本地区は、宮城県の南部、亘理郡(わたりぐん)亘理町(わたりちょう)、山元町(やまもとちょう)にまたがる平坦な水田地帯で、東は太平洋、西は標高200メートル前後の阿武隈(あぶくま)高地、北は阿武隈川(あぶくまがわ)に接し、南北に長く、西から東に向かって穏やかに傾斜する平坦地に近い地形で、平均気温が約12℃と宮城県内で最も温暖な地域である。
東部の平地は阿武隈川と山地からでている小川の沖積した平地と太平洋の波によって堆積された海岸砂丘地からできている。阿武隈川が運搬し沈積した砂層の下には「スクモ」と称する泥炭層が存在する。
本地域の往古のかんがい用水は渓流水やため池などに依存していたが、地域の開発に伴い地区北側に位置する阿武隈川に水源を求め、亘理用水(わたりようすい)と岩地蔵用水(いわじぞうようすい)の2つの用水が開削されている。
亘理用水は地区の北端部から阿武隈高地裾野の高位部を南下しながらかんがいし、岩地蔵用水は地区の北東側をかんがいしている。新田開発などに伴いそれぞれの水路は延伸し、明治時代には本地区の北半分の水田はこの2つの用水によりかんがいされていた。
藩政時代には亘理邑主(ゆうしゅ)伊達氏の管理のもと、関係村々から人夫が出役して、潜穴の保護や水路の浚渫等が行われていた。
(1)亘理用水(亘理堰、小坂堰、鳩原用水)の開削
「亘理用水」の開削時期は諸説あり、『伊具(いぐ)郡誌』(伊具郡教育會、大正15年)には南北朝時代(1336~1392)、『亘理町史(上巻)』(宮城県亘理郡亘理町、昭和50年10月25日発行)には藩政時代、『亘理小史』(宮城県亘理郡亘理町、平成2年10月1日発行)には初代亘理領主・伊達成実(だてしげざね)(1568-1646;1602~亘理領主)の時代とそれぞれ記述されており、詳細は不明である。
「亘理用水」は、阿武隈川右岸沿いに阿武隈丘陵の北端を迂回して亘理方面へかんがいしていたことから「亘理堰(わたりぜき)」と呼ばれ、亘理郡の旧村である小山(こやま)村、田沢(たざわ)村、下郡(しもごおり)村、上郡(かみごおり)村、神宮寺(じんぐうじ)村、鹿島(かしま)村、中泉(なかいずみ)村、高屋(こうや)村、長瀞(ながとろ)村、吉田(よしだ)村、小堤(こづつみ)村(以上、現 亘理町)、八手庭(はでにわ)村(現 山元町)の12カ村にかんがいしていた。
取水口を阿武隈川右岸の伊具郡東根(ひがしね)村小坂(おさか)(現 角田市小坂)に設けていたので「小坂堰(おさかぜき)」とも呼ばれていたが、明治16(1883)年に取水口を下流の伊具郡鳩原村(はとばらむら)(現 角田市鳩原大谷地付近)に移設してからは「鳩原用水(はとばらようすい)」と呼ばれるようになった。
明治23(1890)年の『水利組合条例』の制定を受け、明治24(1891)年に設立された「鳩原注入用水普通組合」における関係面積は856.5町歩、用水路の延長は10,418間(約18.9km)であった。
(2)岩地蔵用水の開削
「岩地蔵用水」の開削時期は、『亘理町史(上巻)』には「この用水の起源は中世(弘治(こうじ)1555~1557年)といわれているが確証はない」と記述されており、また『亘理小史』には「この用水の起源は中世の康治(こうじ)二(1143)年と言われているが、詳細は分かっていない」と記述されており、こちらも詳細は不明である。
