07:「むすぶ」

拾ヶ堰


▲安曇野の横堰
『長野県土地改良史』より転載


上図の、放射状に広がっている青いラインの上半分は、昔からこの地で形成されてきた幹線水路網です。ところが、この斜面を直角に横切る水路が何本かあります(赤線)。そして、この赤い水路の下から沢山の水路が生じていることが分かります。このうち、最も長い水路が、「拾ヶ堰」と呼ばれる特殊な水路です。これだけのエリアを潤す水は、最上流部にある川1本だけです。1本の川が、ちょうど紐をほどくように何本かに分かれています。当然、末端部の水の量はわずかなものとなります。そこで、農民が考えたのが、別の地域から水路を引いてきて、これらを横につないで下流部の水量を増やすという奇抜なアイデアでした。長野県穂高町一帯を潤す拾ヶ堰は、1816年、わずか3ヶ月の工事により完成しました。人夫の数はのべ67,000人。全長は約15km。その勾配は約1/3000、すなわち、3km進んで1m下がるというゆるやかさ。つまり、ほとんど等高線に沿った水路ということになります。200年前の手掘りの水路。想像を絶する正確さといえます。
これを造った庄屋・等々力孫一郎は、26年間にわたって土地を詳細に調べ上げ、反対派の暴漢に襲われながらも、役所への交渉を成立させました。水路と水路を結ぶ、横つなぎの水路。こうした縦横の水路の複雑な組み合わせにより、この農村は、長野県下でも有数の米どころへと変貌しました。


拾ヶ堰
香川用水
  • ひく
  • ほる
  • ためる
  • わける
  • ほす
  • もどす
  • むすぶ
  • まもる