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荘園制から戦国大名による支配

弥生時代

 国家は、開田を奨励するために「三世一身法」(723年)を定めました。これは新たに開墾した農地は本人・子・孫の三代まで私有が認められるという法律でしたが、私有期の終わりに近づくと荒田に戻されるということから「墾田永年私財法」(743年)によって、開田について永久私有を認めるようになり、公地公民制度が後退し、8世紀の後半には、荘園制として定着しました。


大和政権誕生へ

 10世紀頃から荘園は大きく成長し、荘園内部で力を蓄積した豪族が新しい支配階級として台頭し、源頼朝は1192年に武家政治を確立しました。ここに、中世封建社会の幕が切って落とされたわけです。
 鎌倉幕府は、国ごとに守護を、荘園・公領ごとに地頭を配置したので、流域ごとの水利開発が進められていきました。関東平野や木曽川流域などが開発されました。


奈良時代

 室町時代に入ると、守護の力が増大し、荘園や公領を支配する守護大名となり、在地の土豪と主従関係を結びました。その後、応仁の乱(1467年)により、足利幕府は有名無実となり、荘園は武士に横領され、荘園制は事実上崩壊しました。いわゆる戦国期の到来です。
 その一方、村落共同体の自立化が進み、「惣(そう)」と呼ばれる村落自治組織が成立しました(14世紀頃)。近江の国菅浦荘、山城国伏見荘、伊賀惣国などが惣村自治の代表例です。このことは、農業水利末端網の管理組織の確立を意味しています。また、ほぼ同時に「入会(いりあい)」も形成されています。
 このように、領主による水田開発と、村落自治体による末端水利の管理、入会による肥料自給という日本型水田農業体系の原型が確立しました。
加賀の一向一揆(1488年)は、富樫氏を名目的な守護としながらも、完全に本願寺門徒による自主管理の体制を確立し、守護大名の支配を排除した「百姓の持ちたる国」として、その後約百年間にわたって史上類例のない共和政体を構築しています。

 
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