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1.地域の概況
2.自然条件
3.地域の歴史
4.事業実施
5.関連事業
6.事業実施後の地域の状況
7.参考文献


1.地域の概況


   
 一戸町の受益地は、奥中山地域と呼ばれ、標高400~600mのなだらかな高原で、冷涼な気候を活かした高原野菜の生産や酪農が盛んです。  
 また、二戸市の受益地は、馬淵川左右岸の標高100~300mの丘陵地にあって、りんご、さくらんぼ、キュウリ、葉タバコなどを主体とした複合経営が営まれています。  
 特に、舌崎地区のりんご栽培は岩手県内で最も古く120年の歴史を有するといわれています。

(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業 事業誌〜」)
(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業の記録〜」)

(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業 事業誌〜」)


馬淵川(マベチ川)の名前の由来

「マベツ川」が語源
 アイヌ語辞典によればマンは「重要な中心」、ベツは「大きな川」とあります。馬淵川(マベツ川)とは、中心をなす大いなる川となるそうです。
 馬淵川沿岸地区は、岩手県北部を貫流する一級河川馬淵川水系馬淵川および平糠川の沿岸に位置し、二戸市および一戸町に跨がる2,382haの畑作を主体とした農業地帯です。

2.自然条件



(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業 事業誌〜」)
(1)気象
 
 気候は、気温の年較差が大きい内陸性気候を呈し、年平均気温は約9℃、年間降水量は全国平均の約1,700mmに対して2/3程度の1,100mmで、少雨地域といわれる瀬戸内地方とほぼ同じです。  
 とりわけ、農作物の生育期間の降水量が少なく、また、夏の北東風「やませ」の常襲地帯で冷夏が多い地区です。



(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業 事業誌〜」)




(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業 事業誌〜」)
 
(2)河川の状況 《馬淵川》

(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業の記録〜」)
●流域面積:2,050km2
●河川流路延長:142km
●流域内人口(H12現況調査):185千人
 岩手県を代表する河川といえば、北上山系を南流する「北上川」ですが、「馬淵川」本川は、その源を岩手県郡と岩手郡の境の袖山(標高1,215m)に発し北流、県境付近で奥羽山脈に源を発する川を合わせ青森県に至り、その後、支川熊原川等を合わせ南部町付近でその流路を北東に転じ、八戸市で支川浅水川を合わせ太平洋に注ぐ一級河川です。
  

(出典:馬淵川について―国土交通省 東北地方整備局青森河川国道事務所
https://www.thr.mlit.go.jp/aomori/syutu/hachikawa/1_mabechi.html)
(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業の記録〜」)


3.地域の歴史



 馬淵川沿岸地区を包含する二戸地方は、「岩手県北の地で、奥羽と北上の山々に囲まれた風光明媚な地域であり、その自然の美を語るがごとくいくたの馥郁たる文化の生まれたところでもある。」と二戸郡誌に記されています。


(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業の記録〜」)

 
(1)原始・古代

(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業 事業誌〜」)
根反の大珪化木(特別天然記念物)

 根反川の対岸にあるこの珪化木は現地性の珪化木で、この地に直立していた木が火山灰に覆われて珪化木になったものです。直径2m、高さ6.4mの、直立する珪化木としては日本最大のものであろうといわれています。川の浸食により地表にあらわれたこの珪化木は、木の株から幹の部分に相当し、もともとはかなりの大木であったと思われます。樹種はセコイヤメスギと呼ばれるスギの一種で、今から1,500~2,500万年前のものであろうといわれています。日本で採掘される石炭の大半はこの木で、現在では北米大陸に成育してます。  
 また、現在でも地域内の到る処から縄文式文化人の遺物である石器・土器の類いがおびただしく発見されています。先住民族の籠ったチャシや竪穴・平安初期のの遺跡や鎌倉時代以後の豪族の館跡などが随所に存在し、石器・土器・装飾品のほか印塔などが多く遣され、歴史の移り変わりを物語っています。
 中でも、堀野遺跡の環状列石や竪穴住居跡の一群は二戸地方の歴史を知る好い資料といわれています。まさに、二戸地方は縄文式文化人並びに蝦夷の遺物の宝庫です。

(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業 事業誌〜」)
(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業の記録〜」)


