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1.自然概況
2.中津山地域の農業開発の歴史
3.国営中津山農業水利事業の概要


1.自然概況



(1)位置

 本地域は、宮城県の北東部に位置し、一級河川北上川及び旧北上川に囲まれた輪中地帯で、石巻市、登米市にまたがる地域である。

(2)地形

 本地域は、北上川、迫川、江合川などの河川の流域に発達した仙台平野北部の沖積低地で、北上川の最下流部、北上山地に属する丘陵に囲まれた南端山麓に位置している。
北上川と迫川が合流する付近は大規模な氾濫原として知られ、かつては大小の低地湖沼が数多くみられた。平坦で湿生の低地は、そのほとんどが水田となっている。

(3)地質

 本地域の地質は、周辺の丘陵を構成している中生代三畳紀前期~中期の堆積物である稲井層群及び低地部に分布する新生代第四紀の堆積物である洪積層及び沖積層である。稲井層群は、主に浅海性堆積岩類から構成される地層で、平磯層、大沢層、風越層、伊里前層に細分され、周囲の山地の主要部をなす地層である。
 洪積層は、旧北上川によって形成された河性堆積物で、下位の稲井層群を不整合に覆う地層である。沖積層は、主に縄文海進時以降の新期堆積物で、最大 50mを超える層厚で分布している。下部と上部は陸成層で、かつての北上川から運搬された砂、シルトから構成され、上部は場所によって何枚かの泥炭層を挟んでいる。上部と下部の中間部は、海成の粘土、シルト、砂で浅海性貝化石が多く見つかっている。

(4)気象

 本地域の気候は、沿岸部にある石巻市街地に比べ降雨が少なく、降雪も宮城県内では少ない地域である。気温は比較的温暖で、南三陸沿岸気候と内陸性気候との中間的な気候といわれている。風は一年を通じて北西の風が多く、梅雨時期になると「やませ」と呼ばれる冷たく湿った東寄りの風が吹き、水稲などの農作物に被害を及ぼすこともある。平成22年(2010年)から令和元年(2019年)までの10年間の推移を見ると、年間の降水量は930~1,360mm、年平均気温は11.6~12.5℃であり、気候はほとんど変化していない。
 また、月別の日平均気温は1月に最低の0.9℃、8月に最高の24.0℃となり、平均気温の寒暖差は23.1℃となっている。

位置図(出典:国営中津山農業水利事業 事業誌
グラビア:地区の概要)
北上川流域図(出典:国営中津山農業水利事業 事業誌 P6)

中津山地区(出典:国営中津山農業水利事業 事業誌 P2)


2.中津山地域の農業開発の歴史



(1)江戸時代前

 中津山地域の農業は、縄文~弥生時代(紀元前10世紀中頃~3世紀中頃)から行われていたものと推測されているが、北上川がもたらした肥沃な土壌と相反するかのように、北上川周辺の農地は度重なる水害や水不足に見舞われ、決して農業に適した土地柄ではなかった。

(2)江戸時代(仙台藩の開発高)

 江戸時代、三柄大名とうたわれた3家がある。
  ・加賀の前田家:加賀百万石の前田は禄高が全国の大名中最高なので高柄
  ・薩摩の島津家:島津は源頼朝の血をひく名家であるので家柄
  ・仙台の伊達家:領土が広く豊穣で国の富める仙台伊達藩は国柄
 このことから、いかに仙台藩の農作物が豊かであったかがわかる。
 仙台藩の表高は62万石(飛地を含む)であったが、年々開田によって石高を増し、次に示すように、幕末の頃には実高約103万石になっている。
  寛文4年(1664年):調査開発高33万2,087石
  宝永6年(1709年):陸奥国分領高83万9,991石
  宝暦6年(1756年):陸奥国本地新田合計98万9,891石
  天保9年(1838年):4領27郡1,008ヶ所の開発高102万9,486石
 この仙台藩の開発高の差41万石は、全て新田開発の賜物である。北上川下流域(旧蒲生郡、旧登米郡、旧牡鹿郡)では、北上川の河川改修から診断開発が始まった。

