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今日の胆沢平野にはおよそ1万ヘクタールの水田があり、8万人あまりにおよぶ人々が住んでいる。

胆沢平野の先人は、胆沢川に堰をたて、水路を引き、森や草原や荒地を拓いて耕地にしてきた。しかし苛酷な自然はおだやかな生活を許さなかった。堰は洪水のたびごとに壊され、日照の夏は人々を水争いに巻き込んできた。

平野のなかを縦横に走る総延長450キロメートルの農業用水路と、扇頂から扇央各地に散在する用水溜池は、人々を災害から守り、生産の向上を図るため、先人が英知を傾けた所産である。

今日の豊かな農村景観は、このような先人の苦難と努力のたまものといってよい。胆沢平野をめぐり歩くと、そうした先人の努力のあとをしのぶ開発記念碑を数多くみることができる。



胆沢平野の開発につくした人々をみると、寿安堰の開さくにあたった後藤寿安や千田左馬、遠藤大学、二の台堰の開さくにあたった葦名盛信、盛定のように史上に名を残している人、茂井羅堰を開さくしたと言われる北郷茂井羅や、穴山用水堰の開さくを手がけたとされる照井三郎のように伝説に名を残している人、そしてこれらの事業に協力した無名の人々、さらにはムラや家族のために小さな用水路や用水溜池の開さくに汗を流した数多くの農民がいた。



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