保のため、ケーシングパイプで掘削・排土を行う。
② 先行削孔:ケーシング削孔の孔を利用して、止水壁下端の深度まで単軸の錐で掘削する。
③ 三軸削孔:先行削孔をガイド孔として、三軸錐により所定の深度まで掘削し、錐を引き上げるときに先端から固化液を出しながら撹拌することで連続壁を築造する。

SMW施工手順
(出典:伊江地区事業誌)
施工状況
(出典:伊江地区事業誌)

技術的な課題と対応
① 施工深度が50mを超えると三軸削孔の孔曲がりによる調整杭(三軸削孔の再施工)の増加をいかに抑えるかが経済的な課題となるため、大型ベースマシンを使用し、長尺ケーシング及び大口径工法を採用することで調整杭の増加を抑制できた。
② 従来のSMW工法では削孔が困難な硬質の転石や基盤岩に対する区間には、グラウトによる施工を行ったが、施工性及び経済性が課題であった。特殊ヘッド(トリコンビット)を採用したことで、止水壁の築造を計画深度まで施工することが可能となり、止水壁の品質が確保され、経済性も大きく改善された。

左:標準ヘッド 右:トリコンビット
(出典:伊江地区事業誌)
大口径掘削ヘッドの採用比較
(出典:伊江地区事業誌)


8.水あり農業への期待



 国営伊江地区は平成16年度に着工し、村当局をはじめ地域の方々の理解と協力により、計画通りに進められ平成29年度に事業完了した。関連事業によるかんがい施設整備も進んでおり、農家からは、「必要な量の水があり、かん水作業も楽になった」という喜びの声が聞かれる。
 伊江島の人々の気質をあらわす「イーハッチャー」魂という言葉があります。繰り返される干ばつや戦争での壊滅的被害など、どれだけ苦境に立たされても負けん気の強さと自助努力によって、伊江島を復興させたという村民の気概の現れである。
 「地下ダムは未来へ託す伊江の宝」は国営事業のキャッチフレーズですが、整備された農業水利施設が「イーハッチャー」魂で大いに活用され、農業振興はもとより、伊江村全体の発展に大きく寄与することで真の「宝」となっていくことが期待されている。

2号ファームポンド(出典:伊江地区事業誌)

左上:キクへのかん水 左下:電照キク(夜間の風景) 右:島らっきょうへの散水(出典:伊江地区事業誌)


引用文献
1.国営かんがい排水事業 伊江地区 事業誌
2.伊江地区完工パンフレット(明日の伊江村を「水あり農業」で支える)
3.南の風 第107号 伊江地区特集号
4.沖縄総合事務局ホームページ 「農林水産部 農業農村整備」


2023年2月1日公開