top01

1.はじめに
2.安濃川流域の開発
3.国営かんがい排水事業「中勢用水地区」
4.国営施設機能保全事業 「中勢用水地区」
5.おわりに

icon 1.はじめに



 本地域は、鈴鹿山脈の錫杖ケ岳(しゃくじょうがだけ)を源に、三重県中央部の穀倉地帯を西から東に貫流し、津で伊勢湾に注ぐ安濃川の左右岸に広がる沖積低地並びに洪積台地であり、古くから農耕文化が発達し、「納所遺跡(のうそいせき)」をはじめ弥生時代中期には拠点集落が各地に出現しています。
 また、奈良時代には条里制が試行されており、平安時代中期からは、伊勢神宮の神領として、米、野菜、果物などを※1安濃津の港から伊勢の大湊へ運んでいました。津市内の「納所」、「神納」などの地名にその名残を見ることができます。
 米作農業には、安定的な用水の供給が必要となることから、この地域の人々は、弥生時代の昔から安濃川に頼ってきました。しかし、同河川は、この地域で一番大きな河川であるものの流路は30km足らず、流域面積は110km2と狭く、背後の山が浅く丘陵地を流域としていることから渇水期の流量は非常に少なく、恒常的な水不足に悩まされていました。従って、この地域では、従来から多数の取水施設と複雑な配水組織により水管理がなされており、古来より旱ばつと水の配分による水論が頻発し、新田開発が盛んな江戸時代以降、時には、死者の出る騒ぎになることもあったとの記録が残されています。また、その後も水争いの歴史は、安濃川流域のいたるところで近年に至るまで続いております。
 このように、安濃川流域は、元来豊かな平野ではなくこの地域の農業はまさに水不足との戦いであり、先人たちの血のにじむような努力によって支えられてきました。  一方、この地域は、穀倉地域としてのみならず都市近郊農業の有利性を生かした新鮮野菜、花木等の供給地としての性格を強めつつありました。このような情勢に鑑み、水田の畑利用も含め集約的な都市近郊農業への転換を図るため、安定した用水源を確保するとともにほ場整備等の土地基盤整備を行い、土地労働生産性の向上を図り農業の近代化を進める目的で、三重県の中央部、津市の北西に広がる2市3町(現在は津市、亀山市の2市)に跨る農地約3,600haを対象に、昭和47年10から国営かんがい排水事業「中勢用水地区」として実施されたものです。

 ※1大和から伊勢遷宮を結ぶ古代の要所にある津市。4世紀、津市は伊勢の安濃津(洞の津)と呼ばれ、薩摩の坊津(坊の津)、博多津(花旭塔(屠)の津)とともに日本三津(にほんさんしん)の一つとして栄えた名港であったと伝えられています。



icon 2.安濃川流域の開発



 安濃川流域の北側に位置する鈴鹿川及び南側の櫛田川流域には、縄文時代の遺跡が確認されていますが、安濃川流域では、土器を伴出する良好な遺跡はほとんどなく空白地帯となっています。
 しかし、出土した土器類より少なくとも縄文時代の中期頃より、段丘上などや小高いところに人々が住んでいたものと推測されています。

項目 内容
納所遺跡  この遺跡は、東西1.0km、南北0.5kmに広がる大きなもので、昭和49年に県道バイパス建設の際に発掘調査が行なわれ、大量の土器、石器、 木製品、木の実、種子、獣骨等が出土するとともに住 居跡や墳墓等も発見され、弥生時代の農村構造や生活 実態を推測しうるものであります。
 また、この時代には、水稲用耕作に使用するための木製の農具も多く作られており、鍬、鋤、堅杵、丸鍬、諸手鍬、スコップ状木器等が出土しており、鍬、鋤等は、現在のものの祖形はこの時代に作られたものです。更には、約2200年ほど前の弥生時代に、豊作を祈願する祭りに使用したと思われ、6本弦を持つと推測され全国的にも珍しい「弥生の琴」が出土しています。
 等は、現在のものの祖形はこの時代に作られたものです。更には、約2200年ほど前の弥生時代に、豊作を願する祭りに使用したと思われ、6本弦を持つと推測され全国的にも珍しい「弥生の琴」が出土しています。
 納所遺跡を拠点として、弥生中期には安濃川の流域の各所に小規模な遺跡が出現し、後期になると小規模な遺跡が更に増加し流域全体に広がっており、安濃川流域の開発は、弥生時代の人々により開発されたと言えるでしょう。

