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1.地域の概況
2.津軽地方の農業
3.国営平川農業水利事業
4.農業生産者の所得向上の取り組み
5.国営平川農業水利事業(通称:第一期)の概要
6.国営平川二期農業水利事業の概要

1.地域の概況



 本事業地区は、津軽平野の上流部から中流部及び下流部に位置していますが、この津軽平野は、奥羽山脈および津軽半島中山山脈(津軽山地)ならびに屏風山によって馬蹄形にかこまれた低湿平野であって、中央部には岩木川を主流として、浅瀬石川、平川、十川、浪岡川等の大小数多くの支流があります。本平野はかつて日本海が深く内陸部まで入り込んだ入り江であったものに、これら諸河川の土砂流出によって形成された沖積平野であります。このことは岩木川河口の十三湖はじめ、海岸砂丘地帯に残存する数多くの湖沼によっても実証されています。  
 津軽平野の地質を概観すると、そのほとんどが第三紀のなかの新第三系の地層で構成されており、先第三系基盤岩類は、青森・秋田県境部、八戸南方の上北山地北縁部及び下北半島西部に分離して分布しています。
 そのため津軽平野の生成は新第三系から第四紀以降とされ、第三期の地殻変動(グリーンタフ変動)及び第四紀の地殻変動によって海成層やグリーンタフ層等が隆起し、台地、山脈を形成し、その後沖積世に至って山地の浸食作用によって津軽平野が形成されたといわれています。


2.津軽地方の農業


(出典:青森県庁ウェブサイト)
  
 津軽地方ではこれまで、縄文晩期から弥生前・中期の遺跡から出土する土器等に籾痕や稲の圧痕等が発見されており、この時代から稲作がなされていたと思われていました。  
 しかし、これらについて当時の殆どの学者は、南の暖かい地方から運ばれてきたものであると考えられていましたが、昭和62年11月、弘前市砂沢遺跡から弥生時代前期の水田跡5枚が発見されました。このことはそれまでの定説を覆す発見であり、東日本最北・最古であり、紀元4,5前世紀ごろ北九州に稲作が上陸し、その後西日本で本格的に稲作が始められたと同時期、あるいは遅くても20~30年以内に津軽地方でも稲作がなされていたことになるものです。また、昭和56年にも垂柳遺跡(田舎館村)から弥生中期の水田跡およそ300枚が発見されており、津軽地方の農業の発展がうかがえます。
 津軽藩は、初代藩主為信が豊臣秀吉から津軽三郡(平賀郡、田舎郡、花輪郡)の領有を認められた天正17年(1589)に始まり、以後、明治4年(1871)の廃藩置県がなされるまで約280年間続きましたが、この間に積極的に新田開発を行った結果、当初4万7000石だった藩の石高は、江戸後期には公称10万石、実質33万石(一説には70万や90万とも言われる)に増大しています。  
 しかし、江戸時代には気候の変動による異常低温等により、ほぼ5年に1回飢饉に見舞われるなど、悲惨な生活を強いられました。