 
(2)中世

 八葉山天台寺の文化、田山のだんぶり長者や、天台寺に縁が深い田山の長者伝説等が語りつがれているところでもあります。
 “黄金花咲くみちのく”と奈良時代に謳歌された金産地とは遠隔の地ではありましたが、二戸地方もかつては砂金の産地であり、漆の産出と相まって天台寺文化を築き上げていました。


(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業の記録〜」)
八葉山天台寺
 
 みちのくの霊山・八葉山天台寺の開山は、奈良時代の神亀5年(728)。東北の仏教文化の中心地として、歴史を刻む東北屈指の古刹です。かつては、排仏毀釈と呼ばれる寺院・仏像の破壊運動などにより、御難が続きましたが、昭和62年(1987)、僧侶で人気作家の瀬戸内寂聴師が第73代住職として晋山して以降、天台寺を復興へ導きます。寂聴師の「青空説法」は一躍有名となり、全国から大勢の聴衆を集めています。

 「二戸郡の郡名は、昔の牧場制度時代の名残である。その昔、糠部の総称を糠部東西南北とも、糠部九ヶ部四門とも呼んでいた。三戸南部の居城地(始祖;南部光行)である三戸を中心として、一戸・二戸は位置からいって南方にあったのでと呼び、後になって、一戸・二戸地域を二戸郡と呼ぶことになったのである。(中略)吾妻鏡の文治5年(1189)の条に糠部の記されてあるので、糠部郡の設けられたのは既に平安末期からでないかといわれている。(中略)九ヶ部四門というのは、一種の戸郷制度と見てよいだろう。しかしこれには糠部郡内を東西南北の四門にわけて、四門内に一戸から二戸・三戸と順次に九戸までおいた総称のことであり、一戸・二戸を南門、四戸・五戸を西門、八戸・九戸を東門、六戸・七戸を北門と称せられてきた」〈二戸郡誌〉  
 

 平安末期からは、武士の台頭が著しく、糠部郡で産する南部駒は丈夫で俊足なことから軍用駿馬として名をはせていました。下克上であった戦国時代は、織田・豊臣の国家統一によって安定しますが、この統一の最終地となったのが、「九戸城」でした。   

(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業の記録〜」)
 豊臣秀吉の天下統一最後の戦いとして知られる九戸政実の乱を敗者の視点から描いた長編小説「天を衝く」は、大河ドラマ『炎立つ』や『北条時宗』の原作者でもある高橋克彦の著作です。


(3)近世

 江戸時代まで、岩手県北部の厳しい風土では農産物の種類が少なく、粟・稗が主要穀物で、水稲栽培は殆ど行われていませんでした。一方、馬は殻や葉が柔らかい稗を好んで食べ、良質の堆肥を産出するため、馬と雑穀を組み合わせた馬産体制が発展しました。

軽邑耕作鈔
 江戸時代の東北三大農学書の一つ。
 軽米の豪農・在郷商人「淵沢圓右衛門(1792?~1817)」書き残した南部地方に適した農業技術書であり、農業経営書です。
 圓右衛門が息子に残した家訓「遺言」(天保四年/1833)には、新田開発は余力があるときだけ行い、常日頃は、ヒエ・アワ・大麦を食べ、ヒエを大量に蓄えるべしとされています。

(4)近代

出典:りんご稔る里「舌崎」(二戸市) - JA岩手県中央会
 明治に入り22年、浄法寺出身の佐藤佐市郞らは大塚谷地(現:一戸町奥中山)に移住し、湿地帯のため全く農業に向かない土地に排水路を施し、大豆や稗の栽培に数年をかけて成功しました。その後、現代の高原野菜栽培に繋がる「南部甘藍(キャベツ)」栽培に成功しました。
 また、明治5年に岩手県内最初に盛岡で栽培された「りんご」は、数年後、馬淵川が長年かけて運んだ肥沃な堆積物のある二戸市舌崎地区で、後年、「味のよいりんご」と評される一歩を踏み出しました。
 



 馬淵川は、蛇行して数々の段丘地形を形成していますが、「舌崎」地区ほどはっきりと蛇行のようすを残しているのは、ほかに例がありません。福岡の盆地を北上していた川は、金田一の湯田に向かって流れ、湯田の軟弱な地盤を激しく侵蝕しながら直角に流れを変え、金田一の下山井の峡谷に入ります。そして舌崎で西流からいきなり東流に転じ、名の通りの舌状の沖積層(ちゅうせきそう)を形成しています。
【馬淵川のたび 文:国香よう子 抜粋】

