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(写真出典:※1)

1.干拓以前の八郎潟
2.国営干拓事業による大地の創造
3.大潟村の誕生 ~地域社会の発展
4.国営総合農地防災事業「男鹿東部(一期・二期)地区」
5.国営造成土地改良施設整備事業「馬場目川下流地区」
6.国営かんがい排水事業(流域水質保全型)「八郎潟地区」
7.大潟村農業の展開 ~豊穣の大地を未来へ~
8.国営事業の概要


1.干拓以前の八郎潟



干拓前の八郎潟※2
 八郎潟は、秋田県の中央西部、男鹿半島の付け根に位置し、県内最大の二級河川である馬場目川(ばばめがわ)をはじめ三種川(みたねがわ)など多くの中小河川が八郎湖に注いでいる。秋田県は、全域が積雪寒冷地帯及び豪雪地帯に指定されている日本有数の多雪地帯であるが、対馬暖流の影響を受ける本地域は、冬季でも比較的温暖で降雪量も少ない。干拓前の八郎潟は、総面積約22,000haと琵琶湖に次ぐ日本第二位の広さを誇る湖であった。日本海と船越水道で直結した汽水湖で、周囲78km、最大水深4.5m、平均水深3.0mと浅く、岸からよく藻が茂り、淡水魚、海水魚など約70種類の魚介類の宝庫であった。
 考古学的には3~4千年前から淡水化が始まり、人間も住んでいたことがわかっている。また、平安時代には、八郎潟周辺にいくつかの村落があったことが記録に残っており、このころ八郎潟は大方(おおがた)とよばれていたようである。
 古い歴史をもつ八郎潟には多くの伝説が残り、その一つに「八郎太郎伝説」がある。大蛇となった八郎太郎は、十和田湖において南祖坊との戦いに敗れ、八郎潟にその身を隠した。八郎潟が厚い氷に閉ざされる冬になると、八郎は雄物川を上がり、田沢湖に移った。そこにはやはり蛇神の辰子姫が住んでおり睦まじい生活を送ったという。「八郎太郎」の伝説は、この地域のいくつかの村に残っており、いまも八郎太郎をまつる「太郎権現」や、八郎太郎が八郎潟をつくる際に助けた老婆をまつる「うば御前神社」が八竜町(現三種町)にある。

八郎潟沿岸の村【藩政期】※1
【藩政期】
 藩政期の前半、八郎潟沿岸の村々では新田開発が活発に進み、湖岸に30ヶ村の村が数えられた。この時期、潟東部の7~19の村において、石高の50%が新田であった。これらの村は、水田を主とする農村であったが、八郎潟の漁業も生活の支えとしていた。
 八郎潟の漁法は、大別すると建網〈たてあみ〉、曳網(ひきあみ)、刺網(さしあみ)、旋網(まきあみ)、延縄(はえなわ)などであり、冬季、厚い氷に覆われると、氷下曳網漁が行われた。
 また、八郎潟は重要な交通路であった。藩政初期あるいはそれ以前から、木材は馬場目川から潟を通り、船越から日本海を廻送され土崎(現秋田市)へ集められていた。

【明治以降】
 潟周辺の住民はもとより、藩の経済・交通の上からも八郎潟の存在は大きかったといえる。そして八郎潟のそのような姿は、交通路としての役割がなくなるなど、多少の変化はあったとしても、昭和33年の八郎潟干拓事業着工まで連綿として続いていた。
 明治に入って、八郎潟の開発計画はたびたび発案され、明治5年の秋田県令島義勇による八郎潟開発構想、大正13年の農商務省可知貫一の八郎潟土地利用計画、昭和16年には、内務省金森誠之の八郎潟工業地造成計画や農林省師岡政夫の八郎潟干拓計画書等が立案されたが、いずれも実施に至らなかった。
 戦後、食糧危機が極みに達した昭和23年農林省狩野徳太郎らの八郎潟干拓国営事業計画を策定したが、財政その他の事情により実現しなかった。