条理制  安濃川流域は、納所遺跡等が示すように古くから農耕文化が発達し、早くから開発されていました。また、大和と伊賀を経て伊勢神宮を 結ぶ重要な交通路上に位置していたので条理制が 施行されており、「民部田所四天王寺領勘注状」、 「東大寺別院崇敬寺牒」、「法楽寺文章紛失記」な どにより、※2安濃郡内の条里名が数多く知られて います。条理は、海岸線にほぼ平行して北西の方 向へと進み、安濃郡境付近は23条となっており、 津市域は海岸の1条から9条あたり、芸濃町域は16条から23条となっています。
 現在も各所に条里制の遺構が見られ、芸濃町萩野は屋敷割に条理制を残す古い集落である。また、地名にも名残があり、塔世里、垂水里、刊部里等は、今なお大字等に最古の地名として残っています。なお、津市の八幡神社、芸濃町雲林院にある溝淵大明神とも条理に祀られており、安濃郡の守護神として崇められた古社であります。
 ※2(旧)津市、安濃町、芸濃町、三郷村一帯をいう。

雲林院井堰
(うじいいせき)
 雲林院は、古くは無涓の里(水に乏しい土地柄の意)と呼ばれていました。安濃川は、雲林院では深い谷を切って低所を流れ、灌漑の用をなさず、ただ打越川等の小渓流に潤される山間の谷田のみが水田化され、広い沃野全ては生産性の低い畑地でした。「山田のない家へは嫁にやるな」の諺があった程です。
 雲林院の沃野の水田化のために安濃川より取水する必要があり、延宝3年(1675)津藩奉行の柳田猪之助の努力により、井堰及び溝手が開発されています。これが雲林院井堰の起源ですが、工事等の詳細は不明です。
 しかし、この開発により従来の畑を水田に改めた所が多く、これを梅ヶ畑と呼び、従来からの水田先手田方と区別しています。
 井堰開発により、貞享3年(1686)の報告によれば、雲林院の総水田面積51町5反2畝1歩の内、先手田方21町9反5畝6歩に対し梅ヶ畑は29町5反6畝25歩(全体の57%)に、また、収穫においても先手田方256石余に対し梅ヶ畑は420石余(全体の62%)を占め飛躍的に増加しているが、この井堰はまだ技術も稚拙で溝手も不完全な部分もあり、大雨のたびに堰が流出したり溝の漏水があったりしました。この漏水も年月を経るに従い大きくなり、井堰開発により開発した梅ヶ畑も旱天時には旱害を被るまでになりました。
 寛政2年(1790)、当時の庄屋、紀太冶良太夫、増地伊左衛門らの尽力により改修に着手しました。当時、津藩は堰板の使用を厳禁してい たが、漏水の防止のため奉行所の茂木理兵衛の独 断により密かに禁を破って堰板を用いました。下 流の諸村がこれを怪しみ、井堰を壊して堰板の有 無を調べようとしたので、これを知った茂木は、 部下の士多数を率いて雲林院の溝淵大明神に雨乞 いと称して立てこもり、下流諸村の百姓はその威 光に恐れてなすすべもなく退却し、ことなきを得 たと語り継がれています。工期は1ヶ年(4月朔 日から8月の彼岸までの用水使用期間を除く)を 要し、寛政3年8月に改修工事は完成しています。
 これを機に村人は、井堰の安泰を願って、井ノ宮を観請し、美都波能女神、瀬織津姫神の2神を祀り、水利の神として崇敬しました。また、別殿には、井堰の功労者柳田猪之介、茨木理兵衛、杉山六左衛門の3氏を祀り、その思徳に感謝しました。
 この工事の情景は、井ノ宮に奉納する井之宮踊りの歌詞(寛政8年(1796)冶右衛門作詞と伝えられている)に読まれています。
 松の巨木を縦横に巧みに組み合わせて鎹でとめた雲林院井堰は、昭和16年9月16日には三重県史跡に指定され、その後、昭和25年にコンクリート井堰に改修されています。なお、旧井堰は、現井堰の上流数mのところに埋没しており、頂部が水底に見え隠れしている状況です。

