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ファン・ドールン
ファン・ドールン

 安積疏水と言えばファン・ドールンというほど彼の存在は有名です。猪苗代湖の十六橋畔に建つドールンの銅像(昭和5年に東京電力が建立)には、安積疏水の設計はドールンであり、安積開拓の父として称える碑文が刻まれています。

この銅像をめぐっては、戦時中のエピソードがあります。ドールンの銅像は、軍による銅供出の命令でそのまま砲弾になる運命でしたが、ある晩、疏水の関係者によってひそかに運び出され、地中深く埋められました。そして、戦後再び掘り出され復帰しました。このエピソードは「隠されたオランダ人」として全国的な反響を呼び、オランダを感激させるなど国際親善にも一役買いました。

こうした美談も手伝ってファン・ドールンの名声は定着したようです。


しかし、実際のところドールンの役割は設計図への助言、あるいは監修といった役割に過ぎず、当時の正確な記録によれば、彼が仙台からの帰途、郡山に滞在した期間はわずか4日。しかも、当時の工程から計算すると、設計図の閲覧、現地調査に費やした時間は2日半しかなかったことになります。


南一郎平
南一郎平

 安積疏水の全体設計は内務省の南一郎平、詳細設計は当時フランスで学んだ山田寅吉(内務省勧農局)を中心とする日本人技術者達でした。


いずれにせよ、ファン・ドールンの指導とお墨付きを得た設計は政府で承認され、いよいよ明治12年の秋、士族授産最大の事業、我が国で初めての国営による農業水利事業が着工される運びとなりました。

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