2.国営干拓事業による大地の創造



 戦後の食糧不足等を解消するため、昭和27年、農林省が食糧増産5ヵ年計画※を策定したのと歩調を合わせて、昭和27年7月東北農地事務局八郎潟干拓調査事務所が秋田市に設置され、現地での調査・調整を進めるとともに、ヤンセン教授の来日(ヤンセンレポートの提出)などオランダの技術協力を得て事業計画が完成し、昭和32年に着工の運びとなった。(※食糧で正解)
 その後、工事は干拓堤防の築造に始まり、昭和36年の防潮水門の完成、昭和38年の南北両排水機場の完成と順調に進み、昭和41年の中央干拓地の全面干陸を経て昭和43年に基幹建設工事は殆ど完了した。
干拓後の八郎潟※2
 また、社会基盤整備については昭和39年には新村「大潟村」が誕生し、昭和40年「八郎潟新農村建設事業団」が設立され、大潟村の農業基盤整備、農家住宅、役場、学校、上下水道及び農業施設の建設その他の事業が進められた。
 一方、昭和35年頃から日本の高度経済成長が顕著となり、農村の過剰人口の太平洋ベルト地帯への流出が進むとともに、農村では技術革新が進んでコメの生産量が増大し、食糧増産はその重要性を失った結果、八郎潟干拓は「モデル農村建設」へと目標を大転換させた。その結果、干拓計画当初は一戸当たり2.5ha、4,700戸の入植が想定されていたが、昭和49年の第5次入植段階では一戸当たり15haの配分となった。
 社会情勢の変化にともない、建設途中において大きな変更もあったが、着工以来20年の歳月と852億円の巨費を投じた大事業も昭和52年3月全面完了した。
 その間、昭和43年には第一次入植者によって、初稲が収穫され昭和49年度の第5次入植者までの580戸と昭和53年度県単事業での入植者9個を合せ、合計589戸が大潟村に新たに入植した。


3.大潟村の誕生 ~地域社会の発展



 大潟村は、1964年10月に新設の地方自治体として発足した。
 発足当初6世帯14人での住民から始まった大潟村は、昭和42年の第一次入植者56戸の入植を皮切りに、翌年の昭和43年から昭和45年までの第二次から第四次入植まで毎年続き入植者総数は460戸に達した。
 しかし、昭和44年頃を境に国の農政はコメの生産抑制へと大きく方向を転換し、昭和45年からはコメの減反政策が始まった。この結果、大潟村への入植も中断し、昭和49年の第五次入植者120戸を最後として入植が打ち切られた。その後、昭和53年の県営事業による方上地区入植者9戸が入村し、入植者総数589戸によって農業が営まれるようになった。
 しかしながら、干陸後まもない営農の段階で、ほ場条件が不安定で不均一、天候不順等の悪条件が重なり、入植者は経営に安定を第一義に次第に移植方式(手植え)への依存度を高めていった。その後、田植機の多条化、高性能化とも相まって、現在ではほとんどの米作農家が機械移植を行っている。
 また、入植当初は、営農組織として6戸による協業経営が基本となっていたが、農家の経営安定が進むにつれ、個別経営に変化していった。

大潟村の農業指標の推移
(資料:農林業センサス(1980年、2000年、2020年))


4.国営総合農地防災事業「男鹿東部(一期・二期)地区」



 国営八郎潟干拓事業により建設された農業水利施設は、築造後40年近くにわたりその機能を発揮してきたが、その間、日本海中部地震(1983年5月)などの大地震、中小規模の洪水及び常時の波浪、塩水等の影響を受け、施設の劣化、老朽化が進行した。
旧防潮水門の施設機能低下の状況
(スケッチ)※1
 特に基幹施設である防潮水門、南部排水機場、北部排水機場における機能低下が著しいことから、平成3年7月に「八郎潟基幹施設調査検討委員会」が設置され、現地調査、施設の管理記録簿等既存資料の分析、構造物の劣化、老朽化等の実態調査に取り組んだ。
 「八郎潟基幹施設調査検討委員会」は平成3年7月から平成5年3月にかけて6回の委員会を開催し、検討の過程においいて基幹施設の劣化、老朽化及び地震による機能低下、基礎地盤の大幅な支持力低下などの実態が明らかとなり、速やかな対応が必要であるとの結論に至った。このことから、国営総合農地防災事業「男鹿東部地区」の実施により、「平成4年度八郎潟基幹施設調査検討業務」によって、旧防潮水門の機能調査が行われ、以下の項目について機能の低下が明らかにされた。

