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1 地域の概況
2 事業に至る背景・経緯
3 事業内容
4 事業実施の効果(事業実施後の地域の状況等)
5 その他(地域ごとの特記事項)

icon 1 地域の概況



 当地域において、これまで国営土地改良事業(国営矢作川農業水利事業、国営矢作川第二農業水利事業、国営矢作川総合農業水利事業(南部地域))等によって水源施設及び幹線水路が整備されてきましたが、近年、これら施設の老朽化、水路周辺の都市化の進展に伴うゴミの投棄等により農業水利施設としての機能低下が生じ、維持管理に多大な労力を費やしてきたため、国営新矢作川用水農業水利事業により岡崎市外4市1町の約7,000haの農地へ安定的に農業用水を供給し、生産性の向上と農業経営の安定を図ることを目的として、平成6年から基幹水利施設の改修、更新を行い、併せて関連事業により、ほ場整備や末端用水施設の整備を行うものです。

1)地形
 地域は、矢作川中下流部に位置する豊田市、碧南市、岡崎市、安城市、西尾市(2011年4月に合併した幡豆町、一色町、吉良町を含む)、幸田町の5市1町で、愛知県のほぼ中央部に位置し、洪積台地と沖積平野で形成する西三河平野と岡崎市東北部の中山間部からなり、南部は三河湾に面しています。
 本地域は、大きく4つ(山地、丘陵地、台地、低地)の地形に区分できます。
 山地は、小原村の西端と、額田町の西端を結ぶ南北の線で二分されたその東側に当る地域であり、全体の約60%(約1,380km2)を占めています。
 丘陵地は、その二分線の西側矢作川までの間の分布となります。
 台地は、低地との標高差はわずか十数メートルだが、水路の引くことができなく開発は、明治になるまで手をつけられることがなく、広大な未開発地のまま放置され、「安城が原」とも呼ばれる原野でありました。
 一方、低地は、矢作川下流部の西尾市、旧幡豆郡一色町、旧吉良町地内を貫き、三河湾まで、河川の両岸に沿って細長く分布しており、早くから水田や集落が形成されてきました。
 西三河平野の東半分は沖積低地となっており、矢作川および矢作古川により運搬された土砂で形成された平野であり、西半分は洪積層からなる台地性丘陵地と台地が分布しています。 
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西三河の地形
(出典:愛知県 「県土レポートあいち’99」一部加筆修正)
 流域の土地利用は、山地等が約78、水田や畑地等の農地が約19%、宅地等の市街地が約3%となっています。
 本地域の中央部には、愛知県下の三大河川の一つに数えられる矢作川が流れており、長野、岐阜両県の県境に近い中央アルプス南端の長野県下伊那郡大川入山(標高1,908m)にその源を発し、長野、岐阜、愛知の三県に跨り南北に伸び、愛知県の西三河地方のほぼ中央部北北東から南々西に流路をとり、下流では大きく蛇行しながら、三河湾へと注いでいます。
(※矢作川は、古くは御川(みかわ)とも呼ばれていた。「御川」とは「美川」の意で、「三河国」の地名も矢作川の流れる地域を指して付けられたものと言われています。)
 流域面積は、約1,830km2、幹線流路延長118kmです。
 矢作川は、流域の中央よりやや北西部を南下し、右岸に比べ左岸側の流域面積が(流域の約3分の2を占める)広く、巴川、乙川などの大支流は、いずれも左岸側から流入しています。
 上流部(矢作ダムより上流)は、1河川あたり延長も約10kmと比較的短く、河川勾配も5%前後のものが多いです。
 中流部(矢作ダムから乙川合流点)は、本流及び大支流(巴川・乙川)を含め、河川幅も広く、河川勾配も緩く(1%前後)となっています。
 下流部は、西尾市の小島地先より矢作川本川と矢作古川に分流し、三河湾に注いでいます。

2)気候
 本地域は、表日本気候区に属し、全般的に温暖で、夏に雨が多く、冬は快晴で乾燥しやすい気候です。三ヶ根山を中心とする三河湾沿いは、国定公園に指定されており、風光明媚な地域です。
 ただ、山沿いに位置する豊田市付近は、盆地的な要素を持ち、冬季に霜害をもたらすことも少なくありません。
 年平均気温は、15.2℃、降水量は1,452mmと温暖湿地帯です。
 降水量は、6月の梅雨期及び9月の台風期に極大がある反面、冬期の12月から1月にかけて極小になり季節変化が大きく、典型的な太平洋型になっています。

