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なにかしらその土地土地[とちどち]の山河には悠然[ゆうぜん]たる原理のようなものがあって、人がそれを迂闊[うかつ]に改変しようとすると大きな反動を受ける。そして、その大地との長い闘いを通して、その土地土地の風土や人間的気質のようなものが生み出されてくる。


戦時中、弘前[ひろさき]に本拠[ほんきょ]を置いた第8師団[しだん]は、日本最強といわれ国宝とさえ称[たた]えられた。けだし、当然であろう。彼らこそ、350年にわたって稲作の最北前線兵であり続けた日本最強の農民達だったのである。


そして、太宰治[だざいおさむ]、棟方志功[むなかたしこう]、寺山修二[てらやましゅうじ]といった津軽独自の風土が育てた多くの文学や芸術。五木寛之[いつきひろゆき]は「津軽人は津軽という土地の、永遠の囚人[しゅうじん]であるか、または永遠の愛人なのである」と作家らしい表現で、この土地の風土の奥深さを語っている。


さて、あたかも戦後の近代農業土木技術は、何百年という津軽の歴史的悲願を、わずか数十年で達成してしまったかのように思える。

しかし、そうではない。


頭首[とうしゅ]工や揚水[ようすい]・排水機場といった高度な機能は備わったが、今も、土淵堰[どえんぜき]や廻堰大溜池[まわりぜきおおためいけ]をはじめほとんどの本質的な水利システムは先人が築いてきたものである。

ケガヅもなくなり、ようやく人が米で食えるようになった時代。歴史的に見ればほとんど同時代に、農業は産業としての危機が叫ばれるようになった。


もし、この津軽まで農業が揺[ゆ]らげば、この地は2度にわたって「まほろば」を失うことになる。


岩木川の水質が、東北でワースト2位だという。

かつてサケ・マスが飛び跳ねるように遡上[そじょう]したという川の豊かさはもうない。

さらに温暖化など長期的な気候の変化も危惧[きぐ]されている。

もし、私たちがこの先目指すものがあるとすれば、それはおそらく、気候・地質・地形をコントロールできる弥生的世界、そして、大自然の豊かさを享受できる縄文のまほろば、それらを兼ね備えた大地でなかろうか。


下の年表は、農業に関わる主な出来事を簡単に列挙[れっきょ]したものである。

わずか数十行に過ぎないが、一行一行に、何万人という先人の汗と涙、そして時に、何万人という尊い命が犠牲[ぎせい]になっている。

彼らは何を求めたのであろう。何を遺[のこ]したかったのであろう。そして、私たちの社会はそれを真に受け継いだのであろうか・・・。


この先、津軽はどんな子らを育てるであろうか。

どんな子らに育って欲しいかは、どんな土地、どんな風土であって欲しいかということと同じであろう。


この先、津軽において最も大切なものを、私たちの世代が遺[のこ]してやろうではないか。先人達が遺してくれたように。


01

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津軽平野の主な農業年表

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