①旧防潮水門の施設機能低下の状況
○ 水門本体工の劣化、損傷
◎ 堰柱の亀裂(1~3m)が無数に発生し、遊離石灰の滲出あり
◎ 固定堰、魚道と堰柱取付部(旧天王町側)に大きな亀裂(30~40mm)
◎ ゲート戸当り部のコンクリート劣化、浸食、漏水大
◎ 導流壁魚道、管理橋コンクリートの剥離、浸食
◎ コンクリート中性化の進行
◎ 水叩き、護床工の沈下
○ ゲート機器類の損傷
◎ I型門扉のガイドローラー、サイドローラーの腐食
◎ 戸当り、開閉器の発錆による損耗等全体的に老朽化(その他の門扉)
◎ II型門扉、閘門、魚道ゲート及び戸当金物の著しい腐食
◎ 制御機器類の著しい劣化
○ 河床の洗堀
◎ 水門の上流1ヶ所(左岸側)、下流2ヶ所(左岸側)に大きな洗堀(2.0~5.0m)
○ 水門基礎支持力の低下
◎ 建設当初の基礎地盤N値=12程度であり、直接基礎地盤として良好とはいえない。また、既存の河床材の粒度試験から、細砂で粒度が均質であるため液状化の発錆しやすいことが予想される。
 その後、「平成6年度男鹿東部防潮水門設計業務」において、水門支持力の低下に関連して、堰体の安定性に対して検討を行った結果、地震時の滑動に対して安全性に欠けると推定された。

②新防潮水門設計・施工にあたっての検討事項
新防潮水門※1
 旧防潮水門の完成後約40年を経て、設計・施工に関する技術の進捗を含め、周辺地域の市街化の進展、住民の環境に対する意識の向上等、防潮水門を取り巻く環境は大きく変化しており、新防潮水門の計画・設計に際してはこれらの新たな課題への対応が求められた。
 新防潮水門の計画・設計にあたり特に留意した課題は次のとおり。
○ 水門位置について
船越水道は砂州の狭窄部に設置されており、近年、市街化が進んだことから、旧防潮水門より日本海側では設置が難しい。また、直上流にも排水路があり、旧防潮水門を供用したままでの工事となること、新防潮水門完了後は旧防潮水門を撤去する必要があることから、比較的基礎地盤の安定している旧防潮水門の直上流(20m)に設置することした。この結果、水門操作が煩雑となったが、同一締め切り内で設置・撤去が行えること、旧護床工の転用が可能となり、工期・経済的に有利な位置とした。
○ 環境への配慮
新防潮水門の計画・設計にあたり、以下のように環境に配慮した。
・ゲート巻き上げ室や遠隔操作室の外観について、周辺景観に配慮したデザイン、色彩とした
・魚道について、階段式魚道の隔壁を可動式とし、越流水深を一定に調節することにより、回遊魚の遡上に配慮するとともにカニロープを設置した。
・魚類の専門家の意見を聴いて、ゲートの色を魚類に配慮した色彩とした。
・民家、学校が近いため、騒音に注意した施工工計画とした。
○ 基礎について
旧防潮水門の基礎には松丸太(φ18cm、L=5m)が用いられており、これまで堰体の安定に寄与していたと推察される。しかし、木杭であることから、これからの長い年月において所要の機能の保全に問題がある。また、基礎が深い位置まで液状化の恐れがある地盤となっていることから、新防潮水門では永久杭を強固な洪積砂礫層まで打ち込み、堰体を支持することとした。

