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1.地域の概要
2.事業に至る経緯
3.事業内容
4.事業実施の効果

1.地域の概要



図1 青森県の気候
(出典:青森県HP>私たちの青森県>青森県の位置・気候)
 青森県は、北緯40度12分から41度33分、東経139度30分から141度41分の間の本州最北にあり、ニューヨーク、北京、ローマ、マドリードとほぼ同緯度に位置しています。
 青森県は、三方を海に囲まれ、県の中央部に位置する奥羽山脈が県内を東西に二分しているなど、海域や地形が複雑なことから、同じ県内でも、地域によって気候が大きく異なります。中でも、冬季における津軽地方の大雪と、夏季における太平洋側を中心とした偏東風(ヤマセ)が代表的な違いとなっています。冬は、冷たく湿った空気が奥羽山脈にぶつかり津軽地方に雪を降らせる一方、太平洋側は、奥羽山脈が障壁となって乾燥した晴天の日が多いのが特徴です。夏は、冷たく湿った偏東風(ヤマセ)のため、太平洋側で低温・多湿の日が多くなります。季節の移り変わりがはっきりしているので、季節の美しい自然を味わうことが出来ます。
図2 津軽地方・津軽平野の位置
(出典:国土交通省国土地理院)
 津軽平野は、青森県西部、津軽半島南西部に位置する広大な平野です。南北に約50km、東西に約5~20kmの広さを持ち、岩木川流域に広がる沖積平野です。津軽地方は、青森県の西部全体を指す地域名で、津軽平野を含む広範なエリアを指します。津軽地方には、弘前市、黒石市、五所川原市、青森市などが含まれ、歴史的には津軽氏が支配していた地域です。
 つまり、津軽平野は津軽地方の一部であり、津軽地方は津軽平野を含む広い地域を指します。

2.事業に至る経緯



(1)地域開発の歴史
 1)浪岡地域の中世
 十三の地は鎌倉時代には本州北部の玄関口として繁栄したという。当時はこの地方は馬の産地であったらしく、これが十三湊(とさみなと)を繁栄させた原因だったかも知れない。その頃の岩木川は川幅も広く、水量も多くて西海岸と津軽中央部の交通は殆ど十三から岩木川の水路を利用した。岩木川は津軽の交通の動脈であった。
 <出典:「事業誌浪岡川」p3>

図3 津軽六郡の図
(出典:事業誌浪岡川)

 津軽郡中名字(ちゅうみょうじ)※の時代は浪岡・藤崎以北の津軽平野は茫々たる湿原地帯であったろうし、村落の殆どは平地より丘陵部や山間部に位置している。浪岡町をはじめ五所川原市の古村落は梵珠山系の水系が大部分であるが、沖積地に位置していた村落は河川の恩恵を充分に受けて水田を開発したとして間違いないが、山間部には問題がないとは言えない。冷涼な土地で稔る赤米があったと指摘する研究者もいる。
 ※ 浪岡地方に居住した北畠氏が室町末期の天文12年(1542)に津軽地方の各勢力範囲と郷村を調べて書いた資料
 <出典:「事業誌浪岡川」p10>

図4 津軽郡中名字の村落(五所川原地方)
(出典:事業誌浪岡川)
図5 津軽郡中名字の村落(浪岡地方)
(出典:事業誌浪岡川)

 2)五所川原市南東部地域の開発と用水
 津軽統治に成功した津軽藩祖為信の時代に至ると、梵珠山系の丘陵西側の地帯の集落に水田が開かれたことが明らかになる。天正18年(1590)9月豊臣秀吉の使者として前田利家らが津軽領内の検地をした記録に「馬ノ郡」の村と石高が出ているからである。五所川原南東部の村々はいずれも標高20メートル以上にあり、低湿地とは異なる地理的条件を備えている。上流域の沢地帯が初期の水田地帯と考えられよう。また、山間の自然湖沼から流れる豊富な水を制して用水とし、西側平坦地の比較的排水のよい地域に水田を造成したものと考えられる。
 天正の検地で津軽4万5千石の所領を安堵(あんど)※されてから更に50年後には、津軽平野の開発は急速に進展し、五所川原地方では丘陵部から湿地帯の平野に新しい村が形成されるようになる。
 ※以前の知行(ちぎょう)地をそのまま賜ること。
 <出典:「事業誌浪岡川」p55~56>