水論  米作農業には、安定的な用水の供給が必要で、弥生時代の昔から安濃川に頼ってきました。しかし、渇水流量が非常に少ない河川であるため、水不足による水論が頻発し、新田開発が盛んな江戸時代以降、二つの記録が古文書(「椋本村新井証文(1611)」(北神山区有文書)、「天保十年の水論(1839)」(中跡部区有文書))に残されています。
 水論の原因は旱ばつと水の配分で、特に新田開発が進んでからは、開発の度合いが各々異なるのも問題を複雑にする原因となっていました。
 いずれにしても、当事者にとっては死活問題であるので、※3時には死者の出る騒ぎになったこともありました。現在も安東町跡部の東光寺に「水争致命」と刻まれた新吾の墓碑が残っています。
 ※3 市の南に位置する跡部村と中跡部村が水論を起こし、跡部村の新吾が鍬で撲殺される事件があった。この時の記録が「天保十年の水論」として残っています。)
雨乞い神事  雨が長期間降らなければ農業用水の確保が難しくなるため、※4地元に語り継がれる龍伝説に則り、雨乞い神事が明治以来4回、平成になってからは、平成17年、26年の2回行なわれています。
 平成26年に行なわれた雨乞い神事では、中勢用水土地改良区や地元農家ら50人程が(旧)芸濃町の長徳寺にてご祈祷を 奉げた後、長徳寺に龍が残したとされる 「龍のうろこ」を安濃ダムまで運び祀り、 神事の最後に参加者らは※5錫杖ヶ岳に向って「雨たもれ」と3度雨乞いの言葉を繰り返し、雨が降るよう祈りました。
 ※4 長徳寺には、竜が残したウロコを持って近くの山頂で祈念すれば、必ず雨が降ったという言い伝えがあります。
 ※5 写真中央の最高峰の山が「錫杖ヶ岳」、手前が安濃ダムの貯水湖である「錫杖湖」。


icon 3.国営かんがい排水事業「中勢用水地区」



(1)目的
 近年まで、安濃川に沿って開けた水田は、わずか1,400ha程度であり、雲林院井堰をはじめとする礫、木杭等を材料とした22箇所の井堰で反復取水されており、井堰の維持管理に多大な労力と経費を費やしていました。また、丘陵地では、約100箇所に及ぶため池とわずかな小河川(渓流)が水源で、山間の谷がわずかに水田となっている状況でした。
 一方、畑に至っては、水利施設は皆無でありこの不安定な水利条件が、本地域の農業経営不振の原因となっていました。このため、安濃川の左右岸に広がる2市3町(現在は津市、亀山市の2市)に跨る3,630haの受益地を対象とし、昭和43年度~45年度の3ヶ年で調査計画を行い、昭和46年度に全体実施計画を行なった後、昭和47年10月に事業着手されています。


(2)事業概要
 安濃川の上流に有効貯水量約1,000万m3のダムを建設し安定した水源を確保するとともに、維持管理の軽減を図るために22ヶ所の井堰を4ヶ所の頭首工に整理統合する。また、新規利水地域には、用水路約97kmを新設することにより、計画的・効率的な配水を図ることとされています。
 これら施設のうち、安濃ダム及び第三頭首工については国営で、第一、第二、三泗頭首工は県営で施工され、また、用水路のうち、上流部の約20kmは国営で、下流部の77kmは県営で施工されています。
 なお、事業着手以降、受益面積の変更、安濃ダム関連の補償工事、パイプラインの管種の変更等により、平成2年度末の事業完了までに2回の計画変更が行なわれています。

 ①工 期:昭和47年10月~平成3年3月
 ②事業費:36,609百万円(事業完了時)
 ③受益市町:津市、亀山市、河芸町、芸濃町、安濃町(河芸町、芸濃町、安濃町はH18.1.1に津市に合併)
 ④受益面積:3,630ha
 ⑤主要工事:安濃ダム、第三頭首工、南北分水工、用水路20.3km
 ⑥関連事業

023
※画像クリックで拡大


(3)主要工事計画
1)安濃ダム
 昭和50年度に工事用進入道路に着手し、昭和56年10月からダム建設工事に着手しています。堤体部の基礎掘削及びコンクリートの打設を行い、試験湛水を経て、平成元年11月に行なわれたダム完成検査に合格し、本格的な貯水・運用を開始しています。

