明治という名の壮挙 ― 疏通千里・利澤萬世 命を育む明治用水 [Meiji-Yousui  Rural Resources for Future Generations]

【第一章】安城が原の苦難

農業と工業の王国

愛知県といえば、全国に名だたる工業王国とのイメージを持つ人は少なくない。平成20年の工業出荷額(製造品出荷額等)は、2位の神奈川県の約二・四倍とダントツの1位の座に輝いている。しかし、愛知県が同時に全国屈指の農業地帯であるということをご存知の方はどれだけいるだろうか。農業産出額は全国で6位(平成20年)。農業も工業もトップクラス。このような地域は、他にはない。
そんな愛知県のほぼ中央を矢作川は流れる。周辺には、整然とした農地が広がり、豊かな農村地帯の印象を与える。この地はまた、世界的に有名な自動車メーカーの本拠地とも接しており、工場や住宅の進出も著しい。農業と工業、一見すると、対立するかのように思われる2つの産業の繁栄を支えているのが明治用水である。

現在は、ほとんどがパイプライン化されているため、その流れを見ることはできない。しかし、私たちの皮膚の下を血管が巡り、余すところなく血液を届けるように、この地もまた明治用水という目には見えないラインで活かされている。

荒寥たる草野

はねつるべによる取水。
汲み上げた水を田にかけていた。

ふみぐるまによる取水。

愛知県三河地方の地形。
安城市が台地上に位置していることが分かる。
(出典:愛知県「県土レポートあいち’99」一部加筆修正)

現在、明治用水開削以前の様子を想像することができる者は、そうはいないだろう。広大な台地が広がるこの地は、かつて「安城が原」「五ヶ野が原」と呼ばれるやせ地であった。
現在の私たちは「野原」と一般に言うが、古い日本語では、「野」と「原」の意味は違う。「野」が単なる未墾地を指すのに対して、「原」は水が乏しく、農業もできない台地のことを指していた。かつてのこの地には狐しかすまないといわれるような荒寥たる草野が広がっていたのである。
わずかに台地の割れ目を流れる小河川沿いに小規模な水田が開発されていたが、いかんせん水に恵まれないこの地の農業は苦しかった。そのため、早くから、あちこちでため池が開発され、ついにはため池の延べ面積は488町歩となる。1町歩以上もある大きなため池は84か所にも及び、台地上の耕地の半分以上がこれらのため池に依存していたという。
しかし、それでも水は足りず、農民たちは「はねつるべ」や「ふみぐるま」を用い、懸命に水を引いた。少ない水をめぐって、農民同士で争いが起こることもしばしばであった。
そうまでしても、収穫はわずかで、農民の暮らし向きは、麦・粟・稗・黍などを主食にする貧しいものであったという。朝早くから夜遅くまで過酷な労働に追われる様は「あの子どこの子 安城の子 家のとうさ(お父さん)の顔知らぬ」と歌に詠まれるほどであった。
江戸時代を通じて、この地は、もっぱら焚き木や下草の肥料を求める「入会地」として利用されている。化学肥料や石油燃料がない当時、この地の雑木林がもたらしてくれる自然の恵みこそが、なによりも貴重な資源だった。裏を返せば、それ以外に使いようの無い土地が大半だったともいえる。

ともかくも、明治用水開削以前の碧海台地には、豊穣な田園にたわわに実る稲の収穫など望むべくもなかったのである。

明治用水開削前のため池分布図
網掛け部分がため池。明治用水開削以前の碧海台地が、ため池密集地帯であったことがよく分かる。

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