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icon1. 資源とはならなかった川


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写真:宮川と度会橋
(対岸が宮川堤)

江戸時代の各藩にとって河川と森林は最も重要な資源であった。基本的には水田から生じる石高が藩の財政基盤であり、その水田を潤すための用水は川から引いていた。したがって、川の安定的な水量を確保するためには広大な水源林が必要であった。森林は建築資材や薪炭などとして現代の電気や石油に代わるエネルギー資源であり、また洪水を防ぐためにも山林の管理は重要な藩の課題であった。

川は時に氾濫を起こし、人馬や田畑に災害を及ぼす。特に日本の国土は急峻であり、豪雨が夏に集中、台風の害とあいまって、ほとんど毎年といっていいほど各地に災害をもたらした。しかし、この河川の氾濫こそが平野の土壌を肥沃なものに変えた。そのため例えば徳島藩などでは、藍作の肥料としての川の氾濫を許し、吉野川には堤防を造らなかったほどである。

河川による災厄と恩恵。治水と利水こそは近世までの藩にとって永遠の課題であった。大きな藩は必ず大河を擁しており、功罪半ばする大河のマネジメントこそが藩の政治経済の根本であった。

ところが、全国でも屈指の大河を持ちながら、最大の資源である河川をまったく利用できなかったという平野もあったのである。利用できないどころか繰りかえし襲う洪水の惨状。つまり、災厄ばかりが続き、ほとんど恩恵にはあずかれなかった大河――― それがこの宮川なのである。

宮川は流域面積920k㎡、流路91kmという三重県最大の河川*1。しかも水源地は「月に35日は雨が降る」といわれる日本有数の豪雨地帯・大台ヶ原(紀ノ川や熊野川と同じ水源地)。その狂ったような濁流は一瞬にして街や田畑を飲み込み、古くから「大台のきちがい水」と言われ恐れられてきた。

しかし、普段の宮川は現在でも数年間全国トップを誇るほどの清流である*2。どんな日照り続きでも枯れたことがないという豊富な水量、そのうえ水質は清冽極まりなし。

伊勢平野は伊勢市、玉城町、多気町、明和町と優に1万5千haを超す。江戸時代であれば津(藤堂)藩と同様、20~30万石の藩があってもおかしくはない平野である。

しかし、有史以来、戦後に至るまで、この日本一清らかで汲めど尽きせぬ宮川の水は、この平野において農業用水として利用されることはなかった。昭和32年から始まる宮川用水事業が完成するまで、この川には一本の堰も水路もなかったのである*3。

そのせいかどうか、この地に藩は成立していない。宮川右岸は伊勢神宮の領地であり、左岸は大半が紀州徳川藩の飛び地(勢州田丸領)。そして、そのことがこの地の水利開発を遅らせる大きな要因ともなってゆくのである。


icon2. 宮川の水が引けなかった地形的要因


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図1:越前平野
(全域が越前藩の領地)

近代にいたるまで宮川に堰の一本も築かれなかった大きな要因を挙げるとすれば、まずはその河床の低さであろう。

図1は越前平野。九頭竜川が平野に出る場所、つまり扇状地の扇頂に位置する地点(鳴鹿堰・標高約30m)に堰を造れば、平野のほぼ全域を潤すことが可能である(図に示す青色のエリアは標高20m以下の区域)。

したがって越前平野では、すでに平安時代から大きな水路(鳴鹿堰)が築かれ、江戸時代には現在のような8本の水路網がほぼ完成していた。

ところが、宮川が伊勢平野に出る地点(越前平野でいえば鳴鹿堰の位置に相当する場所)は、伊勢自動車道と宮川が交差する岩出(現玉城町岩出)という集落である。この集落の標高は15m程度であるが、河床は4~5mほどの高さしかない。仮にここに堰を造って何らかの方法で水を引いたとしても、地形上、水が届くのは図2の青いエリア(標高5m以下の区域)のみである。

このことは宮川左岸の平野が沖積平野ではなく、洪積台地であることを示している。平野らしく見えるが、実際には土地は激しく波打っており、極めて複雑な地形となっている。この地形の特殊さはこの地に中央構造線が走っていることと無関係ではない。 それにしても、近代にいたるまで堰のひとつも造られたことがないというのはにわかには信じがたい話である。多気町は古代から水銀の特産地であり坑道の技術はあった。またこの地には多くの巨大な溜め池が造られており、土木の水準は高かったはずである。宮川の上流を塞き止め、国束山に数kmの隧道を掘れば、不可能ではない。また、少なくとも図2で見る限り、宮川右岸に位置する神宮領には地形的にも水路を引くことは可能であったはずである。

事実、同じ紀州藩の飛び地であった多気町では、櫛田川を塞き止めてトンネルを穿ち、約440ha(現在)の水田を潤す全長30kmの立梅用水を造っている(1823年完成)。


そういう大工事ができなかったのはなぜか。次に人文的要因を探ってみたい。

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図2:伊勢平野
(右岸が神宮領、左岸は紀州領他)




*1

三重県内を流れる川では最大。木曽川、揖斐川、熊野川などは一部が県に接するか、県内を通過しているだけ。


*2

平成22年全国一級河川の水質現況における平均水質(BOD値)ランキングで宮川が5年連続で全国1位になっている。


*3

宮川上流の山間部では小規模な取水が行なわれており平野でも支流の横輪川などには堰はあったが、本流には一本もなかった。

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