(3)江戸時代~明治時代の北上川の改修

 旧北上川は、江戸時代に伊達政宗の家臣であった川村孫兵衛重吉によって、米の海運と治水を目的に石巻港への運河整備と河川改修が行われている。
 本地域の東側を流れる北上川は、旧北上川の氾濫により幾度となく農地や暮らしが大水害に見舞われていたことから、明治政府が水害をなくすため新たに開削したもので、この北上川の開削により中津山地域は輪中地帯となった。

(出典:国営中津山農業水利事業 事業誌 P5)

(4)明治時代以降の中津山地域

 中津山地域では、明治以降の北上川の開削とともに昭和初期より地元農家の強い意向を反映し、地域と国が一丸となって、近代的な用水や排水の整備及びほ場整備に取り組んだ。
 昭和9年(1934年)には時局匡救事業により排水路整備と併せて後谷地第1排水機場を設置、これを機に水田の開墾や基盤整備が進んでいった。その後、県営用排水改良事業によって昭和38年(1963年)には鶴家排水機場、昭和40年(1965年)には後谷地第2排水機場が建設され、現在この地域が宮城県を代表する農業地帯へと発展した要因となっている。

(出典:国営中津山農業水利事業 事業誌 グラビア:水とたたかってきた地域の歩み)


1)北上大堰
 北上川の流水と河床の安定を図るほか、かんがい用水・水道用水・工業用水の確保と海水の逆流を防ぐことを目的とした可動堰として昭和59年(1984年)に完成した。

2)第1次県営中津山地区用排水改良事業(昭和4年(1929年)~昭和9年(1934年))
 新北上川の開削により、新北上川左岸の流域約2,000haからの出水は新北上川に直接流入することとなり、古川の流域は大幅に縮小し、旧北上川からの外水による堤防決壊などの脅威はなくなり、残された課題は内水の湛水被害を防止することであった。
 このため、新古川排水路を開削して旧古川排水路と分流し、さらに後谷地排水機場(昭和9年(1934年))を設置した。

3)第2次県営中津山地区用排水改良事業(昭和28年(1953年)~昭和44年(1969年))
 第1次県営事業の後、度重なる北上川の出水のため自然排水量が激減し、内水の湛水量が増加した。特に、カスリン、アイオン台風による大洪水では地区内の70%の水田が20日から25日間もの長期にわたって湛水し、減収量が1,500トンという大きな被害が発生した。このため、第2次県営中津山地区用排水改良事業により排水機場の新設等を行った。
 主な事業内容は次のとおり。
 ① 古川と五十五人排水路を改修し、旧北上川へ排水するため鶴家排水機場(昭和38年(1963年))を新設した。
 ② 旧古川排水路を改修し、後谷地第2排水機場(昭和40年(1965年))を新設した。
 ③ 大網樋管は一連を増設し、北上川からの取水量を増量するとともに大網用水路を改修した。

4)第3次県営中津山地区用排水改良事業(昭和44年(1969年)~昭和61年(1986年))
 第2次県営事業により基幹排水施設が完成し、湛水被害は解消したが、農作業は耕運機からトラクターへ大型化し、これに対応するための暗渠排水が地区内の水田のほとんどに施工された。このため、代かき期が1週間ほど短縮され、1日の用水量が多くなった。
 しかし、揚水機場はすでに耐用年数を過ぎて老朽化が著しく、揚水量は年々低下し、さらに大江堀用水路は江戸時代のまま土水路であったため、代かき期など用水の最需要期には、水を巡るトラブルが発生していた。このため、第3次県営中津山地区用排水改良事業により総合的な用水対策を講じた。
 主な事業内容は次のとおり。
 ① 老朽化した寺崎・神取揚水機場を統合し、取水条件の良い牛田揚水機場を新設した。
 ② 五十五人揚水機場・平揚水機場を改修し、大江堀を3面コンクリート化した。
 ③ ほ場整備事業により、かんがい用水と農地の効率的な利用を図った。