3)地質
 矢作川流域は、中央構造線の北側沿いで西南日本内帯に位置しており、領家帯に属しており、地域の地質は、6,000~9,000万年前より生成された領家変成岩類とその中に侵入した大量の中生代花崗岩類とから成ります。
 矢作川の上流部は、大半が崩れやすい花崗岩でできており、沿岸には矢作川の運ぶ土砂による沖積平野が発達しています。
 また、乙川流域などには2億3千万年前より生成された領家変成岩類が分布しています。
 丘陵部には、新第三紀鮮新世~第四紀更新世の瀬戸層群が堆積しています。
 受益地の地質は、矢作川上流域のマサ化し崩壊しやすい花崗岩が多量の流出土砂となり中・下流域へ運搬され、礫・砂及び粘土となり堆積したもので洪積台地や沖積平野を構成しています。
 このような地質の特徴により矢作川は典型的な砂河川となっています。

4)歴史
 沖積平野の肥沃な土壌は、農業の好適地として、古くから人々の生活の場となってきました。
 三河地方に人々が住み始めたのは、約2万年ほど前のこと、縄文時代よりも前の旧石器時代に当ります。
 狩猟と採集を糧とした人々は、豊かな自然に恵まれた矢作川流域の丘陵上で営んでいました。
 その頃の人類の足跡を示す遺跡や貝塚(縄文人のゴミ捨て場跡)が、矢作川流域の各地には残されています。
 紀元前3世紀頃、朝鮮半島から稲作文化を持つ民が北九州へと渡ってくると、農耕による生活が広まっていきます。
 三河地方へ稲作が入ってきたのは、尾張地方より大きく遅れて弥生時代の中頃のこととみられています。
 稲作農業は、ひとたび導入されると、瞬く間に矢作川沿岸一帯へと広がっていきました。
 矢作川が運ぶ肥沃な土壌でできた沖積平野は、水田の好適地であり、矢作川中下流域の低湿地からは、大規模な遺跡が発見されています。
 人々が、一定の土地で農耕を営むようになると、コメの貯蔵によって、貧富の差が生まれるようになります。
 富を蓄積させ、強い勢力を得た者は、鉄製の農具を導入し、さらにその富を拡大していきました。
 こうして生まれた支配階級の豪族たちは、4世紀から6世紀にかけて、その勢力の象徴として大規模な墳墓である古墳を築いていきました。
 西三河地方でも、豊田市上郷町・岡崎市矢作町・安城市東部・安城市桜井町などの矢作川沿岸から古墳群が見つかっています。
 ちょうど、このころ畿内には大和政権が成立し、その勢力は地方を征服し、次第に国家が作られていきます。
 西三河を支配した豪族たちも、この大和政権の権力とのつながりを背景に、周辺農村の支配を行っていたようです。
 645年(大化2年)に大化の改新の詔が発布されると、律令体制が確立されていきます。
 愛知県域も全面的に大和朝廷の支配下に置かれ、「尾張」「三河」の2国が設定されました。
 群や郷が設けられ、すべての土地・人民を国家のものとする公地公民制のもと、人々には「口分田」が貸与され、収穫物から租税を納めることが義務付けられました。
 中央集権的な支配制度のもと、西三河では、主に開発の容易な矢作川沿岸の低地で開墾が進められました。
 しかし、口分田の不足や貧困農民の逃亡などによって、次第にこの公地公民制が崩れていきます。
 10世紀以降には、朝廷が土地の私有を認める「三世一身の法」や「墾田永年私財法」を制定したこともあり、貴族や寺社、地方豪族らが、競って荘園の開墾を進めていきます。
 西三河にも、志貴荘、吉良荘、重原荘など広大な荘園が開発されましたが、それらはいずれも矢作川の流域の低地のみを範囲としたものでした。
 歴史的にみると、平安時代までは、矢作川西岸の旧碧海郡が西三河の中央を占め、多数の集落があり、人口も最大でした。
 10世紀初めに書かれた書物である「和名類聚抄」という書物には、矢作川沿岸に数多くの郷(村落)の名を見ることができます。
 鎌倉時代になって、足利義氏が承久の乱鎮圧の功績により三河守護になり、足利氏とその一族が三河に土着して所領をもつようになりました。
 特に、額田郡の細川氏・仁木氏・幡豆郡の今川氏・吉良氏・一色氏は、足利一族として有名です。
 応仁の乱後、戦国時代に突入すると、安祥城を本拠とした安城松平家(徳川本家)が三河国全域を統一したが、森林崩れにより、松平氏の勢力は瓦解し、三河は駿河の今川氏の属領となりました。
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矢作新川・新開田図
出典:水土の礎HP
 戦国時代に入ると、戦国大名たちは、領土を求めて激しい戦いを繰り返すと同時に、勢力を増大するため、領地内の開発にも取り組みました。
 農業の主体である水田耕作のための用水を統制支配することが領主たちの民政第一の重要事項となりました。
 そこで、大名たちは領地内の灌漑・治水施設を整備拡充し、耕地の拡大化を図ります。
 そのため、この時代になると技術の進歩とともに、大規模な治水事業も行われるようになりました。
 矢作川沿岸の平野の多くは、中世までに農地として開発がすすめられてきましたが、上流からの土砂の流出のため、河川が増水することが多く、洪水にも悩まされてきました。
 矢作川沿岸(現在の岡崎市矢作町から安城市木戸町にかけて)の築堤工事は、豊臣秀吉の命を受けた岡崎城主・田中吉政によって、安土桃山時代の1590年から1600年であります。 
 この大工事によって、網状に乱流していた矢作川が徐々に一本化され、周囲の農地の開発もさらに進んでいきます。
 中でも1603年に矢作川左岸に引かれた占部用水は、この水系で最古かつ最大の用水で、同右岸では旧流路を利用した北野用水(1660年頃)、また矢作古川筋では古川用水(1650年頃)、さらに矢作川からは荒井用水(1668年)などが造られました。
 矢作川が安定すると、本格的な水田開発が始まりました。