 小知行が主体となる開発が藩によって奨励されていたのは、津軽藩二代信牧の元和5年(1619)から、四代信政の貞享4年(1687)の約70年間とされている。
 <出典:「事業誌浪岡川」p59>

 広大な湿地である津軽平野北部の開発は、小知行主体では自ら限界がある。藩は、四代信政の代になり、このことを積極的に受けとめ、以後藩の直営による新田開発を推進する。
 藩の積極的な援助により五所川原新田が開発される。延宝4年(1676)の「広須五所川原派先年取立覚」にはその経過が記されている。藩は五所川原新田の成功に継いで、広須・木造新田と金木新田をも藩営によって開発する。五所川原南東部は、もともと五所川原新田開発の開発対象範囲に含まれていたが、排水が悪いため残されていたとされ、宝永元年(1704)俵元新田が着手されるまで待たねばならなかった。

 五所川原市南東部を南北に流れる松野木川の流域は排水の悪い低湿地帯であった。小知行派の進展を遮り、藩営五所川原新田でも見送られる程の悪条件であったと伝えられる。この地域の開発に着手したのは宝永元年(1704)で二十数年後に八ケ村を派立した。丘陵に散在する自然湖沼群の治水と湿地の排水を同時に手がけなければ成功はおぼつかなかった。
 <出典:「事業誌浪岡川」p61>

 五所川原東部水田地帯の用水源は、ほとんど丘陵の麓に築かれた溜池である。旧七和村誌には、昭和2年の調べで12の溜池があり、それぞれの用水面積が記録されている。
 <出典:「事業誌浪岡川」p64>

(2)本事業の沿革
 本地域は、青森県の西部、津軽平野のやや中央に位置し、室町時代に北畠氏が城を築くなど古くから開田が行われ、稲作を中心とした農業が営まれてきた。
 しかし、農業用水は水利の便が悪く数多くの溜池と取水堰や、地区内排水の反復水利用をして補っているなど常習的用水不足の干ばつ地帯である。また、水路は旧態依然とした昔のままの用排兼用水路が殆どで、水田の80%までが湿田状態のために、生産性の高い近代農業を経営することは出来ず、地域経済の発展を著しく阻害してきた。
 これらの課題を解決するため、昭和41年度から農林省では、国営土地改良事業浪岡川地区として国の直轄調査を、昭和44年度からは全体実施設計が行われた。一方地元では昭和44年10月1日に浪岡川、十川土地改良事業促進協議会が発足し、昭和46年9月20日に地元申請人田中正二ほか14名から事業施行申請がなされ、同年10月1日に浪岡川農業水利事業所が開設した。
 また、国営付帯県営事業として昭和47年度に浪岡川下流地区が、昭和51年度には浪岡川上流地区も事業に着手された。
 <出典:「事業誌浪岡川」p77>

3.事業内容



(1)事業名・地区名
 事業名:国営かんがい排水事業
 地区名:浪岡川地区

(2)事業の目的
 本事業地区は青森県の西部、津軽平野のやや中央部に位置し、岩木川右岸の五所川原市、浪岡町※1、板柳町及び常盤村※2の1市2町1村に亘る約3,140haの水田地帯です。その用水源は極度に限定されており河川、ため池のほか排水の反復利用を行っても、常時用水不足に悩まされるという状態でした。加えて、地域内の水路は老朽化した用排兼用水路であるためほとんどの水田が湿田状態であり、これらの状況が地域農業の近代化を阻害してきたものでした。
 本事業は、このような状況から脱皮し、農業経営の安定的発展を図るため、用水源として浪岡ダムを築造し、頭首工、幹線用水路、揚水機場を新設し、さらに用排水系統の適正化を図るため水管理を導入します。また、本事業に併せて、国営附帯県営、団体営事業により用排水施設の新設、改修、暗渠排水等を行い、ほ場整備を実施します。
 この事業の実施により、本地域の農業生産基盤が整備され農業地帯として発展し、基幹作物である米を中心に国民への食料の安定供給に多大に貢献するものです。
 ※1 浪岡町は平成17(2005)年4月1日に青森市に編入され、新青森市が誕生しました。本資料では旧名のままとします。
 ※2 常盤村は平成17(2005)年3月28日に藤崎町と新設合併して、改めて藤崎町が発足しました。
 <出典:「事業誌浪岡川」序文>

(3)受益地域
 関係市町:  青森県五所川原市、浪岡町、常盤村、板柳町
 受益面積:  3,140ha(田3,110ha、樹園地30ha)(事業完了の平成元年3月時点)
 五所川原市(田1,370ha)、浪岡町(田1,380ha 樹園地30ha)、常盤村(田300ha)、板柳町(60ha)

