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最上川下流沿岸農業水利事業(H13~H23)


最上川下流右岸農業水利事業(S33~S45)
最上川下流農業水利事業(H5~H13)

1.地域の沿革
2.関係市町の概要
3.地域の自然条件
4.農業開発・水利開発の歴史
5.古の水利開発と昭和以降重層的に実施された国営事業及び県営事業
6.国営かんがい排水事業 「最上川下流沿岸地区」の工事内容



東北→山形県→庄内地域
(出典:山形県HP山形県の紹介 山形県について)



最上川下流沿岸概要図
(出典:流れを紡ぐ 最上川下流沿岸地区事業誌 口絵)


1.地域の沿革



鳥海山
(出典:流れを紡ぐ 最上川下流沿岸地区事業誌 P331)
月山
(出典:庄内町観光情報サイト 庄内町観光ライブラリー)
 本地域は、最上川の下流に展開する酒田市、鶴岡市及び東田川郡庄内町の2市1町にまたがる水田12,582haの地域で、「庄内平野」と呼ばれる日本でも有数の穀倉地帯である。
 本地域を流下する「母なる川」最上川は、山形県では最も大きな河川で、全国では7番目の長さを誇る。
 庄内平野の米づくりは弥生時代頃から始まったといわれている。
 本格的に稲作を奨励し、積極的に領外に庄内米を出したのは、酒井忠勝が信濃松代から庄内に移された1622年以降のことであり、最上川から引かれた豊富な水と、豊かな土、米づくりに最適な気候に恵まれた庄内平野では領主酒井公により、「日本を支える米蔵」として積極的に米が増産されたため米の一大生産地となり、また京都と北海道を結ぶ海運の要衝ということからも全国に「庄内」の名が知れ渡った。
 一方、庄内の稲作農家は稲作に対する探求心が旺盛なことから、新品種の選抜や栽培技術の改善にも積極的に取り組んだ。庄内町に生まれた阿部亀治は良食味米のルーツとして名高い「亀ノ尾」を生み出した。そのDNAは、はえぬき、つや姫、雪若丸へと受け継がれ、日本の米の歴史を語るになくてはならない存在となっている。なお、「亀ノ尾」は今も日本酒の原料として大切に育てられている。


2.関係市町の概要



 酒田市は、山形県の北西部、庄内地方の北部に位置し、北は東北第2位の頂を有する鳥海山を望み、東は出羽丘陵を背にし、南は庄内平野の中央に達し、西は日本海に面している(写真上は春の鳥海山と田植え)。
 鶴岡市は、山形県の西部に位置し、南部は新潟県に接している。北部には庄内平野が広がり、赤川、大山川、京田川、藤島川等が貫流している。鶴岡市は、江戸時代約240年の間、徳川家譜代大名の酒井家が治める庄内藩14万石の城下町として栄えていた。
 庄内町は、山形県の北西部にあり、米どころ庄内平野の南東部から中央にかけて位置している。霊峰月山の頂を有し、月山を源とする清流立谷沢川(たちやざわがわ)と日本三大急流の一つ最上川に沿う南北に長い地形である(写真下は秋の月山と実りの水田)。
 最上川を挟んで、北・北西に酒田市、東に戸沢村、南東に大蔵村、南西に鶴岡市、三川町とそれぞれに接し、地形的にもまた道路・鉄路においても庄内地方と内陸地方を結ぶ分岐点であり、庄内地方への玄関口となっている。

(出典:庄内町役場 全国に流通するお米の系譜図)

3.地域の自然条件



 3月に入ると上空の寒気は急速に弱まる。雪が消えるのは庄内地方で3月10日頃である。4~5月は空気が最も乾燥する時期で、風も強いため火災が発生しやすい。5月は日照時間の長い時期でもあり農耕作業にとっては適期に入る。梅雨入りの平年月日は6月10日頃で庄内地方は内陸に比べ日照時間は長い。
 8月の終わりから10月にかけては台風のシーズンである。台風が山形県に接近して太平洋側を通る場合は県内に大雨を降らせ、日本海側を通ると県内は強風に見舞われる。11月上旬から中旬にかけては庄内地方でも初霜、初雪を見るようになる。
 山形県の冬の気候を左右するものは北西の季節風で、庄内地方では、12月になると暴風日数は著しく多くなり、特に1~2月に地吹雪となる。積雪は、平地では1m以下である。