(安濃ダムの概要)
024
※画像クリックで拡大



2)第三頭首工
 安濃川に存在する在来井堰を統合し、水利用の合理化と取水の安定を図るために新設された施設です。

(第三頭首工の概要)
025
※画像クリックで拡大


3)幹線水路
 安濃ダムから南北分水工までの導水路は、自由水面をもつ供給主導型の水路であり、南北分水工以降の幹線水路は、パイプライン型式の需要主導型の水路となっています。
 したがって、その接点に南北分水工を設け、調整能力を持たせた水利システムとされています。
①導水路
 トンネルを主体に、地形条件より一部区間でサイホン、暗渠が採用されています。

(導水路の概要)
026
※画像クリックで拡大


②南北分水工
 下流パイプラインの需要変動に対して、安濃ダムからの送水を円滑にするとともに送水時における管路内への空気の混入を防止する等のために、約6,300m3の調整容量が確保されています。



③幹線水路
 (ア)北幹線水路
 送水型式を需要主導型・セミクローズドパイプラインとし、3箇所のディスクバルブスタンド分水工が設置されています。
 (イ)中幹線水路
 送水型式は需要主導型・セミクローズドパイプラインとなっています。
 (ウ)南幹線水路
 送水型式はクローズド形式のパイプラインであり、分水工バルブ操作時の負圧対策等のために、最下流トンネル(野口トンネル)出口部に単動サージタンクを設けて流況の安定を図ることとされています。

(用水路)
027
※画像クリックで拡大


015
出典:「1.はじめに、3(1)目的」は中勢用水勢用水事業誌に日本三津安濃津-三重県国営中勢用水農業水利事業-水土の礎(ホームページ)により加筆、「雨乞い神事」は木曽川水系土地改良調査管理事務所及び中勢用水土地改良区ホームページより、上記以外は中勢用水勢用水事業誌 より



icon 4.国営施設機能保全事業 「中勢用水地区」



  基幹的な農業水利施設である安濃ダム及び第三頭首工等は、事業完了後20年余が経過し、経年に伴う施設の機能低下が生じています。このため、施設の維持管理を軽減するとともに農業用水の安定供給を図り、農業生産の維持及び農業経営の安定に資することを目的に、国営施設機能保全事業「中勢用水地区」が平成24年度から実施されています。

【事業内容】
○ 関係市町:津市((旧)津市、河芸町、芸濃町、安濃町)、亀山市
○ 受益面積:3,183ha(水田:2,869ha、畑:314ha)
○ 事業費:総事業費2,500百万円
○ 事業工期:平成24年度~平成33年度
○ 主要工事の概要:安濃ダム:堆砂除去、貯砂堰堤設置(2箇所)、ゲート整備補修等
第三頭首工:左岸擁壁の改修、護岸・エプロン・護床工・魚道の改修
用水路:導水路、北・中・南幹線水路の改修
水管理施設:遠方監視制御施設の改修(中央管理所(親局)、子局、孫局)


(安濃ダムの堆砂状況)

(出典:国営施設機能保全事業 中勢用水地区の概要書 より)

icon 5.おわりに



 用水源である安濃ダムの貯水を、用水路及び安濃川に建設された各頭首工等により計画的・効率的に配水・運用されていることから、国営中勢用水事業着手前の懸案事項であった用水不足も解消されています。
 この結果、水稲を基幹作物として小麦、大豆を組み合わせた土地利用型の水田農業が定着するとともに、キャベツ等の野菜、花木、果樹など多様な農産物の生産が行なわれています。
 また、安定的なかん水により、水稲の品質向上と併せ10アール当りの収量が事業着手前に比べ1.2倍に増加する反面、水稲の水管理に係る労働時間は、約半分に減少しています。更には、大規模経営農家の地域農家に占める割合が36倍に増加し、地域の重要な担い手となっている等、国営かんがい排水事業「中勢用水地区」を実施したことによる大きな事業効果が発現されています。
 現在、安濃ダム貯水池内に堆積している土砂の一部撤去及び貯砂堰堤の設置、第三頭首工の改修、水管理施設の改修等を対象に国営施設機能保全事業「中勢用水地区」が鋭意進められており、これら施設の維持管理の軽減と併せ施設の長寿命化が図られることにより、今後とも「中勢用水地域」の農業生産の向上及び農業経営の安定化が図られていくものと思われます。

【営農状況】

021
※画像クリックで拡大


【事業効果】

022
※画像クリックで拡大
出典:国営施設機能保全事業 中勢用水地区の概要書 より