「岩地蔵用水」は、阿武隈川右岸の田沢村(現 亘理町逢隈(おおくま)田沢)の稲葉の渡し(いなばわたし)(昔の要路であった東街道(あずまかいどう)の船着場)にある岩地蔵(田沢磨崖仏(たざわまがいぶつ))の下に潜穴(せんけつ)を穿(うが)ち、これによって阿武隈川の水を注水し用水としたことから、「岩地蔵用水」と称された。当時の用水区域は、亘理郡の旧村である牛袋(うしぶくろ)村、十文字(じゅうもんじ)村、榎袋(えのきぶくろ)村、鷺屋(さぎや)村、蕨(わらび)村、高屋(こうや)村、高須賀(たかすが)村(以上、現 亘理町)の7カ村であった。
明治23(1890)年の『水利組合条例』の制定を受け、明治24(1891)年に設立された「岩地蔵注入用水普通組合」における関係面積は、656.5町歩、用水路の延長は1,200間(約2.2km)であった。
(1)鳩原注入用水(亘理)普通組合掛り
大正12(1923)年には、取水口に小山揚水機(原動機は蒸気機関)が新設されるとともに、逢隈(おおくま)村中泉(なかいずみ)、小山、下郡の一部、亘理町町東(まちひがし)(以上、現 亘理町)、吉田村浜谷地(はまやち)(現 山元町)が編入され、かんがい面積は1,025町歩となった。
昭和に入ると、かんがい用水を堤やため池だけに依存していた山下(やました)村(現 山元町)においても、揚水かんがいの必要性を痛感し、水路の延長を鳩原注入普通水利組合に請願したことから、昭和9(1934)年1月から県営鳩原用水改良事業により、吉田村原添(はらぞえ)(現 山元町)から山下村鷲足(わしあし)(現 山元町)まで用水路を延長し、小山揚水機の原動機がディーゼル機関に変更された。
昭和10(1935)年には県の補助金を活用し、山下村鷲足から高瀬新浜(たかせしんはま)(現 山元町)まで用水路を延長し、これにより亘理郡内の大半の水田がこの用水によりかんがいされることとなった。
坂元村(現 山元町)も水路の延長を希望したことから、昭和17(1942)年度には県営亘理用水改良事業が実施され、小山揚水機場の原動機がモータに変更されるとともに、ポンプの更新と増設(2台)が行われ、さらに吉田村原添に山下揚水機場が新設された。
(2)岩地蔵注水用水普通組合掛り
取水口は、明治19年には随時開閉ができるように木造樋管として整備され、明治33年には石造に変更された。用水路は、明治35(1902)年から行われた事業により、幹線用水路1,239間(約2.25km)が石積護岸に5か年かけて整備された後、分水路の整備も行われ、昭和6(1931)年にすべての用水路1,618間(約2.9km)が完成した。
(1)排水改良事業
地域内の排水先は、海岸線沿いに点在した鳥の海(とりのうみ)、牛橋(うしばし)、笠野(かさの)、新浜(しんはま)などの入り江となっており、降雨時には流出水が低位耕地に氾濫し、また鳥の海河口以外の各入り江は、漂砂によって河口閉鎖の頻度が高く潮汐の影響を受け、常に湛水する状態であった。
そのことから、昭和28(1953)年度、県営亘理排水改良事業として着工したが、事業の重要性が認められ、昭和34(1959)年度には国営亘理農業水利事業、国営附帯県営亘理排水改良事業、国営附帯団体営亘理灌漑排水事業(亘理土地改良区)に区分された。
排水計画は、従来の鳥の海水系、牛橋水系、笠野浜水系、新浜水系の4排水系統のうち、笠野浜水系、新浜水系を牛橋水系に統合し、2排水系統(鳥の海水系、牛橋水系)とし、潮位の影響により自然排水が不可能な低位部は機械排水することとした。
工事が進むにつれて、湛水や冠水などの被害がなくなり、塩害は皆無となった。湿田は乾田となり、農業機械の導入が容易になった。また、米作のみならず蔬菜、施設園芸作物など多角的営農が可能となった。
① 国営亘理農業水利事業(排水改良)
② 県営亘理排水改良事業(国営附帯県営亘理排水改良事業)