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旧取水口及び用水
出典:矢作川農業用水
 しかし、三河は、隣国の尾張の倍近い面積を持ちながら山や台地が多く、小藩、旗本領、寺社領、幕僚などが混在し複雑な統治が行われており、尾張藩のような大工事は無理でありました。
 多くは、農民の手による小規模な水路、その数、実に26本。
 造るたびに取水や排水など他の地域と利害が対立し、多くの紛争を繰り返してきました。
 一方、矢作川が八ツ面山にさえぎられて、大きくカーブする下流部は、依然として洪水の常襲地帯のままでありました。
 そこで、安城市木戸町から、当時は西の海岸線であった西尾市米津町にいたる洪積台地を開削し、矢作川を西南の入り海(油ケ淵)に注がせる矢作新川の開削が計画されました。
 工事は、江戸時代に入った1603年、徳川家康の命を受けた西尾城主・本田康俊により行われました。
 旧河川は、1646年に閉鎖され、現在の矢作古川となりました。
 この事業によって、矢作古川の下流、木戸町から幡豆地方の水害は防止され、さらに、矢作川の旺盛な土砂流出作用によって、新しい河口付近には、大量の土砂堆積がもたらされました。
 そのため、これを利用した干拓が進められ、新田開発が進められました。
 この矢作新川の河口部の新田開発は、江戸時代を通じて盛んに行われ、現在の碧南市や西尾市の海岸部の地形が出来上がったのは、明治時代の後半(1900年代)のことで、新川の開削は、西三河の地形に決定的な影響を与えた大事業だったといえます。
 しかし、当然のことながら、もともと海抜ゼロメートル以下である干拓地は、河川沿岸の低地以上に水害や排水不良に苦しめられ、地主が転々とすることも少なくなかった。
 明治40年から干拓がはじめられた奥田新田の南側、三方を海に囲まれる南奥田新田は、防風雨のたびに何度も堤防が壊され、多大な費用がかかったことから、お金が「チャラチャラ」と出ていく「チャランコ新田」とも呼ばれました。
 また、一方、開発の進んだ沿岸部の沖積平野や下流部の低地では、上流から流れてきた土砂が溜まり河床が上昇してしまうため、乱流が起こりやすく、長い間、水害に悩まされてきました。
 そのため、主に江戸時代以降、堤防の築造や河川の付替えなど幾多の治水事業が行われます。
 昭和に入り、国・県により干拓や農地の整備が行われ農業が盛んな地域となりました。

