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  序章
 
 
 
 
 
 
 
 
水路網で形成されてきた日本
 アジアモンスーン地帯に位置し、国土の約7割が急峻な山という平地の少ない日本。 かつては、照葉樹林でおおわれていましたが、2千数百年前、ここに稲作が伝 播し、急激に全土に広がりました。それから稲作を中心とする国土づくりが始まり、 近年まで稲作が社会の基本ともいえる時代が続きました。
日本の稲作は水田で作られるため大量の水を必要とします。
人々は、川から水路を 引き、水を分け合いながら村を形成してきました。
田に水を引く水路は次第に長くな り、網の目のように張り巡らされ、城下町へ、そして都市へと大きく成長してきました。
 したがって、日本の都市のほとんどが水田社会、つまり稲作のための水路網から発 展してきたものです。 

河川の特異性とアジアモンスーン
川から水を引く。これは容易なことのように思えますが、日本のは河川は欧米のそれに比べて極めて急峻です(図1)。
「これは川でなく滝だ!」と叫んだオランダの治水技術者もいました。
そのため、常時安定した水量を得るために、人々は大変な苦労をしてきました。
川の吸収さに加えて、東シナ海で発生した大量の雲がモンスーン(季節風)にのって日本を襲い、毎年集中豪雨をmぽたらします。
まったく雨の降らない日々が何か月も続いたりします。
川は濁流となったり、小川のようにやせ細ったり、流量の変動も極めて大きいのです(図2)。
村や町は、川から水路を引いているため、水路は洪水の流路と化します。
毎年、多くの人々が犠牲になりました。
渇水になれば稲は枯れます。それはすなわち家族や村の死を意味しました。
日本では、1本の川をめぐり、上流・下流、右岸・左岸の村が入り乱れて水をめぐる戦いが繰り返されてきました。

図1


図2


世界一緻密な水社会
日本には約3万5千本の川が存在します。
その流域のほとんどで、水争いを通して、何百年とかけた複雑かつ緻密な水秩序が形成されてきました。
1994年は大渇水の年でしたが、ある村では、197年前の取り決めに従って、水田の水を配分しています。
民俗学者柳田国男は、川を「天然の中で最も日本的なるもの」として、川をめぐる社会の緻密さは世界に類がないと言っています。
日本においては、鉄道網や道路網と並んで、水路網は社会を作るためのもっとも基本的な社会資本なのです。


水を創る
日本の農民たちは、年中水の絶えることのない川を確保するために、何百年にもわたって山に木を植え続けてきました。そして、国土の7割近くを山林として維持してきたのです。
こうして涵養(かんよう)された水を維持し、循環させ、使い続けるために、水における変動の激しい国土と気象条件の中で、協調し、共同し、ときに争いながら、高度な水秩序を形成してきました。