 明治に入ってからもしばらくの間、物品の運搬は馬の背によるのが主力でした。しかし、明治24年9月1日に日本鉄道株式会社によって盛岡・青森間が開通し、奥中山駅・福岡駅(現:二戸駅)が開業し、九戸・下閉伊郡より林産物が出荷されるようになりました。一説には、前述の佐藤佐市郞の奥中山の開拓も、国道・鉄道の開通が引き金であったといわれてます。

(5)現代  《奥中山の開拓》

(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業の記録〜」)
 かつてからの名馬の産地は、旧陸軍三本木軍馬補充部奥中山派出所として、明治・大正・昭和の中期(終戦)まで面目を保っていましたが、終戦時の昭和21年食糧増産緊急対策として育成馬用地が開拓用地として開放され、農地開発営団により 開拓が始まりました。しかし、昭和23年農地開発営団奥中山事業所の廃止により、建設工事が停滞・開墾が進まない状況になりました。
 昭和31年地区農民の決起により、模範的酪農農村の建設を目標として開拓道路・用排水路・開畑・土壌改良等の総合的計画(開拓振興計画)を未開発の丘陵地で立て、「国営北岩手開拓建設事業」を実施(S33~S39)し、約1,000haの畑を造成しました。

(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業の記録〜」)
 また、昭和46年からは、岩手県県勢発展計画の大規模開発プロジェクト計画の北上北岩手産地大規模畜産開発地区として、緩傾斜が大半を占め開拓適地ながら低利用のまま放置されていた原野などから、畑523haを造成し、昭和52年度に「国営北岩手草地開発事業」が完了しました。一方、奥中山地区の酪農は、昭和23年奥中山開拓推進基地農場から、数戸の開拓農家がホルスタイン種の子牛を借り受け飼養したことが始まりとされています。  
 その後、昭和30年代後半から本格的な酪農経営の基盤づくりのため乳牛導入、牛舎建築、農業機械の導入などが増えてきました。しかし、順風満帆ではなく幾多の困難もありましたが、昭和63年牛乳への消費者ニーズも多様化する中で、カナダより134頭のジャージー種を導入、また、同じ年に地域で生産される高品質な農業畜産物に付加価値を与える目的で奥中山農協の加工施設が稼働、良質な牛乳を使用しカマンベールチーズやアイスクリームの製造を開始しました。畑作農家と酪農・畜産農家の連携による土づくりがみのり、奥中山を代表する乳製品と高原野菜として、好評を博するようになりました。このことは、悠久から地域に居住する人々のいとなみ、すなわち、努力と知恵の成果であることを意味しています。そして、さらなる「ゆたかな地域」の未来へ繋げるため、地域の弱点である不安定なかんがい用水を解消すべく、国営かんがい排水事業「馬淵川沿岸地区」が実施されることになりました。

4.事業実施



(1)目的 
 
 本地域は、内陸性特有の気候で、降水量も乏しく、畑地かんがいが未整備であるがゆえ、しばしば干ばつ被害に見舞われてきました。この状況を解消するため、「馬淵川沿岸農業水利事業」では、新規水源として馬淵川支流の平糠川に「ダム」を建設し、かんがい用水の安定供給を図り、さらなる豊で安定した畑作農業を関連事業とともに目指しました。


(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業の記録〜」)


(2)事業内容 
受益面積 :2,191ha(田:17ha,普通畑:1,949ha,受園地:225ha)[平成19年現在]
受益者数 :1,330人[平成19年現在]
主要工事 :貯水池 1ヶ所(大志田ダム)
      揚水機場 4ヶ所(大志田・奥中山第1・米沢・湯田)
      用水路 80.9km、小水力発電施設 1ヶ所、用水管理施設 1式
事 業 費 :48,366百万円[決算額]
事業期間 :平成5年度~平成23年度(計画変更:平成19年度)
関連事業 :県営畑地帯総合整備事業 2,184ha


(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業の記録〜」)

《大志田ダム》

 大志田ダム(着工H9.12.18~竣工H16.3.24)は、小学校のプール約2万3千杯分の貯水量860万m3をビル21階相当の高さ(63.7m)で、貯留しています。

 
(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業の記録〜」)