5)旧歴事業
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合口後の状況口
出典:矢作川農業用水ものがたり
 これまで国営矢作川農業水利事業、国営矢作川第二農業水利事業、国営矢作川総合農業水利事業(南部地域)等によって、水源施設及び幹線水路が整備されてきました。長年の問題であった排水技術の改良によって、それまでの湿田は乾田化が進んでいき、さらなる開発が進められました。
 しかし、こうした低平地の活発的な開墾や排水技術の改良によって、次第に新たな問題が発生してきました。
 耕地面積の拡大等による必要とされる用水量が増加していき、明治用水ができてから 40年、水不足が深刻な問題となってきました。
 昭和19年、22年にも干ばつの深刻な被害が続き、ようやく矢作川の支流、巴川の上流に用水不足を補うための羽布ダムを建設するという画期的な計画が出されます。
 この事業が国営矢作川農業水利事業として着手されたのは、昭和27年の事です。
 昭和38年に羽布ダムが完成すると、矢作川の水が十分利用できるようになり、ようやく人々は長年の水不足から解放されるかにみえました。
 しかし、そのころには、すでに高度経済成長の建設ブームや伊勢湾台風の災害復興のため、コンクリート骨材として大量の川砂が採取され、矢作川の河床が低下するという問題が新たに生じていました。
 これまでの取水口では老朽化もあり、水を取り入れることが次第に困難となってきました。

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 そのため、昭和38年には、引き続きこの28ケ所の取入れ口をまとめ、安定的に取水する頭首工と、その水を合理的に送る幹線水路を新しく作る国営矢作川第二農業水利事業が着工されました。
 昭和54年に完成したこの新しい用水が現在の矢作川用水です。
 新たに設置された鹿乗川頭首工と乙川頭首工は、細川頭首工と幹線水路で連結統合され、羽布ダムの清流を下流でも直接取り込むことができるようになりました。
 肥沃な土壌を持ちながらも洪水の常襲地帯であり、長年の排水不良に悩まされた矢作川沿岸の低地や干拓地。
 中世に始まる堤防の築造や幾筋もの用排水路の開削、近代に至っての排水技術の改良、幾多の歴史的事業を経て、ようやく西三河の地は豊かな恵みを生み出す耕地へと改良されてきました。
 そして、昭和の大事業である矢作川用水の完成によって、とうとう西三河地方全体に矢作川の水を行き渡らせることが可能となったのです。

6)地域農業
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 愛知県西三河地方は、温暖な気候と矢作川からの水の恩恵を受けて、早くから基盤整備が進められ、愛知県内有数の農業地帯として発展してきました。
 地域農業の主体となっている水田では、水稲、小麦、大豆等が作付けされ、小麦、大豆の作付面積は、県全体の7~8割を占めています。
 当地域の耕地面積は、県下の21.0%を占めており、中でも水田面積は平野部を中心に県下の26.6%を占めています。
 米は、農業産出額で見ると県全体の24.4%を占めており、安城市、岡崎市、西尾市を中心に管内全域で、利用権設定や農作業受委託による大規模化が進んでいます。
 また、野菜は、岡崎市のなす、碧南市の玉ねぎ・人参、安城市の胡瓜などが、果樹は岡崎市の葡萄、安城市の無花果・梨、幸田町の筆柿が、花卉は、管内全域での観葉植物・洋ラン、西尾市のカーネーションが、お茶は西尾市の甜茶が、畜産は岡崎市の養鶏、西尾市の酪農・養豚が県下を代表する産地となっています。

7)地域産業
 工業は、JR東海道本線、JR東海道新幹線、東名高速道路、国道1号線等の我が国の根幹をなす交通網を利用して繊維、鋳物、窯業などの地場産業とともに豊田自動織機(刈谷市)やトヨタ自動車(豊田市)など、トヨタグループの本社・工場が西三河地方一帯に集中立地し、全国屈指の製造業地域に広がるなど、この地域における社会・経済・文化の基盤を成しています。

