下の写真は、吉野川の下流域。向こうは海。
左岸の徳島市や松茂町がぼんやり見える。
川の中央を塞[せ]き止めているのが第十堰[だいじゅうぜき]。その手前に、川は細いながら枝分かれしている。
「旧吉野川」という。
その名が示す通り、かつては「旧吉野川」が本流であった。
正保3年(1646年)の絵図を見ると、このあたりは網の目のように流れが入り組んでいる。巨大な川原と言った方が正確になる。
徳島藩が舟運のため吉野川の第十堰あたりで別な川とつないだため、川は一気に直進し、幅を広げて現在の流れとなったらしい。
氾濫を繰り返した吉野川は、その凄まじい流れとともに大量の土砂を運んできて、このあたりに堆積した。つまり、広大な砂州[さす]が出来上がったのである。
土地は肥沃である。
現在も、徳島きっての農業地帯であり、京阪神方面の重要な農産物供給基地である。
さて、吉野川総合開発、つまり上流での分水についてはすでに触れた。
歴史的大事業だったとも述べた。
しかし、徳島県が最も危惧[きぐ]したのはこの地域であった。
下流の沿岸部においては、川の水が減ると、海の水が遡上[そじょう]する。地下水も塩水化する。旧来より、この地域では干ばつの度、各地で田畑の広域かつ大規模な塩害が発生していた。周辺の都市化によって、水質は悪化、さらに地下水の汲み上げ等により地盤も沈下。
また、土地が低いため、田の排水もままならない。農民は、旧吉野川、今切川に樋門(ゲート)を設け、「三湛[たん]二落[らく]」(3日間取水、2日間排水)といったこの地域特有の水管理を行ってきった。
田畑の塩水を希釈するには大量の真水が必要となる。
今も、川をめぐる闘いは決して終わっていないのである。
「国営総合農地防災事業吉野川下流域地区」*。
この地域5,770haに及ぶ広大な農地のための水利施設を修復。再編する事業である。
興味がない方も、おありであろう。
しかし、以下のことだけは肝に命じていただきたい。
健全な農業の継続なくしては、この一帯は砂上[さじょう]の楼閣[ろうかく]ならぬ“砂州[さす]の楼閣[ろうかく]”となってしまうであろう。
幾多の困難を乗り越えて成し遂げた先人の歴史的偉業も、“農”という生存の根幹をなす仕事を失っては、たちまちのうちに風化してしまう。
守ることこそが、“水”や“土地”を守ることに他ならない。
そして、それを守ることができるのは、地域の人間しかいないのである。
1.関係市町 徳島市外1市6町
2.受益面積 用水改良 5,770ha
3.関係農家戸数 9,008戸
4.主要工事 取水口2カ所、揚水機場1カ所、幹線用水路65km、水管理施設1式
※この地域は都市化、混住化の進展が目覚ましく、農業用水の水質が悪化、さらに、地形的に低平地のため地下水の過剰取水にともなう塩水化、地盤沈下による排水不良など近年水環境が急激に悪化しています。また、用排水施設の老朽化により維持管理費も増大しています。
本事業は、徳島市外1市6町の5,770haに及ぶ広大な地域を対象にこれら諸問題を抜本的に解消するため、取水口を吉野川の柿原堰と第十堰の2カ所に合口するとともに幹線水路の整備を行い、農業用水の水質改善、用排分離による塩害防止と耕地の汎用化、用排水施設の機能回復を図り、もって農業経営の安定を近代化を図るものです。