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01

扇状地の上部から下部へ直線状に、あるいは放射状に広がっていく。

そしてまた当然のことながら、上流よりも下流ほど、水の量は減っていき、水のなくなったところで集落や水田は終わる。つまり、尻すぼみの形になる。


安曇野の集落は、扇状地の上流部分から魚鱗[うろこ]状に広がってきた。また、最下流部の“花見[けみ]”と呼ばれる湧水地、川が合流するあたりの湿地帯は水があるので比較的早くから集落が成立していた。上述したが、江戸期半ばまで水がなかったのは、扇状地の大半を占める中流部の平地一帯だったのである。


ここにどうやって水を引いてくるのか。上流部からはもう無理である。下流部からも不可能。……難問であった。


もう一度、図3を見ていただきたい(前頁)。

扇状地の中腹で、水路はおびただしい数に増えている。その上に、斜面を横切る水路が数本確認できるであろう。上から堀廻[ほりまわし]堰、十箇[じっか]堰*1、勘左衛門[かんざえもん]堰、矢原[やばら]堰……。十箇[じっか]堰や勘左衛門[かんざえもん]堰のごときは、あたかも扇状地の頂上部に向かって流れているような部分さえ見られる。


02

通常、水路は、スキーの直滑降のように斜面をまっすぐに降りていく(左図)。水の流れも速く、遠くまで流せる。

ところが、これらの水路は等高線とほぼ平行に、斜滑降のように斜面を横切って流れている。つまり、水を上からでもなく、下からでもなく、横から引いてきたのである。当然この水路は従来の堰と直角に交わることになる。

斜面をまっすぐ降りていく水路を縦堰、これらの新しい水路は横堰と呼ばれた。複雑な地形の綾[あや]を巧みに読んで、等高線沿いにわずかな傾斜で引いてくる。

原理的には可能だったが、横堰開削[かいさく]には極めて高い測量技術、建設技術が要求された。そして、何より既存の集落や網の目のような水路(縦堰)、幾つかの川を横切らなくてはならない。また仮にできたとしても、流れは遅く、水草や土砂も溜まりやすい。まして、この水の潜りやすい礫質の大地でそんな水路が可能なのか。当然のことながら巨額の費用と労力が要る。当時としては、ほとんど神業[かみわざ]に近い水路だったのである。村中を敵にまわして、しかも、失敗すれば、末代[まつだい]物笑いの種。

その先駆と思われる矢原堰[やばらせぎ]の開削は、江戸初期の承応3年(1654)。矢原村の庄屋・臼井弥三郎[うすいやさぶろう]の功績と伝えられ、今も水路の取り入れ口には頌徳碑[しょうとくひ]が建っている。


何度も何度も試みて失敗したらしい。それでもめげず松本藩に許可願いを出し続けたが、「奮然と志を決し、磔柱[はりつけばしら]を廃渠[はいきょ](失敗した水路)の傍[かたわ]らに立て、訴えて曰[いわ]く、事もし成らずんば、極刑におもむかん準備すでにあり、あえて役人を煩[わずら]わさずと。悲壮、激越[げきえつ]、声涙[せいるい]ともに下る。藩その誠意を感じてこれを許す」(臼井弥三郎頌徳碑より意訳)。着想・普請[ふしん]とも神業なら、その敢行の意志もまた聖者に近い。


延長約九キロメートルに及ぶ横堰・矢原堰の成功は、地元に大きな展望を与えたに違いない。


その25年後、新田[しんでん]堰という妙な水路が改修されている。この水路は当初、平安時代からある真鳥羽[しんとば]堰の流末や余り水を利用したものであったが、ほとんど水は得られなかったらしい。そこで新しい取水口を求めて、梓川[あずさがわ]まで等高線沿いに横堰を築いた。ところが、梓川の水も上流で取られてしまい、川原は枯れ野と化している。


妙なのはここからである。大胆にも彼らはそのまま梓川を塞[せ]き止めて掘り進み、隣の奈良井[ならい]川の水を(梓川を横断して)引いてきたのである。前代未聞というべきか。


03
写安曇野の田園風景と北アルプス

奈良井川。

中央アルプスの駒ケ岳から流れ出るこの川は、奈良井宿[ならいのしゅく]を通って約50キロメートルを流れ、この地で梓川と合流し、犀[さい]川となる。木曽山中から来るので、安曇野では木曽川とも呼ばれていた。奈良井川の水は豊富で、水温も高かった。


つまり、彼らは、裏に聳[そび]える北アルプスではなく、中央アルプスの水を引いてきたことになる。


その数年後、今度は成相組代官であった二木勘左衛門[ふたつぎかんざえもん]*2が、同じく奈良井川から取水し、梓川を横掘りして扇状地の中央近くにまで達する約9キロメートルの水路を築いている(1685年)。

これは勘左衛門堰と呼ばれて、今なお現役である。


それらの横堰は、既存の縦堰と絡み合い、より緊密かつ複雑なこの地の水利ネットワークを形成していく。




*1

現在は、拾ケ堰と書く。次章参照。


*2

松本藩普請奉行の浦野勘左衛門ともいわれている


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