8)人口動向
人口の動向として、関係市町の人口は、平成17年度に1,216千人で、平成12年と比較すると約50千人増加、また平成7年度との比較では90千人増加と増加傾向にあります。
関係市町別には、幡豆町及び一色町はやや減少傾向(どちらも1%減少)を示しますが、その他市町は増加傾向にあります。
産業別就業人口の動向として、総就業人口は、平成17年度と平成12年度を比較すると、県全体では横ばいですが、関係市町では約4万人の増加で3.9%の増加率となっています。
産業別では県全体及び関係市町の総就業人口とも第1次産業及び第2次産業は減少していますが、第3次産業であるサービス業は県全体では横ばいであるものの関係市町では9.4%の増加となっています。
第1次産業のうち、農業の就業人口は、平成12年と比較し平成17年度は、94.6%に減少しています。

9)農業の概況
 農業の概況として、本地域は、自然条件を活かした農業や林業が盛んで、また、名古屋市の近郊に位置しているという都市近郊地帯としての有利性を活かした農業が展開されています。
 最近では、地元JAが中心となった農業者、商工業者等が連携した地産地消の取組や、地域の農産品・木材などの地域資源を活用した新商品開発・販路開拓の取組が活発化しており、今後とも地域産業活性化のため、これらの取組を活かした農商工連携による既存産業の高度化・高付加価値化及び農林産品のブランド化を推進しています。
 耕地面積は、県全体及び関係市町とも平成12年度と比較すると98%と減少しています。
 平成7年度から平成12年度の減少率は96.9%ですが、平成12年度から平成17年度の減少率は98.0%と減少が沈静化しています。
 農家数及び経営耕地面積規模別農家数の動向として、総農家数は、県全体及び関係市町とも減少していますが、平成12年と平成17年で比較すると、県全体が79.4%に対し、関係市町では75.8%であり、関係市町の方の減少率が大きくなっています。
 減少率は、平成7年度から平成12年度では、県全体及び関係市町とも88.1%で、平成12年度から平成17年度の減少率より小さく、年々農家数が減少しています。
 経営規模別には、ほとんどの規模で減少傾向にあるが、10ha以上の農家は129戸で、平成12年度より9戸(7.5%)増となっており、経営規模の拡大が図られています。
 専業兼業別農家数の動向として、専業農家が県全体では、22%に対して関係市町では、16%、また、第1種兼業農家は県全体では16%に対して関係市町では13%と低くなっています。
 しかし、第2種兼業農家が県全体では62%に対して関係市町では71%を占め、逆に高くなっています。
 第1種兼業農家数、第2種兼業農家数は、ともに減少していますが、専業農家数は増加しており、専業農家の占める割合が高くなっています。
 関係市町では、専業農家数が平成7年から平成17年の10か年で200戸(11%)増加しており、県全体の専業農家数の推移より高い伸び率となっています。
 地域の主な農産物では、本地域の関係市町では、耕地面積や総農家数の減少がみられるものの、安定した農業算出額の推移がみられ、農業産出額全体や作物別の県内順位は、上位に位置しています。
 また、主要作物(水稲、大豆、さといも、小麦、イチゴ、イチジク、大根、ニンジン、玉ねぎ等)の産出額は、県内でも上位に位置しています。