(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業 事業誌〜」)
・流域面積 75.7km2
・湛水面積  91ha
・総貯水量 1,130万m3
・有効貯水量 860万m3

・形式 重力式コンクリートダム
・堤高    63.7m
・堤体積 14.8万m3
・堤頂長   165m
・水没総面積 120ha、水没戸数 14戸


 本州でも有数な寒冷地の奥中山に築造された大志田ダムは、冬期間のコンクリート打設ができないため、拡張レヤ工法(リフト高1.5m)を採用するなどし、工程・施工・安全等の管理を行いました。また、揚水機場の運転管理に多大な電気が消費されるため、維持管理費の軽減の観点から小水力発電施設(最大出力810kw)を設置しました。

拡張レア工法  
 コンクリートダムの合理化施工法の一つ。ELCM(Extended Layer Construction Method の略)ともいわれています。  
 コンクリートダムを打設する際、レヤ工法では縦継目を設けず横継目により多数のブロックに分割されますが、拡張レヤ工法は施工設備などの許す範囲内でできるだけ継目を設けずに大きな範囲を一度に打設する工法です。横継目は、打設後、振動目地切機などにより設置します。打設面に段差が生じないため、RCD工法とともに面状工法として分類されることがあります。横継目の型枠が省略できること、施工ヤードが広くなり大型機械を使用できる、施工の安全性が向上することなどにより、施工の合理化・省力化が可能です。

《揚水機場》

 本地区の受益地は、特に起伏が激しい場所に存在しているため、大志田ダムから河川に放流されたかんがい用水を順次高位部から低位部の農地に供給するためには、一旦約200mの高台の吐出水槽やファームポンドに、揚水機場により押し上げる必要があります。




(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業 事業誌〜」)





(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業 事業誌〜」)





(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業 事業誌〜」)


《環境配慮》  

 本事業は、岩手県環境基本計画や二戸市、一戸町の田園環境整備マスタープランなどに基づいて、「環境との調和への配慮」をしながら計画を進めていくことを決め、環境に適切に配慮した整備を実施しました。


 当初の建設予定地であった揚水機場付近に「カワシンジュガイ」の生息が確認されたことから、種の保全のために揚水機場の位置を700m下流に移動しました。最新の環境省のレッドデータブック2020によれば、「絶滅危惧IB類(EN)」となり、IA類ほどではないが、近い将来における野生での絶滅の危険性が高いものとされています。

カワシンジュガイ  
 湛水に生息する二枚貝で、殻長10~15cm、殻幅4~6cm程度で、内面は美しい真珠光沢で覆われています。
 砂底に体をたてて水中のプランクトンなどを捕食しています。  
 成長は遅く、寿命が長く個体によっては、100年を超えるものもいます。  
 環境省レッドブックデータ2020では、絶滅危惧種IB(EN)となっています。  
 なお、H17以前は準絶滅危惧種で、それ以降は絶滅危惧II類となっていました。
 
 カワシンジュガイは、氷河時代にシベリア方面からわが国に分布をひろげ、その後取り残された北方系の遺存種と考えられています。本種の属するカワシンジュガイ科のなかまは、全北区を中心に分布していて、日本が分布の南限になります。カワシンジュガイという名前の由来は、昔、ヨーロッパで近縁種から真珠(しんじゅ)を採取していたので、この名がついたとされます。


《景観配慮》

〈ファームポンド〉  
 ファームポンドは、農地や林地等の改変が最小限となるよう工夫しています。周辺に森林等がない高台で人目につく場合は、堀込式や覆土式を採用し、周辺景観との調和を図っています。


5.関連事業




(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業の記録〜」)
※上記資料と事後評価時点の取りまとめ時期が違うため、若干受益面積に差が生じています。


6.事業実施後の地域の状況



(1)地域の評価
 受益者の事業に対する評価が、「みのりを運ぶ水~馬淵川沿岸農業水利事業の記録~:東北農政局馬淵川沿岸農業水利事業所」に以下のように紹介されています。

(2)地域の声
○今まで、水源地からポンプで水をくみ上げていたのが、蛇口をひねるだけで、水がでてくるようになったので、便利になった。以前は、上水を散水していた農家では、安価にかんがいすることが可能となった。
○梅雨に入る前や渇水期に散水することができるようになり、りんごの玉を大きくすることが可能となった。
○本地区では、サクランボなどの果実を栽培する際に、春の遅霜による霜害が恒常的に発生していたが、スプリンクラーによる散水氷結法を行うことにより、被害をうけなくなった。
○促成アスパラガスは春先に定植する際に、散水すると良いものができる。
○水に溶かして肥料を散布することができるので、肥効がすぐ現れるようになった。
○畑地かんがいの長所は、好きな時に水が使えることで、野菜だけではなく、畜産農家にもメリットがある。