(4)事業期間
 昭和46(1971)年度~昭和63(1988)年度

(5)事業費
 159億円(昭和63(1988)年5月時点の事業費)

写真1 浪岡ダム上空全景
(出典:事業誌浪岡川)

写真2 夕顔関頭首工
(出典:事業誌浪岡川)
写真3 松島揚水機場
(出典:事業誌浪岡川)

写真4 浪岡幹線用水路
(出典:事業誌浪岡川)
写真5 用水管理施設
(出典:事業誌浪岡川)

図6 浪岡川農業水利事業 一般計画平面図
(出典:事業誌浪岡川)

(6)主要工事
 
 ①貯水池:
 
 浪岡ダム 型式 ゾーン型フィルダム、
 堤高52.4m、堤長304.5m、堤体積94.3万㎥、総貯水量760万㎥、有効貯水量750万㎥

 ②頭首工:  浪岡(改修)  型式 フローティング、堤高1.3m、堤長11.0m、取水量1.33㎥/s
   銀(改修)  型式 フローティング、堤高3.0m、堤長36.8m、取水量1.78㎥/s
   夕顔関(改修)  型式 フローティング、堤高3.8m、堤長88.5m、取水量2.07㎥/s
   松島(新設)  型式 フローティング、堤高1.7m、堤長19.0m、取水量2.20㎥/s

 ③揚水機:  川倉揚水機場  揚水量1.14㎥/s、揚程 実揚程4.2m、全揚程5.1m
     揚水機 型式 斜流ポンプ、口径φ500mm、台数2
     原動機 型式 三相交流誘導電動機、動力37kw、台数2
   松島揚水機場  揚水量2.20㎥/s、揚程 実揚程32.6m、全揚程44.0m
     揚水機 型式 渦巻ポンプ、口径φ600mm×φ400mm、台数3
     原動機 型式 三相交流誘導電動機、動力440kw、台数3

 ④用水路:  浪岡幹線  構造 コンクリート三面張、通水量1.33㎥/s、延長0.4km
   銀幹線  構造 コンクリート三面張、通水量1.44㎥/s、延長2.8km
   川倉導水路  構造 管水路及びコンクリート三面張、通水量1.14㎥/s、延長1.4km
   夕顔関幹線  構造 コンクリート三面張、通水量2.07㎥/s、延長4.4km
   松島導水路  構造 管水路、通水量2.20㎥/s、延長2.5km
   長橋幹線  構造 管水路、通水量2.20㎥/s、延長2.3km

 ⑤用水管理施設:
 
 中央管理所1箇所、中継所1箇所、子局17箇所、孫局3箇所、
 機能 TM方式、回線 NTT専用及び加入回線、監視装置 グラフィックパネル及びデータ処理装置

 <出典:「事業誌浪岡川」p82~85>

4.事業実施の効果



 整備により、安定的な用水が確保されることで慢性的な水不足や湿田状態が改善され、大型機械の導入も可能となり地域の生産性が向上した。地域全体としては全国屈指のリンゴ産地であるとともに、平場ではブランド米「青天の霹靂」等を生産する稲作地帯でもある。多くの農家がリンゴ生産に軸足を移す中で、稲作は機械の寿命等を契機に大規模な担い手に任せる傾向にある。今後は法人化等による持続性の確保が大きな課題である。
 <出典「土地改良316号2022.1 浪岡ダム地域農業の命脈」>

写真6 リンゴの栽培状況
(出典:全農青森県本部HPあおもりの特産品)
写真7 「青天の霹靂」の栽培状況
(出典:全農青森県本部HPあおもりの特産品)
写真8 「なみおかパサラコーン」の栽培状況
(出典:東北農政局HP青森地域からの便り)

5.その他



 浪岡ダム・頭首工・導水路・用水路などが老朽化しており、令和4年度以降、次期事業化に向けた 地域整備方向検討調査(二期) が段階的に進められています。


引用文献
1.「青森県HP>私たちの青森県>青森県の位置・気候」 令和7(2025)年4月11日
2.津軽地方・津軽平野の位置・・・国土地理院
3.事業誌浪岡川 東北農政局浪岡川農業水利事業所 平成元(1989)年3月
4.土地改良316号2022.1 浪岡ダム地域農業の命脈
5.全農あおもりHP
6.東北農政局HP青森地域からの便り

2026年10月23日公開