icon 2 事業に至る背景・経緯



 当地域においては、これまで国営矢作川用水農業水利事業、国営矢作川第二農業水利事業、国営矢作川総合農業水利事業(南部地域)等によって水源施設及び幹線水路が整備されてきました。
 この整備された水源施設及び用水施設は、地域の農業の発展に大きく寄与してきましたが、近年、これら基幹水利施設は、昭和40~50年代に築造されたもので老朽化が進行し、また水路周辺の都市化の進展に伴うゴミの不法投棄等により農業水利施設としての機能低下が生じ、安定通水、安定取水の阻害となっており維持管理に多大な労力を費やすなどの問題が顕著になっています。
 特に、岡崎幹線水路の矢作サイホンは断水できない水道用水との共用区間水路でもあるため、施設管理・点検補修が不可欠ですが、上部には多数の住宅が建築されており、十分な点検整備ができない状況であり、一旦不測の事態が生じた場合には、その社会的影響は相当大きくなることが予想されます。
 また、近年の営農の多様化に伴い、水管理の合理化、水の有効利用等が強く求められています。
 このような施設の老朽化・機能低下等に対処するため、保守点検の維持管理を容易にする必要があります。
このため、前歴の国営事業で造成されたダム、頭首工、幹線水路などの基幹水利施設の老朽化及び都市化の拡大による施設の機能低下に対して施設の改修・更新を行い、用水の安定取水・安定通水の確保、維持管理の軽減を図ることを目的として、幹線水路(L=53km)の改修整備をするとともに、細川頭首工及び鹿乗頭首工の補修、水管理の円滑化を図るために水管理施設の拡充整備を行うものです。
幹線水路L=53kmについて従来の開水路を埋設管路化することを基本としています。
岡崎市外4市1町の約7,000haの農地へ安定的に農業用水を供給します。
 さらに、地区内の農業用水が従来から有している地域用水機能の増進に資するものです。

1)調査
事業推進に当り、地元の事業推進体制として、矢作川地域の農業水利事業を総合的に推進し、これら農業水利施設の適正な維持管理と、計画的な整備更新を進め、もって矢作川地域の農業基盤の確立を図るとともに、水資源の効率的運用と地域産業の振興に寄与することを目的として、関係市町、土地改良区及び土地改良区連合で「矢作川地域基盤確立推進協議会」を組織するとともに、協議会の目的を推進、達成するために必要な関連組織を構築する。
併せて、計画変更により地域機能増進型に移行するにあたり、「新矢作川用水地区地域用水対策協議会」を設置しました。

2)事業実施に向けた調査計画
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①広域調査
②計画開発地区調査
③地区調査 H3年~H4年
「西三河」地区として実施
④全体実施設計 H5~H6
⑤土地改良法手続き
・事業施行申請 H6
・専門技術者
・知事協議
・適否の決定
・計画決定
・事業計画の縦覧
・計画確定 H6
⑥共同事業協定

3)着工年度 平成6年度

4)計画変更(平成15年度確定)
 事業実施において次の要件から、受益面積、主要工事計画及び事業費の変更、また、本事業と併せて関連事業によりほ場整備等を行い、営農の合理化・複合化を促進し、生産性の向上と農業経営の安定を図ることとしました。
①農地転用等による受益面積の変動
②幹線水路周辺の宅地化に伴う工事の施工方法に変更が生じたこと、
③加えて、当初見込んでいなかった羽布ダムの取水設備並びに南部幹線水路の一部について受託管理者からの要望を受け改めて施設機能診断調査を実施したところ老朽化の著しい進行から改修を追加する必要が生じたこと、
④開水路系から管水路系へ水路形式を変更することから、農業用水が従来から有していた景観保全機能、防火用水機能等の水路機能が失われることとなるが、事業発足当時では国営事業として実施する手段が見つからず、やむを得ずこれら地域用水施設は別途事業として立ち上げることを考えていたが、平成10年度に創設された「国営農業用水再編対策事業(地域用水機能増進型)」では、これら施設の整備が国営事業として可能となったことから、本地区の農業用水施設が従来から有している景観保全機能、防火用水機能等の地域用水機能の維持・増進を図るため、農業用水再編堆砂事業「地域用水機能増進型」に移行し、各市町、改良区の更新要望をもとに、老朽化水路で地域住民に利用される立地条件を有し、かつ各事業で整備される計画のない幹線水路と支線水路の一部区間を支線水路(せせらぎ水路L=4.4km)として国営事業として一体整備することとしました。
⑤旧暦事業で造成され、他の幹線水路と同様に老朽化し更新が必要であるにもかかわらず国営面積要件に合致しなかったため県営事業として整備を予定としていた西尾幹線水路を、国営農業用水再編対策事業では国営末端支配面積5ha以上の水利施設の更新が国営事業として可能となったことから、国営事業へ移行し整備することとしました。

icon 3 事業内容



1)目的
 ①本事業は、愛知県の中央、矢作川中流部に位置する位置する岡崎市他4市1町(幡豆郡一色町、吉良町及び幡豆町は平成23年4月1日に西尾市と合併)に跨る地域を対象として、用水改良を行うものである。

