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 前述したように、士族授産事業は士族を救済するという第一の目的に関しては失敗しました。しかしながら、資本主義社会の早期実現というもうひとつの狙いにおいては、大きな功績を残しました。


(1)農地面積の増加

 士族の挫折にもかかわらず、結果として明治初期から中期にかけて、北海道は言うまでもなく全国の山林原野や海面が開墾(干拓)され、我が国の大幅な農地の拡大がみられたこと。内地の士族授産だけでも10万haを超す農地が払下げ・貸下げされています。また北海道の開拓、明治時代に導入されたセメント・ダイナマイト・ポンプなどの近代技術により開発された農地を併せると、明治期の約40年間に67万haの農地の増加がみられます。これは江戸期約180年間に増加した152万haに比べると、約2倍の伸びを示しています。さらにそれに伴って制定された「水利組合法」「耕地整理法」などにより、農業水利が合理化され、生産力の飛躍的な向上もみられました。

 資本主義社会の基礎造りが農地の開墾から始まったことは重要な意味を持っており、士族授産の果たした役割は少なからざるものがあったと言えるでしょう。


(2)新産業の移植

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 授産金等により士族が興した産業には、綿糸紡績業、メリヤス工業、紅茶製造、マッチ、石鹸、セメント、発電事業など外国より導入された新しい産業が多くみられます。これは政府による殖産興業政策の一環でもあったのですが、士族としてやるからには敢えて町人が手を出せない分野に進みたいという気位もあったようです。そのほとんどは失敗しましたが、明治期に興った新産業の多くは士族授産が先鞭をつけたものであるということができます。


(3)地方産業や特産品の開発

 日本一を誇る静岡の茶園、岡山の紡績、広島の綿糸紡績、鹿児島の薩摩縞、福岡の久留米絣、石川や福井の羽二重、福島の絹織物、山形の米沢織、名古屋コーチンを生んだ養鶏業等々、いずれも士族授産を契機となってその地方の特産となり、現在まで続く地場産業を形成したことは特筆されるべきでしょう。


(4)資本主義経済の台頭

 資本主義経済の基本的要素ともいうべき賃金労働者、資本の造出、金融機関の普及、会社組織の普及、企業的精神の醸成などは、士族授産事業を通じて培われたと言っても過言ではないでしょう。

 他にも政策の評価をめぐっては様々なものがありますが、いずれにせよ、封建制度の象徴的存在であった士族を、あえて資本主義社会づくりの先兵として位置づけたところに、この士族授産事業の歴史的妙味があるのではないでしょうか。

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