③南部排水機場及び北部排水機場の機能低下の状況
○ 機場本体の劣化、損傷
◎ モーター室床に無数の亀裂発生
◎ 吸水槽、吐出側導流壁のコンクリート劣化、剥離(42~45mm)
◎ 排水路側法枠コンクリートの劣化と基礎部分損傷[南部排水機場]
◎ 吸水槽土留壁の目地部のズレ、隙間(50~55mm)、はみ出し(13~15mm)[北部排水機場]
◎ コンクリート中性化の進行(20~30mm)
◎ 上屋外壁の亀裂、屋根防水劣化(雨漏り)
◎ 吐出函渠のジョイント部に3cm~10cm程度のズレが生じており、その一部から漏水
◎ 埋戻土のN値が、施工当時(N=37~39[南部]、11~50[北部])に比べ、大幅に低下(N=1~3[南部]、1~2[北部])
○ ポンプ機器類の機能低下
◎ ポンプ羽根車の抉れ、孔蝕、摩耗(新設時の羽の肉厚35mm→抉れの深さ13~19mm)
◎ 回転軸芯に5~40[南部]、10~70[北部]ミクロンの芯ズレ。また、過去に5,000ミクロンの軸変位量があり、モーター軸受架台のボルト穴を切削し、約5,000ミクロンの架台移動調整しており、既に調整代がない状態。
◎ 電動機巻線の絶縁劣化
◎ 制御機器の劣化

南部排水機場の劣化状況(スケッチ・写真)※1
北部排水機場の劣化状況(スケッチ)※1
④南部排水機場及び北部排水機場の設計、施工にあたっての検討事項
○ 新機場の位置について
  旧南部排水機場は、西部承水路が調整池に合流する地点にあり、干拓以前は八郎潟の潟内であった。旧南部排水機場の建設にあたっては、140m×140mの範囲の深さ6mの土砂を浚渫船で掘削し、周囲50mの幅にわたって盛土し築島された地盤に造成されている。また、旧南部排水機場には、西部承水路用のポンプも設置されていることから、新南部排水機場の位置の検討では、施工工程上の問題と経済性により、中央幹線排水路の右岸側から左岸側に移設している。
  旧北部排水機場は、大潟村の北東部で東部承水路に面しており、当時、水深約4mの箇所に盛土し、築島された地盤に造成されている。
  新北部排水機場の位置の検討にあたっては、中央幹線排水路と既存施設の移設等を考慮し、旧機場の南側に移設している。

新南部排水機場※1
新北部排水機場※1

○ ポンプ台数及び吐出量の検討
  ポンプ設備の台数割及び吐出量は、常時排水の有無、ポンプの運転頻度、ポンプ故障時の危険分散を考慮して、ポンプ場の建設、運転管理が合理的かつ経済的になるようにポンプの台数割を決定し、これを基にポンプ吐出量を決定した。

ポンプ規格等※1


5.国営造成土地改良施設整備事業「馬場目川下流地区」



 本地区は、秋田市の北方約20kmに位置する穀倉地帯であり、国営八郎潟干拓事業(S33~S45)により造成された取水口、用水路により地区内に配水している。
 しかしながら、寒冷な気象条件等による用水施設の老朽化に伴う機能低下により、施設補修等の維持管理に多大な労力と費用を要している状況にある。
 このため、本事業では、取水口10ヶ所、排水機場1ヶ所の改修による機能回復を図ることにより、農業経営の安定を図るものである。