3.国営平川農業水利事業


   
 平川は青森・秋田の県境に源を発し、北流して浅瀬石川と合流し、更に岩木川へと合流する一級河川であります。中流部から下流部にかけては、藩政時代の新田開発によって開拓されたものでありますが、施設の老朽化あるいは設備の不備等により完全な水利機能を発揮できないものがありました。
 平川上流部の大鰐地区においては平川本・支流を合算すれば60ヶ所の取入口がありましたが、そのうち平川本流に9ヶ所の大口取水口がありました。
 平川は集水面積が少なく上流部が急峻であり、中流部において、過去の河道の移動により谷底平野として生成されましたが、砂礫層が多く平川の流水の多くが伏流となるため、毎年の如くかんがい期には水不足となる状態にあり、平川沿線の各取水口の権利者は、かんがい用水を確保できるか否かが豊凶を左右する「死活問題」であったため、大乱闘事件など壮絶な紛争を生じていました。それに加えて梅雨期にはたびたび洪水に見舞われたことから、住民は常に流水の調節を望んでおりました。このため、昭和24年には平川をはさんで左岸・右岸の各町村(4町8村)が平川ダム建設期成同盟会をつくり青森県に陳情するに至りました。    
 これにより昭和24年県営事業として採択され翌25年4月より、碇ヶ関久吉地区に農業用久吉ダム(津刈ダム)工事が着工され昭和38年に完成しました。    
 しかし、この間の昭和35年8月に平川流域が集中豪雨に見舞われ1日にして平川に設置されていた取水口の大半が流出する大惨事となりました。     
 この災害を契機として取水口の合口の機運が高まり、県及び農林水産省に対して、第1頭首工、第2頭首工の事業認可を陳情し、昭和37年災害復旧工事として認可されたものです。
 このことにより、これまでの取水においてのわだかまりも解け、ほ場整備を実施し用排水の分離を行う事業が促進されました。しかし、これまで以上の用水量の不足を来すことが明らかな事態となり、さらなる用水の確保を図るため、国営平川農業水利事業として大鰐町早瀬野地区に新たな水源を求めることになりました。
 国営平川農業水利事業は、昭和44年度に着工しましたが、平川第1及び第2頭首工は前述の災害復旧事業での復旧直後であったため既設利用とし、早瀬野ダムの新設及びその下流に4ヶ所の頭首工の建設とそれに伴う用排水路の整備、更には地区下流地域の排水改良のため排水機場の新設を実施しました。
 水源である早瀬野ダム建設工事は当初計画では中心コア型ロックフィルダムとして昭和48年に基礎掘削工事を開始、昭和50年7月から堤体の盛立てを開始し、昭和51年度まで約50万m3盛立てました。   
 昭和52年4月の融雪期に、前年度施工完了した洪水吐きの減勢池の溜り水が赤褐色化している事が発見され、これが強い酸性を示すことから調査を開始し、河川水を含めて工事区間全域の水質調査を実施しました。その結果、ダム上流の堤体材料採取地(以下「原石山」という)から下流の工事と関連のある全域の河川で酸性を呈していることが判明し、直ちに工事現場での中和処理の検討をするとともに、下流の利水及びダム構造物への影響を考慮して、学識経験者から構成された「早瀬野ダム環境対策検討会」が設置されました。   
 この結果、水質変化は原石山の岩石に原因があることが明らかとなり、同質岩石が分布する工事用道路造成工事等により生じた不用土・残土及び堤体に盛立てられた岩石中に含まれる硫化鉱物が地表に露出したことにより、水・空気と接触して酸化反応が起こったために酸性水が流出したものと判明しました。   
 この判断のもとに、対策の基本方針は、鉱物の酸化・溶解を防止するために、硫化鉱物と水・空気との接触を防ぐこととし、原石山の採取跡、工事用道路等の切・盛土面や堤体を被覆する事、堤体盛土の不用土や道路工事で生じた残土は池敷外に集積被覆する事、満水位以下の旧抗(鉱物採取跡)は必要に応じて閉塞する事、また、万が一酸性水の溶出が確認された場合にはダム下流部に設置した中和処理施設で中和処理を行う事等が提言されました。   
 これにより、早瀬野ダムは当初計画通り中心コア型ロックフィルダムとして施工し、堤体表面をアスファルト舗装による表面遮水壁工を実施したことにより、ゾーン型ロックフィルダム(表面遮水壁付)となっており、他には例のない特異な構造となっています。   
 これらの対応により、下流の利水に影響がないように対策が講じられたため、事業完了(昭和63年度)後、継続している水質調査結果でも他に影響を与える水質の変化等は確認されていない状況です。

