05:「ほす」

児島湾干拓


▲児島湾干拓。
海が美田に転じる歴史的一瞬(昭和30年6月)。


岡山県岡山市一帯の平野は、その昔、ほとんどのエリアが海でした。約820年前、日本で最も有名な源平合戦では、この平野で“海戦”が行われたと記録にあります。 この平野の北にある山地は、古来1,000年以上にわたって鉄の産地でした。伝統的な製法では、木材を大量に消費します。鉄1tを精製するのに、薪を50t必要としました。これに加え、この地の特産品である塩の生産や焼き物も大量の薪を消費しました。これにより、この一帯の山林はことごとく伐採され、長い時間をかけて大量の土砂が河川によって海へ流れ込みました。さらに、この付近の海は干満の差が激しく、流れ出た土砂は再び沿岸に堆積します。
この現象を人工的に推し進め、農地化を繰り返してきたことにより現在の平野ができあがったのです。岡山平野の農地2.5万haのうち、実に2万haが干拓によって生み出されてきたものです。
しかし、平野ができたところで、そこに水を通わせなければ、生きた土地とすることはできません。
右下の図は主要な水路を簡略化したものですが、実際にはもっと緻密な水路網が張り巡らされています。 戦後に行われた児島湾干拓事業では、児島湾の中ほどを堤防で仕切って淡水湖を築き、その水をポンプで上げて、干拓地に導いています。


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