6.国営かんがい排水事業(流域水質保全型)「八郎潟地区」



 本地区の農業水利施設は、国営八郎潟干拓事業(昭和32年度~昭和51年度)等により整備されたが、経年的な施設の劣化により、取入口においてはサイホン管の孔食、用水路においては、コンクリート構造物の欠損や鋼構造物の腐食及び不同沈下、排水路においては法面の崩落が発生するなど、農業用水の供給及び排水機能の維持に支障を来しているとともに施設の維持管理に多大な費用と労力を要している。
 また本地区の農地は、降雨形態の変化に伴う流出量の増加により、湛水被害が発生している。さらに水源としている八郎湖は、水質の悪化に伴い湖沼水質保全特別措置法に基づく指定湖沼の指定を受け地域全体で水質保全の取組が行われている。
 このため、本事業では、取入口、幹線用水路及び支線排水路の改修と幹線排水路及び支線排水路の拡幅を行い、併せて関連事業において小用水路の改修を行うことにより、農業用水の安定供給、排水機能の維持、施設の維持管理の費用と労力の軽減及び温水被害の軽減を図り、農業生産性の向上及び農業経営の安定に資するとともに、農業水利施設の改修に併せて、水質保全機能の増進に資する農業水利施設を整備することにより、農業用水の水質保全を図り、流域の水質保全にも資することを目的として実施中である。


7.大潟村農業の展開 ~豊穣の大地を未来へ~



 八郎潟干拓事業は、主要食糧(米)の増産を目的に着手されたこともあり、当初は1戸当たり「10haの水稲単作経営」の営農が行われた。しかし、第一次入植の営農開始後間もない昭和45年に米の生産調整が始まり、水稲単作経営での入植は第四次入植で中断し、昭和48年に営農計画が「当分の間、田と畑の面積をおおむね同程度とする15ha規模の田畑複合経営」に変更された。従って、第一から四次入植者には5haを追加配分して15haに、第五次入植者には15haの農地配分が行われた。
 一方、干拓地の土壌は、極めて排水の悪い重粘土質土壌で畑作には不向きな土壌条件であった。それに加え、栽培する畑作物は、面積規模から麦・大豆等の土地利用型作物が主体となり、単位面積当たりの収益性は米と比較してはるかに低いうえ、畑扱いであったため、転作奨励金の対象外であった。
 こうした中、一部の入植者が国の指導に反発して稲作上限面積を超えて稲を作付けし、国の是正指導で青刈りするという、マスコミ等で全国的に報道された事態に至り、大潟村としては、排水対策を主体とした畑作に対する各種補助事業制度の導入を図りながら、国に対して「15ha全面水田取り扱い・県内一般農家並みの転作率」の実現について再三にわたって要望活動を展開し続け、ようやく、平成2年に15年間を要して全面水田としての取扱いが認められた。
 この間も、年々稲作上限面積を守らない農家が約半数まで増え続け、こうした農家による自由米流通の急激な増加とマスコミ等で全国的に報道された昭和60年の不正規流通米検問など、様々な問題が発生した。このことは、入植農家間に大きなしこりを残した。
 このように農政に翻弄された大潟村であるが、現在では、国による生産数量目標の配分も廃止され、各自が需要に応じた米の生産をしており、環境保全型農業や都市と農村との交流に取り組みながら、八郎潟干拓事業の目的であった豊かな新農村の創造に向けて新たな村づくりを展開している。

●大潟村農業の多様な取り組みの状況

①水稲の作付け状況
 平成22年度からの戸別所得補償制度の開始を契機に加工用米(米粉など)による米転作が拡大し、全国有数の産地となった。経営所得安定対策に移行した平成25年度以降も定着し、現在も取組が続いている。

②加工用米・新規需要米の取組
 主食用米の国内需要量が減少傾向にある中、大潟村では米の多様な利活用を推進し、加工用米や新規需要米の取組みを実施している。
 新規需要米(米粉用米・飼料用米)については、米粉を利用した6次産業化など需要に応じた生産を行っている。また、加工用米については村内の加工用米集出荷団体が実需者との結びつきを強め、もち米を中心に平成22年から生産面積が拡大し、継続している。

米転作の状況※3

③環境保全型農業の取組
 大潟村では、1980年代半ばに有機農業の取組みが始まり、90年には農薬の空中散布を中止し、全国に先駆けて無農薬栽培、有機栽培が拡大している。
 その背景には、干拓により誕生した大潟村の肥沃な土壌条件が大きく関係している。