(2)湛水防除事業
国営亘理農業水利事業等による排水改良により、排水条件が大きく改善されたが、海岸線に点在する入り江周辺の低湿地帯である坂元(さかもと)、荒浜(あらはま)、笠野(かさの)、吉田(よしだ)地区においては、排水改良事業完了後、湾内などに土砂が堆積するなどにより排水能力が低下して湛水被害が増大していたことから、湛水被害の防止等を目的に排水機場の新設などの湛水防除事業が行われた。
(3)かんがい事業
①県営亘理用水改良事業
地区内の用水は、昭和17(1942)年度から行われた県営亘理用水改良事業により整備されていたが、昭和28(1953)年度から行われた国営亘理農業水利事業などによる排水改良事業により、用排分離による乾田化が進み、それ以後用水量が増大し、常に用水不足をきたすようになっていた。
昭和43(1967)年、用水系統を再編し、小山地点から自然取水し、岩地蔵地点から機械揚水するなど、取水位置の変更・用水施設の改良を目的に、県営亘理用水改良事業に着手した。
他方、用水源である阿武隈川の下流部においては、河床低下に伴い、昭和30年代後半から徐々に水位が低下し、昭和40年代に至っては計画用水位を下回る頻度が多くなり、小山地点においては取水できなくなるなど、農業用水および工業用水の安定した取水が危ぶまれる状況となっていた。このことから、東北地方建設局、県土木部、県企業局、県農政部において協議を重ね、河道の安定、農業用水および工業用水の取水の確保を目的として阿武隈大堰(あぶくまおおぜき)の建設事業(建設省(治水72.5%)、宮城県(農業用水18.5%)、大昭和パルプ(工業用水9%)の共同事業)が昭和48(1973)年度~昭和57(1982)年度に行われた。
この阿武隈大堰の建設に伴い、岩地蔵地点の取水が安定的になったことを踏まえ、小山地点からの取水を取りやめ、岩地蔵地点において統合して取水し、自然取水が困難な地域(1,875ha)に対しては新たに揚水機場(岩地蔵揚水機場)を設置しかんがいする計画に変更した。
②国営亘理・山元農業水利事業
地区内のかんがい排水施設は、前述の用水改良事業や排水改良事業により整備されたが、ゲートや分水施設は塩害や経年変化による老朽化により、適正な用水配分や降雨時の迅速かつ効率的な排水が困難な状況であった。
このことから、用水供給の安定および用排水管理の合理化を図ることを目的に、老朽化した用排水施設の改修と水管理施設の整備がなされた。
(4)国営農地再編整備事業
本地域は、耕地整理事業が他地域に比べ低迷していたことから、「土地改良法」制定以降、昭和34(1959)年度から平成3(1991)年度にかけて、団体営の区画整理事業、ほ場整備事業が積極的に行われ、平成4(1992)年度からは県営ほ場整備事業も行われている。
平成7(1995)年度には、既耕地等を再編整備する区画整理と水田の地目変換による農地造成(畑)を一体的に施行する、国営農地再編整備事業が行われ、水田においてはパイプライン方式が採用され、加圧機場が整備された。造成された畑においては、大型ハウスを導入したいちごの栽培が行われた。
(5)県営海岸保全施設整備事業
地区の東側は太平洋に接しており、砂で築堤された海岸堤防(標高2.20m~2.50m)は台風時には越波によって破堤されることがしばしばあった。
「海岸法」の施行とともに、昭和33(1958)年4月1日に、仙台湾沿岸、亘理海岸、亘理山元地先海岸は農地海岸に指定された。亘理山元両町にまたがる延長5,627.5mについて、海岸保全事業「亘理地区」として、堤防工(パラペット天端6.20m)を施工するほか、海岸堤防を保護するために離岸堤を施工している。