2)受益面積
   水田(6,307ha)、畑・樹園地(766ha)
   合計(7,703ha)

3)主要工事
 ア 共用施設
   ●羽布ダム改修
   ●細川頭首工改修
   ●幹線水路  14.5km
   ●水管理施設

 イ 農業専用施設
   ●鹿乗川頭首工改修
   ●幹線水路  38.5km
   ●支線水路   4.4km
   ●水管理施設
        ※幹線水路は、水路形式を開水路形式から管水路形式に変更する。
        ※水道用水との共用区間は2連化構造とする。

4)事業費  729億円  (共同事業費を含めると800億円)

5)工 期  平成6年~平成23年度
(施設機能監視期間 平成24年度~平成26年度)

icon 4 事業実施の効果(事業実施後の地域の状況等



1)効果
 ア 農業効果
  管水路になったことに寄り、用水が早く下流まで届くようになり、より公平な水の配分や効率的な水管理が行えます。
  水の圧力の有効利用が可能となり、自然圧での送水ができる受益地の範囲が広がって揚水機が不要になったり、揚水機の運転時間を短くすることができます。
  水路へのごみの投棄が防止されることにより、維持管理に係る労力の軽減も図られます。
  開水路のままでは藻が発生しやすく、水路内に発生した藻などが下流に流されて、末端水路で目詰まりが発生する恐れがありますが管水路はこの悩みの軽減されます。
  水路への転落事故の危険性がなくなり、人に対する安全性が向上します。
  近代的施設に整備され生まれ変わった農業水利施設の活用により、農業用水が安定的供給され、併せて、県営圃場整備事業等の関連事業によって農地が整備されることにより、営農の合理化・複合化が進み、生産性の向上や農業経営の安定が図られつつあります。

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 イ 共同事業効果
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 水道用水との共同事業区間は、2連化構造としたことにより、水管理及び施設管理の合理化、水の効率的利用、施設の安全性の向上を図られつつあります。

 ウ 地域用水効果
 整備された施設は、地域の皆に親しまれながら有効に利用されています。

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icon 5 その他(地域ごとの特記事項)



1)浅埋設工法
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 管水路は地下水等の浮力で浮き上がることがあるので埋設深を深くすることが通常であるが、管の上部や側部の埋戻土(砕石)をプラスチック製の網(ジオグリッド)で包み込み管の浮上に抵抗させ、埋設深さを浅くする工法で工事費(土工費や仮設費)を安価にできる。
 (農業工学研究所及び民間との官民連携事業)

2)既設施設再利用工法
 トンネルや暗渠区間で、表面が摩耗して水理的機能の低下が顕著でも、母材の力学的安定性や耐久性など構造機能の低下が少ない場合は、全面改築・更新するのではなく、既設の暗渠や管水路の中に強化プラスチック複合管を挿入敷設するパイプイン工法、及び暗渠部において内面に塩化ビニール製の帯を巻き付ける管更生工法を採用

3)地域用水・環境配慮
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 管水路化に伴い機能が低下又は失われる機能を維持・増進するため、国営支線水路を「せせらぎ水路」として整備。(水の流れが見える水と親しむ(親水・景観)・防火用水等)地域用水機能の増進に当っては、地域住民の意見が反映されるよう、地域住民が参加する「ワークショップ」において、整備構想の策定を行い、整備構想に基づき各種の環境整備を行いました。
 実際の整備に当っては、住民参加による直営施工を行ったり、地域住民を主体に構成された管理団体が整備後の草刈りや日常の維持管理を実施するなど、住民参加型の先駆的な取り組みが行われました。
 管水路化された地上部には管理用道路を設けているが、いくつかの区間では、通学路や散策路として利用したいという周辺住民の要望に応えるため、ワークショップにより地域住民の意向を反映させた上部利用の計画を作成し、これに基づいて県営地域用水環境整備事業等で遊歩道の整備や休憩施設、植栽などの環境整備が行われました。

4)工事中の環境配慮
 工事中の環境への配慮として、工事中に発生する濁水の処理などについて矢作川沿岸水質保全対策協議会と協議調整を図り、水質保全に努めた。


 参考文献
 東海農政局新矢作川用水農業水利事業「事業誌」「技術誌」
 農業農村整備情報総合センター「水土の礎」