■安曇野の主な農業水利史





    立田堰(太郎堰と呼ばれた時期もあった)、温堰、横沢堰、庄野堰、真鳥羽堰、飯田堰などが開削されている。
烏川扇状地では田多井堰、堀金沢、扇町堰、矢原沢などができている。

    このころ温堰の拡張。呑堰の開削。

 
 
 
 
 
慶長13年
1608 初期の新田堰ができたらしい。
慶安4年 1651 新田堰の改修・変更。矢原堰(横堰)失敗。
承応3年 1654 矢原堰(横堰)の完成。
寛文2年 1662 勘左衛門堰の失敗。
延宝4年 1676 村堰が鳥羽中村・太子村・吉野まで延びる。
延宝6年 1678 新堀堰の開削。
延宝7年 1679 新田堰改修、奈良井川からの取水。
貞享2年 1685 二木勘左衛門により勘左衛門堰が開削。
元禄13年 1700 中曽根・熊倉の村境紛争。
天明元年 1781 勘左衛門堰の改修。
寛政10年 1798 平倉六郎右衛門による勘左衛門堰の大改修。
文化10年 1813 吉野村、成相新田、新田町用水路を開削。
文化13年 1816 拾ケ堰の開削。
嘉永元年 1848 矢原堰の訴訟。
嘉永5年 1852 堀廻堰(新堀堰)の開削。

 
 
 
 
 
明治5年 1872 堀廻堰の改修。
明治18年 1885 梓川堤防工事に伴い飯田堰と統合される。
大正9年 1920 拾ケ堰の梓川横断逆サイホン完成。
大正13年 1924 梓川両岸における流血の惨事。
昭和元年 1926 県営梓川農業水利改良事業の着工。
昭和7年 1932 同事業の完成。
昭和19年 1944 国の代行機関「農地開発営団」梓川地区着工。
昭和25年 1950 「農地開発営団」から継承の国営梓川地区完成。梓川頭首工等ができる。
昭和28年 1953 奈良井川の改修で勘左衛門堰の取水口変更。
昭和32年 1957 中信平総合開発の調査開始。
昭和40年 1965 中信平総合開発、国営中信平農業水利事業として着工。
昭和42年 1967 県営中信平農業水利事業の着工。
昭和43年 1968 矢原堰大改修着工。
昭和53年 1978 国営中信平農業水利事業の完成。
昭和58年 1983 台風10号の災害。
平成2年 1990 県営中信平農業水利事業の完成。
平成7年 1995 国営安曇野農業水利事業の着工(地元では「安曇野広域排水事業」という)。
平成12年 2000 国営「あずさ地区」の梓川頭首工・導水路改修の直轄調査開始。