また、亘理町の鳥の海囲繞堤も「鳥の海地区」として、昭和33(1958)年4月、仙台湾沿岸、亘理海岸御狩屋、吉田浜海岸を農地海岸に指定し、延長3,976.5mをパラペット天端3.00mとして施行している。
本地域は、夏季が比較的冷涼、冬季は温暖で、平均気温が約12℃と宮城県内で最も温暖な地域である。また、鉄道や国道、高速道路が整備され、消費地へのアクセスが良いなど恵まれた立地条件にあり、古くから農業の盛んな地域である。特徴としては、野菜の生産額が米を上回っており、その大半がいちごである。
<主な農産物>
亘理町:米、いちご、りんご、花き、乳牛
山元町:米、いちご、ねぎ、いも、りんご、にわとり
平成23年3月11日に発生した東日本大震災の甚大な被害に対して、国営造成施設の大畑浜排水機場と県営造成施設の長瀞浜排水機場の復旧、国営造成施設の鎧川排水路等13路線の復旧、および国営農地再編整備事業を中心に造成された11揚水機場の復旧は、国直轄の亘理山元地区直轄特定災害復旧事業として実施された。
さらに、鳥の海地区、吉田浜地区、須賀地区の農地海岸堤防等の復旧工事については、宮城県知事から農林水産大臣への災害復旧事業の代行要請に基づき、国代行の亘理・山元農地海岸特定災害復旧事業として実施された
国営直轄事業および国代行事業で対象とならなかった水利施設や農地等の復旧については、県営災害復旧事業等にて実施している。
(1)亘理山元地区直轄特定災害復旧事業
(2)亘理・山元農地海岸特定災害復旧事業
外洋堤防である吉田砂浜海岸および須賀海岸については、堤防の決壊により高潮時の浸水が想定されたため、梅雨時期までに汀線がさらに浸食される懸念のある箇所(990m)に宮城県が平成23年6月末までに仮締切堤を施工した。
次に、台風期の波浪に備え、同年9月末までに、吉田砂浜海岸、須賀海岸5.8kmのうち居住可能な家屋が残っている箇所や地域生活の復旧・復興のために不可欠な公共施設を保存する箇所の4.6kmを対象として、県からの災害復旧の代行申請を受け、農林水産省(東北農政局)が9月までに応急仮堤防(堤高T.P.5.0m、天端幅3.0m)を施工した。
海岸堤防の本格復旧に当たっては、『粘り強い構造』の基本的な考え方として、①勾配を緩やかにすることで水の勢いが減り、洗堀が防止される、②ブロックを上下かみ合わせ構造にすることで、堤体が凸凹になるのを防ぎ、流れによる力を受けにくくする、③地盤改良による地盤の強化により、裏法尻部の洗堀を防止する、などの構造上の工夫がなされた。
(1)「仙台いちご」の復活
亘理町・山元町は東北一のいちご産地として、「仙台いちご」のブランドで生産出荷していたが、東日本大震災に伴う津波により、いちごほ場も壊滅的な被害を受けた。
いちご生産の復興が地域全体の農業復興を推し進めるシンボルになるとして、最新鋭設備を備えたハウス団地(高設養液栽培)や選果場が再整備され、平成25年11月には本格的な出荷が再開された。震災以降には複数の農業法人も設立され、高収量が得られ管理も楽な高設養液栽培の導入により、いちごの農業産出額も着実に増加している。
引用文献
1.亘理土地改良区史(亘理土地改良区、令和5年3月発行)
2.宮城県土地改良史(宮城県、平成6年3月10日発行)
3.伊具郡誌(宮城県伊具郡教育會、大正15年)
4.亘理町史 上巻(宮城県亘理郡亘理町、昭和50年10月25日発行)
5.亘理小史(宮城県亘理郡亘理町、平成2年10月1日発行)
6.農林水産省ホームページ
2026年10月23日公開