(3)事後評価 
 事業の評価については、東北農政局が平成30年8月に、「平成30年度国営土地改良事業の事後評価結果の公表について」として、「馬淵川沿岸地区」を公表しています。
 以下、『国営かんがい排水事業「馬淵川沿岸地区」評価結果』の技術検討会意見を掲載します。

(4)技術検討会の意見
 冷涼寡雨で農業用水の確保が困難であった本地区において、安定的な農業用水の確保の下、育苗、定植等適正な栽培管理による生産性の向上及び病虫害や霜害等回避による品質の向上並びに経営規模の拡大と大型機械化体系への移行による営農の合理化が図られ、レタス、キャベツ、りんご、おうとう等において県下有数の産地が形成されるなど、収益性の高い農業が取り組まれている。
 今後は、一定の規模拡大が図られた一方で、顕在化しつつある経営耕地の分散や土地利用の混在といった問題の解消と更なる生産性の向上を目指す上で、関連事業の着実な推進を図るとともに、経営体への農地集約と露地野菜、施設野菜、果実、飼料畑等の別に、段階的に団地の形成を図っていくことが必要である。
 また、地域農業生産の維持・増進という観点からは、実需者ニーズに基づく生産の均質化及び安定化の下で確立された、契約出荷を主体とする大規模な経営体に加え、多様な担い手を確保していく必要があり、消費者ニーズに基づく農産物の販売方式や加工品の開発と定着による農業所得の増大の下で、経営感覚に優れた担い手の育成と確保につなげるといったことも重要である。
 加えて、地区全域における高収益型農業の展開を目指す上では、本事業を契機とした先進的経営の事例とともに、農業振興が地域全体に及ぼす波及的効果について、農家をはじめとする地域住民に広くPRしていくことが重要である。
 さらに、良好な自然環境や景観と調和した地域の農業は、消費者にとっての付加価値となり得ることから、農家及び地域住民が主体となって自然環境の保全やモニタリング活動等を継続的に実施していくことも重要である。

(5)波及効果
《六次産業化》
 本地区で生産された農産物や加工品を販売する直売所は、地区内に10ヶ所あり、年間10万人以上の集客をする施設もあります。また、一戸町では、首都圏にアンテナショップを出店し、工芸品のほか食材も販売しています。

(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業の記録〜」)


《多目的利用》
 大志田ダムの貯水池(菜魚湖)は、冬季に結氷するため、わかさぎ釣りの場として、地元・遠方の愛好者が、年間5千~1万人訪れ地域の活性化に貢献しています。


(出典:「みのりを運ぶ水〜馬淵川沿岸農業水利事業の記録〜」」)
菜魚湖
『菜』は奥中山地区特産のレタスにちなんで、野菜の菜(な)。『魚」は平糠川で採れる岩魚の(な)。ふたつを合わせて『菜魚湖』となりました。奥中山地区の主婦の方の命名です。



参考文献・引用文献


1.「みのりを運ぶ水~馬淵川沿岸農業水利事業の記録~」:東北農政局馬淵川沿岸農業水利事業所
2.「みのりを運ぶ水~馬淵川沿岸農業水利事業 事業誌~」:東北農政局馬淵川沿岸農業水利事業所
3.東北農政局ホームページ
4.平成30年度国営土地改良事業の事後評価結果の公表について「馬淵川沿岸地区」:東北農政局
5.国土交通省青森河川国道事務所ホームページ
6.畑地かんがいの効果について~県内の優良事例より~(平成19年3月):岩手県農林水産部農村計画課
7.二戸市ホームページ
8.一戸町ホームページ
9.全国水土里ネットホームページ
10.いちのへドッキドキFMホームページ
11.二戸郡誌(1968):二戸郡史編集委員会 編
12.一戸町誌(下巻):一戸町町誌編纂委員会 編(1986.8)
13.岩手県市町村地域史シリーズ65 一戸町の歴史:岩手県文化財愛護協会 編
14.広報「にのへ」