4.農業開発・水利開発の歴史



庄内平野と最上川
(出典:流れを紡ぐ 
最上川下流沿岸地区事業誌 P331)
 庄内で、米づくりをするための田が本格的に造られたのは、8世紀になってからである。庄内平野は大昔「潟湖」といって、海とつながる大きな湖であった。潟湖だった庄内平野は最上川が運んでくる土や砂がたまって、段々と埋められていった。元々が湖のため、水はけの悪い、じめじめと湿った土地だった。また、領土として庄内平野をねらって戦国武将の間で奪い合いの争いが繰り返されてきたため、開拓に着手することができなかった。
 そんな庄内平野に豊かな実りを、ということで昔の人が努力したのが「水路の開発」であった。庄内で記録に残る最も古い水路は、1384年に造られた郷野目堰である。さらに、1591年に最上川の支流である相沢川から水を引く水路「大町溝」が上杉家の家臣、甘糟(あまかす)備後守景継(かげつぐ)により開かれた。
 また、1612年には、同じく最上川の支流の立谷沢川から水を引く水路の「北楯大堰(きただておおぜき)」が最上家の家臣、北楯大学助利長によって開かれた。この北楯大堰が完成したことにより、荒れた野原は次々と田んぼに変わり、新しく5,000haの田んぼが開発された。新たな土地で米づくりを始めようとする人々が続々と集まり、88の新しい村ができたといわれている。
 酒井忠勝は「庄内は天恵の沃野、正に之を以て国を立つべき楽土なり」と積極的に稲作を奨励した。以後250年にわたって、酒井家が庄内藩14万石を統治したのであるが、庄内藩の農政の基本は、少ない労働力で多くの土地を耕し、米の増産を図ったことと、農家に対する貢納米の比率を高くしたことであった。農民から集めた莫大な貢納米を京都や大阪に売り出し、庄内藩は大きな利益を得ることになる。これが必然的に商人活動を活発にし、後に庄内最大の米穀商であり、金融業者でもあった本間家の隆盛へとつながっていく。
 本間家の豪商ぶりは、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と歌われたほどである。
 新田開発が続き、かんがい用水が不足する中でも最上川本流からの取水が幾度も試みられたが、最上川の河床が低く当時の技術では実現できず具体化に至るのは1910年(明治43年)の吉田堰の開削、1915年(大正4年)の遊摺部(ゆするべ)揚水機場の設置まで待たなければならなかった。その後最上川の河床低下により取水が不安定になり新たな水源の確保が課題となり、昭和以降に重層的に用水網が整備された。
 なお、北楯大堰は、2018.8.13(平成30年)国際かんがい排水委員会(ICID)により、世界かんがい施設遺産として登録されている。

改修前の北楯大堰
(出典:最上川土地改良区HP 北楯大堰施設概要)
改修後の北楯大堰
(出典:最上川土地改良区HP 北楯大堰施設概要)

遊摺部(ゆするべ)揚水機場の設置(出典:水土里デジタルアーカイブス 最上川下流地区)


5.古の水利開発と昭和以降重層的に実施された国営事業及び県営事業(いずれもかんがい排水事業)



(出典:流れを紡ぐ 最上川下流沿岸地区事業誌 P27)

(出典:流れを紡ぐ 最上川下流沿岸地区事業誌 P30)

(1)国営かんがい排水事業「最上川下流右岸地区」(右岸側)
国営最上川下流沿岸事業計画図
(出典:東北管内国営土地改良事業の歩み P191)

 本事業地域は、最上川右岸地区であり、国営事業として水量豊富な最上川に水源を求め、最上郡戸沢村草薙地先に草薙頭首工を設けて自然取水をなし、既存の揚水機を全廃して幹線水路を新設し用水の確保を図った。
頭首工地点は、最上川が出羽丘陵に深く刻んだ渓谷の末流部にあり、最上川の河口より約30km上流の地点、すなわち扇状堆積地の扇頂部より上流約5kmの山間部に設置するものであり、当該地点は河川管理上、堰堤を築造して水位の上昇を図ることは望ましくないため、「堰」を設けないで河川の右岸側に自然越流堰を設け取水を行った。

(2)国営かんがい排水事業「最上川下流地区」

 本地区の主水源は左岸地区・右岸地区ともに最上川に依存し、その取水位置も1km足らずのところに接近している。また、左岸・右岸地区とも取水口地点の河床低下に悩まされ、一体となって対策に苦慮してきたところであり、平成元年度に着工した最上川中流堰(国土交通省)に依存しているため、最上川土地改良区(左岸)、最上川下流右岸土地改良区連合(右岸)等の関係機関で構成される最上川下流農業用水対策事業推進協議会が設置され、農業用水の安定供給のための事業推進、課題事項の処理・調整等が図られ、両岸1区、1計画として樹立することで地元調整が図られた。
 本事業では、北楯頭首工、平沢揚水機場及び幹線用水路等の改修を行った。


