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 江戸時代も含めてこれまでの開墾(干拓)事業は、その多くが豪農や豪商によるものであり、条件の良い場所は、すでにほとんど大規模な開墾がなされていました。したがって、士族による開墾は政府の思惑とは裏腹に難儀を極め、その多くは失敗に帰しています。

 せっかく土地の交付を受けながら自ら開墾する意志なく、人を雇ったり他人に転売したりした士族も大勢いました。移住開墾の困難に耐え兼ねて中途帰国する者、農民に売り払って転業する者、商人にだまされて土地を手放した者、あるいは真面目に開墾しても、経験不足から経営に破綻したり、逆にある程度の成功を収めて都会に転身したりと、士族授産による開墾地もそのほとんどが明治の終り頃には他の農民や豪商の手に渡っています。

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 他の政策である事業資金の貸付はもっと成績が悪く、松方デフレ(明治14~17年)による大不況に襲われたこともあって、数社の成功を除けば貸付を受けた士族の事業のほとんどが破産、休止に追い込まれ、結果的にこの授産方策がむしろ士族の窮乏化を促進、あるいは深刻化させたとも言われています。明治20年(1887)の会計検査院の報告では、士族授産を「前途成業の見込みなく資金を浪費したもの」とした上で、政府は多額の資金を支出し、かえって多くの士族の恨みを買ったと断じています。

 失敗の原因としては、士族が事業に不慣れであったこと、あるいはとりわけ開墾という重労働に耐えられなかったこと、さらに金融業者や商人に容易に騙されるなど、一般社会の常識に対して迂闊であったことなどがあげられます。

 しかしながら、やはり最も大きな要因は、封建制度から資本主義社会へ移行する過度期であったため、経済変動や社会変動が激しかったこと。直接的には、いわゆる明治14年から始まる緊縮財政と紙幣整理事業(不換紙幣を兌換紙幣で整理して日本銀行の設立により通貨信用体系をつくること)による大不況、いわゆる松方デフレが決定的な影響を与えたと言えるでしょう。

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