4.農業生産者の所得向上の取り組み


  
 国営農業水利事業と関連するほ場整備事業等により、乾田化された輪換耕地の活用により、水稲の生産量の増加はもとより、ブドウ、桃の果樹及びトマト等の産地化を進めるなど、農業生産者の所得の増加を図る取り組みを農業協同組合(JA)が中心となって実践しています。   
 また、青森県では、平成22年度に「青森県農林水産品輸出促進戦略」を策定し輸出拡大に取り組んでおり、平成31年3月策定の「青森県輸出・海外ビジネス戦略」において、今後5年間の農産品と水産品の目標輸出額を合計290億円としています。これまでの実績では、東アジア地域(台湾、香港、中国、韓国)を中心として平成28年で240億円規模(ジェトロ青森資料「青森県の貿易」)と、平成21年の約2.2倍に拡大しており、農産品でも100億円で約2倍となっています。   
 今後も、東南アジア等への輸出拡大に向けて、輸出戦略を構築しています。



青森県輸出・海外ビジネス戦略(2019年3月)青森県観光国際戦略推進本部」


 

5.国営平川農業水利事業(通称:第一期)の概要



事業経緯 : 津軽地域の農業水利施設は藩政時代で一応の体系が確立され、主要地域の開発も進展していました。
 しかし、これらの施設は老朽化あるいは設備の不備等により完全な水利機能を発揮できないものもあり、用水確保並びに排水を円滑に行うことができないために干害、水害等の被害も多く発生していました。また、主水源は河川、ため池、揚水機等によるも、耕地面積に比し流域面積が狭小にして、用水量が常時不足して且つ水路は、旧態然とした昔のままの用排水兼用水路がほとんどでした。
 このため、平川の支流虹貝川の上流に早瀬野ダムを新設して不足水量を確保し、河川利用水の取水施設として、虹貝・三ツ目内・大和沢・五所川原の4頭首工を新設または改造しました。また幹線用水路48km(8系統)、幹線排水路6km(2系統)をそれぞれ新設又は改修し、揚・排水機場を各1ヶ所設置し、さらに用水管理施設を設置しました。

受 益 地 :  青森県弘前市、平川市(尾上町、平賀町)、五所川原市、大鰐町、板柳町、鶴田町、田舎館村

受益面積 : 水田5,629ha、樹園地74ha 合計5,703ha

事業工期 : 昭和44年度~昭和63年度

総事業費 : 519.8億円

主要施設 : ダ ム  早瀬野ダム(有効貯水量13,000千m3)        
       頭首工  4ヶ所(虹貝、三ツ目内、大和沢、五所川原)        
       揚水機  1ヶ所(板柳)        
       用水路  48.0km(8条)        
       排水門  1ヶ所(三好)        
       排水機  1ヶ所(三好)        
       排水路  6.2km(2条)        
       用水管理施設 1ヶ所

6.国営平川二期農業水利事業の概要



事業経緯 : 本地区の基幹的な水利施設である早瀬野ダム、五所川原頭首工、新堰及び五所川原幹線用水路、三好排水機場、赤堀幹線排水路及び用水管理施設は第一期事業により造成後相当の年数が経過しており、老朽化が著しいことにより性能低下が生じていることから、農業用水の安定供給及び一部地域における排水に支障をきたしているとともに、施設の維持管理に多大な経費と労力を要しています。  
 このため、本事業ではこれらの施設の改修を行い、農業用水の安定供給、排水機能の維持及び施設の維持管理の軽減を図り、農業生産の維持及び農業経営の安定を図るものです。  
 なお、一期事業で造成された他の主要施設についても、同様に老朽化しているものの受益面積の減少により、国営事業要件を満たさない等の施設もあるため、これらについては他の事業制度を活用して、随時改修・補修工事を実施することとしています。

受益面積 : 4,682ha

事業工期 : 平成24年度~平成33年度

総事業費 : 63億円

施設概要 : 早瀬野ダム(堤体表面遮水壁・取水設備・洪水吐き・管理施設等の改修・補修)     
       五所川原頭首工(土砂吐き・洪水吐きゲート・操作管理施設等の改修・補修)     
       新堰・五所川原幹線用水路の改修・補修     
       三好排水機場の改修     
       赤堀幹線排水路の改修     
       用水管理施設の改修




(前記3枚の写真出典:事業誌)

(出典:水土里ネット青森「あおもりの農山漁村フォトコンテスト」)

(出典:水土里ネット青森「あおもりの農山漁村フォトコンテスト」)