(5)東日本大震災
 本地区は、石巻市の中でも内陸部に位置するため、津波による浸水が北上川沿いの追波川流域で発生したが、大きな被害とはならなかった。若干の地盤沈下はあったが、地域の農業資産の損傷も比較的少なくて済み、農業経営への影響は小規模なものであった。


3.国営中津山農業水利事業の概要



(1)事業目的

 本地区は、宮城県の北東部に位置し、北上川、旧北上川に囲まれた輪中地帯で、石巻市及び登米市にまたがる約3,190haの水田地帯である。
 本地区は、稲作を中心に水田の畑利用による大麦、小麦、大豆等を組み合わせた複合経営が行われており、県内有数の農業地帯となっている。本地区の基幹水利施設である鶴家排水機場、後谷地第1・第2排水機場及び旧古川排水路は、県営かんがい排水事業(昭和 28 年~昭和 44 年)等により造成され、これまで、水稲の湛水被害の軽減に寄与してきた。しかしながら、営農形態の変化等により、これら基幹水利施設の施設能力を上回る流出量が発生し、転作作物を中心に湛水被害が発生している。
 また、地区内の排水は、古川等を経て鶴家排水機場から旧北上川へ、旧古川排水路等を経て後谷地第1・第2排水機場から追波川へそれぞれ排水されているが、排水機場は、造成後相当の年数の経過による老朽化が著しく、施設の維持管理に多大な労力と経費を要している。
 このため、本事業では、新たな排水計画を構築するとともに鶴家排水機場、後谷地第1・第2排水機場及び旧古川排水路の改修を行い、湛水被害と維持管理の軽減を図る。 併せて、関連事業による区画整理を実施して営農の合理化を図り、地域の農業生産性の向上と農業経営の安定に資するものである。

(出典:国営中津山農業水利事業 事業誌 グラビア:あんしんを未来へ)

(2)事業概要

① 要旨
 本事業は、宮城県の北東部に位置する石巻市及び登米市にまたがる農地約3,190ha の排水改良を目的とするものである。
 このため、本事業では、新たな排水計画を構築するとともに排水機場(2ヶ所)及び排水路(L=3.1km)の改修を行い、湛水被害と維持管理の軽減を図る。併せて、関連事業による区画整理を実施して営農の合理化を図り、地域の農業生産性の向上と農業経営の安定に資するものである。

② 事業別面積
(出典:国営中津山農業水利事業 事業誌 P52)

③ 営農計画
 本地区の営農計画は、水稲を中心に、水田の畑利用として大麦、小麦、大豆等を組み合わせた複合経営を指向する。営農改善の方向としては、湛水被害の軽減、ほ場の大区画化・汎用化を図ることにより大型機械化体系を確立し、地域の農業生産性の向上と農業経営の安定を図る。

④ 排水計画
・計画基準雨量 3日連続雨量 161.5mm(1/10)
・計画排水方式 排水方式:機械排水
        許容湛水:地区内水田の80%を無湛水(5cm未満)
・計画排水系統
(出典:国営中津山農業水利事業 事業誌 P57)

・計画排水量
(出典:国営中津山農業水利事業 事業誌 P58)

・排水対策
 a)排水水門
  該当なし
 b)排水機
(出典:国営中津山農業水利事業 事業誌 P58)

 c)排水路
(出典:国営中津山農業水利事業 事業誌 P58)

・湛水検討
(出典:国営中津山農業水利事業 事業誌 P58)


(3)主要工事計画
① 排水機
(出典:国営中津山農業水利事業 事業誌 P59)

② 排水路
(出典:国営中津山農業水利事業 事業誌 P59)

(出典:国営中津山農業水利事業 事業誌 グラビア:環境との調和)

(出典:国営中津山農業水利事業 事業誌 グラビア:環境との調和)

(出典:国営中津山農業水利事業 事業誌 グラビア:国営中津山農業水利事業 概要図)



引用文献
1.国営中津山農業水利事業 事業誌


2023年2月1日公開