(3)国営かんがい排水事業「最上川下流沿岸地区」
改修前の草薙頭首工
(出典:執筆者所有写真)
改修後の草薙頭首工
(出典:流れを紡ぐ 最上川下流沿岸地区事業誌 口絵)

 本地区のかんがい用水は、最上川及び日向川等に依存し、国営最上川下流右岸事業及び県営かんがい排水事業で造成された頭首工、揚水機場及び用水路により配水されており、一部頭首工及び幹線用水路は国営最上川下流事業により改修を行っているものの、築造後相当の年数が経過していることによる老朽化が著しいことから、施設の維持管理に多大な労力と経費を要している。このため、本事業により老朽化に伴う機能低下が顕著な頭首工、揚水機場及び用水路の改修を行った。
 また、用水路の新設により用水系統を再編し、用水の安定供給と維持管理の軽減を図った。

6.国営かんがい排水事業「最上川下流沿岸地区」の工事内容



 草薙頭首工及び最上川取水口、東興野揚水機場及び平田揚揚水機場、用水路(8路線)を改修するとともに、前川第2幹線用水路の新設により用水系統の再編を行い、用水の安定供給と維持管理の軽減を図った。

(1)頭首工の設計・施工

 ア.最上川取水口
 本取水口は、昭和37年度に県営事業(最上川地区)により建設された。本施設は建設後40年以上が経過しており、老朽化が著しいことから老朽化及び機能低下が著しいゲート設備及び操作室については全面改修、門柱等の躯体については部分補修を行った。
 イ. 草薙頭首工本頭首工は、昭和41年度に国営最上川下流右岸事業により建設された。
 ウ. 本施設は建設後30年以上が経過しており、老朽化が著しいゲート設備については全面改修、門柱等の躯体及び操作室については部分補修を行った。

東興野揚水機場地点用水の混合
(出典:流れを紡ぐ 最上川下流沿岸地区事業誌 P104)

(2)揚水機場の設計・施工

 ア.東興野揚水機場
 本機場は、庄内町狩川地内に位置し、立谷沢川(北楯頭首工)の融雪水のため生じる低温水を、最上川からの用水と混合して水温調整を行うことを目的とし、さらに老朽化の著しい中継揚水機場(旧東興野揚水機場及び二俣揚水機場)を廃止し、維持管理に支障を来していた複雑な用水系統を解消するため新設した。
 イ. 平田揚揚水機場
 本機場は、酒田市楢橋地内に位置し、老朽化の著しいポンプ設備、ゲート設備(取水ゲート、樋門ゲート)、送水管及び機場上屋を更新し、土木構造物(取水桝、樋門・樋管、吸水槽)については、十分な強度を有することからひび割れ等について補修を行い、現況利用とした。

(3)用水路の設計・施工
改修前の新余目堰
(出典:執筆者所有写真)
改修後の新余目堰
(出典:執筆者所有写真)
散歩する人
(出典:執筆者所有写真)