ア.大幅な減肥を可能とした理由
・ 大潟村の土壌は窒素やカリ、リン酸、ケイ酸、カルシウム、マグネシウムなど、作物に必要な土壌養分が多いため。
・ カリなど灌漑水から供給される養分が多いため。
・ 稲わらなどの有機物が土壌に還元され、土壌養分として蓄積されるなど、養分の天然供給量が豊富であるため。
イ.いもち病の発生が少ない理由
・ 比較的風が吹く日が多く、いもち病菌が好む多湿条件になりにくいため。
・ ・ 稲体のケイ酸含有率が高く、硬い体質になるため、いもち病菌に冒されにくいため。

 このようなことから、現在でも大潟村では多くの農家が有機栽培、減農薬・減化学肥料栽培(化学肥料及び化学合成農薬を慣行レベルから5割以上削減)の取組を行っている。なかでも有機農業の取組面積は、労働力の不足等により減少傾向にあるものの、全国1位の面積を誇っている。

有機栽培の実施者・取組面積※3

④畑作・高収益作物の取組
 田畑複合経営により、稲作を主体に畑作では小麦、大豆をはじめとしてメロン、南瓜、タマネギ等に取り組まれるようになり、特に南瓜加工のパンプキンパイは市場でも高い評価を受けて、村の特産品になっている。
 また、平成30年から機械化による大規模な生産を始めたタマネギは、年々反収・品質が向上しており、今後更なる規模拡大が見込まれる。

タマネギ(作付け状況)※3
タマネギの集出荷施設※3

⑤農産物・加工品の輸出への取組
 農林水産物の輸出にオールジャパン体制で取組む方針を国においても示している中、大潟村産の農産物及び加工品を中心に輸出に向けた取組みを推進していくため、大潟村農産物・加工品輸出促進協議会を平成28年度に立ち上げ、国・県・JETROと連携し、主力商品である米及び米の加工食品(グルテンフリーパスタやソース、米粉ミックス、米粉皮餃子)を中心に国内外の展示会へ出展し、海外への売り込みを行っている。
 また、令和3年度には、秋田県内初となるパックライス工場が完成し、更なる輸出の拡大が期待されている。


8.国営事業の概要



(1)国営総合農地防災事業「男鹿東部地区」
 地区名: 男鹿東部地区
 関係市町村: 男鹿市(旧男鹿市、旧若美町)、潟上市(旧昭和町、旧飯田川町、旧天王町)、
山本郡三種町(旧琴丘町、旧山本町、旧八竜町)、南秋田郡五城目町、井川町、
大潟村
 受益面積: 12,810ha
 主要工事: 防潮水門 1ヶ所、排水機場 2ヶ所(南部排水機場、北部排水機場)
 事業費: 293億円
 事業期間: 平成8年度から平成19年度


(2)国営造成土地改良施設整備事業
 地区名: 馬場目川下流地区
 関係市町村: 南秋田郡大潟村
 受益面積: 11,762ha
 主要工事: 排水機場 1ヶ所(浜口機場)、用水取入口 10ヶ所
 事業費: 30億円
 事業期間: 平成14年度から平成18年度


(3)国営かんがい排水事業(流域水質保全型)
 地区名: 八郎潟地区
 関係市町村: 南秋田郡大潟村
 受益面積: 11,733ha
 主要工事: 用水取入口 5ヶ所、幹線用水路 93.6km、幹線排水路 4.1km、
支線排水路 7.0km、水管理施設 1式
 事業費: 488億円
 事業期間: 令和3年度から令和24年度

八郎潟地区 一般計画平面図※2


引用文献
1.東北農政局男鹿東部農地防災事業所「豊饒の大地を未来へ-事業誌編」
2.東北農政局八郎潟農業水利事業所「事業概要書」
3.「大潟村 農業の紹介2023年版」 大潟村ホームページ掲載

2025年11月20日公開