head 本田・藤島十六箇用水:福井市中ノ郷
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 左岸には、もうひとつの用水系統があります。芝原外輪用水のさらに北側に広がる村々を灌漑する本田十六ヶ用水路です。

 昭和の鳴鹿堰堤[なるかえんてい]に統合されるまでは、旧東藤島村に単独で取水門を設置して、本田用水は中ノ郷を潤し、さらに十ヶ用水、六ヶ用水と分流して16の村に配水していました。開削年代は不明ですが、芝原用水と同時期であると推定されます。

 この地域の用水源は、十郷、芝原、御陵、河合春近といった各用水の最後の「もれ水」であり、平年でも水量が不足するなど、近年まで、たいへんな苦労をし続けてきた地域でした。

 本田用水は、中ノ郷で十六ヶ用水と分岐します。藩政時代は、福井藩の直轄用水として厳しい管理下に置かれていました。水奉行所管の用水ですから維持管理の厳しさは芝原用水と同様でした。

 加えて常に水量不足であったため、取水門や分水工にはそれぞれ番人を常置して、日々施設の保全に努め、少しでも異常があれば早急に対応するといった態勢で凌いできました。

 毎年4月の春耕期には、関係する農民総出で、施設の修繕や水路の浚渫を実施し、万全を期したとあります。

 明治になってから、十ヶ用水と六ヶ用水は合同して、藤島十六ヶ用水となっています。