 ア.最上川幹線用水路
 本水路は、最上川から取水する最上川取水口から北楯幹線用水路及び吉田幹線用水路の分岐点までを結ぶ延長3.2km、トンネル・暗渠を主体とした水路である。本水路は、昭和38年度~昭和39年度に県営事業(最上川地区)により建設されたが、建設後40年以上が経過し、施設の老朽化が見られるようになったため、補修・改修を行った。
 イ. 吉田幹線用水路
 本水路は、最上川幹線用水路から分岐する北楯幹線用水路との分岐点を起点とし、吉田第8分水工(酒田市落野目地内)までの約16.7kmの水路で、昭和30年代後半から昭和40年代前半に建設された施設で、建設後40年近く経ち、ブロックの劣化、破損が激しく崩落の危険性があり、目地の損傷も激しく漏水し、施設機能の維持が困難となっており、管理に多大な労力と経費を要していた。国営区間は、吉田4号支線分水工までの約10.0kmで、上流約2.4kmは国営最上川下流事業により、L形水路に改修されている。本事業においては未改修の7.6kmについて、既改修区間と同様のL形水路で改修した。
 ウ. 余目堰用水路
 本水路は、北楯幹線用水路の末端に位置する阿古屋分水工から長沼堰用水路と分岐する水路で、延長は町堰分水工までの約7.7km、昭和40年前後に建設された積ブロック水路であるが、老朽化が著しく施設の補修等の維持管理費が増加しており、早急な対策が必要な状況であった。このため、経済性、景観等に配慮して積ブロックを基本として改修を行った。
 エ.新余目堰用水路
 本水路は、余目堰最下流の町堰分水工で町堰用水路と分岐する用水路で、路線延長3.4km、昭和45年頃に建設された玉石積(空積)水路である。現況水路は、裏込の吸い出しによる堤防の陥没等の補修のため、維持管理費が増大しており、早急な対策が必要であった。このため、経済性、景観・生態系へ配慮して、大型フリューム、玉石積(魚巣設置)、ブロック積等により改修した。
 オ.上堰用水路
 本水路は、北楯大堰用水路の2号放流工から下流約0.9kmの水路で、ブロック積の3面張水路で、昭和40年度に造成され厳しい自然条件により老朽化が著しい状況にあり、改修を行った。改修断面は、経済性、景観への配慮等を考慮して、ブロック積、L形水路、大型フリューム等とした。
 カ.長沼堰用水路
 本水路は、最上川より取水する北楯幹線用水路を経て、阿古屋分水工から分岐し、県営長沼堰下流用水路に接続する延長約3.5kmの水路で、昭和45年頃に造成され、間知ブロック護岸または玉石積護岸の3面張水路となっており、老朽化による水理損失及び維持管理費の増大から、早急な改修が必要な状況となっていた。改修断面は、経済性、景観への配慮等を考慮して、ブロック積、L形水路、大型フリューム等とした。
 キ. 右岸幹線用水路
 本水路は、草薙頭首工から八幡幹線用水路に至る延長約22.6kmで昭和40年頃に建設された。本事業における改修・補修対象の検討対象区間は、草薙頭首工直下流の約5.3kmのトンネル区間及び楢橋分水工から下流6.4kmの開水路、サイホンを主要工種とする区間で計画用水量の増大に伴う改修計画であり、水理検討に基づき既設利用も含め、最も経済的となる計画とした。
 ク.八幡幹線用水路
 本水路は、荒瀬川頭首工から市条分水工までの延長約1.7kmの水路で、昭和43年度に建設された。サイホンの路線上が貯木場となり、荷重の増加により構造的に不安定な状況となっていた。このため、増加荷重に対して路線変更も含め改修の検討を行った。
 ケ. 前川第2幹線用水路
 本水路は、右岸幹線用水路より取水し、約2.8km東に位置する前川幹線用水路の郷ノ目分水工へ放水する水路であり、本事業により新設した。途中、境川と寺田川の河川横断工、県道・スーパー農道の道路横断工などを含む路線である。水路形式は管水路とし、管種は経済的なFRPM管とした。

(4)最上川下流沿岸地区の用水管理システム計画
出典:流れを紡ぐ 最上川下流沿岸地区事業誌 口絵)

 用排水の管理対象施設は、無人化を行う遠方監視制御施設(TM/TC)と、操作はパトロール等で対応する遠方監視施設(TM)、そして監視操作を現場で行う施設に区分した。
 また、左岸中央管理所は最上川土地改良区敷地内、右岸中央管理所は大町溝土地改良区敷地内とした。

(5)旧事業も含めた本地域の事業効果

 事業の実施により、頭首工、揚水機場及び幹線用水路が改修され、安定的な農業用水の確保と水管理に要する維持管理費の節減が図られている。
 事後評価アンケート調査結果(最上川下流地区)によると、受益農家の86% が事業実施(国営+県営)により農業用水が安定的に供給されるようになったと回答し、また、82%が用排水路の管理が容易になったと回答している。

庄内平野と最上川の夕景(眺海の森より)
(出典:山形県の公式観光・旅行情報サイト やまがたへの旅)
(出典:流れを紡ぐ 最上川下流沿岸地区事業誌 P339)



引用文献
1.流れを紡ぐ 最上川下流沿岸地区事業誌 東北農政局最上川下流沿岸事業所
2.「東北管内国営土地改良事業の歩み」東北地方農村振興技術連盟
3.山形県ホームページ「山形県の紹介」
4.山形県の公式観光・旅行情報サイト やまがたへの旅
5.庄内町役場 全国に流通するお米の系譜図
6.庄内町観光情報サイト 庄内町観光ライブラリー
7.最上川土地改良区ホームページ 北楯大堰施設概要
8.水土里デジタルアーカイブス 最上川下流地区


2023年2月1日公開