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icon新潟地震


01
栗ノ木排水機場
(昭和23年完成当時)

地盤沈下の騒動に揺れていた昭和39年、新潟はM7.5という大地震に襲われる。死者26名、家屋の全壊全焼3千戸余り。

農地の被害も甚大であった。特に、激震地となった通船川周辺では、堤防が400メートルにわたって崩壊。農地の各所には地下水が噴出して煮えたぎる鍋さながらであり、稲は見渡す限り水の中。大音響とともに家が裂け、まさに地獄絵のようであったという。

農地・施設の被害総額は実に30億4,000万円。それはこれまでの亀田郷の土地改良に投じた巨費32億円に匹敵する額であった。

同改良区は「災害復興農民総決起大会」を開催して、国会議員や県会議員に様々な復旧対策を訴えた。通船川の防衛に当たって示した亀田郷農民の団結と結束力は、周辺の住民に強い印象を与えたという。


icon親松排水機場


この復旧工事では、都市排水と農業排水を分離する案が採択された。新栗ノ木川は都市排水専用路。栗ノ木川は埋め立てて道路とし、農業排水は栗ノ木排水機場に代わって鳥屋野潟の西端に親松排水機場を新設し、信濃川に放流することとなった。

こうして、昭和43年、毎秒60トンの排水能力を持つ親松排水機場が完成し、これまでの栗ノ木排水機場に代わって、郷内排水の基幹施設となるのである。

災い転じて福となす、とでも言えようか。災害のたびにこの地の農民は怯むことなく団結し、国を動かし、自らの地域を確かなものに造り変えてきた。そうした努力の結果、この平野は全国で最も先進的な水利システムが完成していく。

ちなみに、亀田郷土地改良区の闘いは国の制度まで変えている。事業採択基準の緩和、補助率の嵩上げ、長期低利資金の融通、地方公共団体による土地改良施設の管理や土地改良事業助成、災害復旧工事の制度改正……。

ともかくも、それは藩政の抑圧に押しつぶされてきた惨めな農民ではなく、この地を背負って、いかなる困難にも打ち勝つという自信に溢れた新しい時代の農民の姿であった。


icon亀田郷地域センター


02
表1 亀田郷の
土地改良事業、
土地改良区の主な活動
[ PDF:53KB ]

その後の亀田郷に施された事業、土地改良区が行ってきた活動などを表1に挙げておく。

これらの事業に要した費用は確かに莫大なものとなろう。しかし、これは決して農民による地域エゴではない。郷内農民の土地改良事業量に応じた自己負担金は、全国平均の3倍以上におよんでいる。厳しい自然条件を克服するため、これだけの負担に耐えてきたのである。

さらに、近年になって大きなうねりが押し寄せてきた。急激な都市化現象である。

亀田郷は県都・新潟市の一角を占め、市街地に隣接しているため、凄まじい都市化の波にさらされたのである。農地転用、農業の商品経済化、生活スタイルの都市化、都市住民との混住化……。

このため、亀田郷土地改良区は昭和50年、都市と農村が調和する土地利用のあり方を求めて「財団法人亀田郷地域センター」を設立、事業の効用発揮と環境整備を併せた先進的な地域づくりを推し進め、全国の農村地帯の注目を浴びてきた。総合病院の運営、市の下水処理施設やし尿処理施設の誘致、中国三江農業開発の技術協力、環日本海運動……。

これらの目覚しい活躍は、司馬遼太郎をして「小さな幕府」とまで言わしめている。


icon国営基幹排水施設 新・親松排水機場の完成


さて、粗々ながら、亀田郷の変遷をたどってきた。この地の歴史は土地改良の歴史だったと言っても過言ではなかろう。

新潟平野には多くの排水機場がある。中でも、国営事業で造られた新川河口排水機場、新井郷川排水機場、白根排水機場、そして親松排水機場。この4機場を合わせた排水量は毎秒450立方メートル。信濃川の平均流量に相当する。つまり、新潟平野は信濃川の流量以上の水を強制的に排除することによって、平野たりえていると言える。これら国の基幹施設として造成された排水機場の維持管理には農民の負担を伴なっていることも強調しておきたい。

そして、亀田郷の排水の基幹施設となった親松排水機場。完成から30年以上が経過し、施設の老朽化や排水機場の沈下などにより、排水機能の維持が困難になってきた。このため、平成14年度より国営亀田郷農業水利事業で新しい親松排水機場の建設工事が始まり、同20年、完成を迎えることとなった。

完成後、同排水機場の管理は新潟県に引き継がれ、運転操作は亀田郷土地改良区が当たることになっている。


icon農で持続する循環型社会を目指して


今なお亀田郷土地改良区は、持続可能な農業、循環型農村社会の形成を目指して、先人たちが想像もつかなかった高い次元での農村づくりを目指して奮闘している。 環境整備連絡協議会、環境再生構想、バイオマス・ニイガタの提案。そして、平成19年には、水質改善、景観形成、生態系の保全を目的とした「環境用水」が全国で初めて国土交通省の許可を受け、農業用の水路に導入されている。

「農」とは単に作物を作るだけの行為に留まらない。それはまさしく国土づくりであり、地域づくりであり、人間の暮らしのためにあらゆる課題と闘うことでもあると言えよう。


03
新親松排水機場(左下建物)と鳥屋野潟(右奥)




 ※ページ上部イメージ写真 : 新親松排水機場
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