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 仮に今、宮本百合子が生きていて、この郡山の変貌ぶりを見たら、なんと思うでしょうか。

確かに当時の桑野村は悲惨なものでした。明治政府が力を入れた士族の授産も、その多くは失敗に帰しました。しかし、この安積疏水の残した水路は、その後、絶大な効果を発揮することになります。

沼上発電所
沼上発電所

 明治32年、沼上発電所が建設されます。40.9mの落差を利用した日本で2番目の水力発電所。当時としては極めて難しかった送電に成功し、沼上発電所は、日本の長距離送電の草分け的存在となりました。この安い電気を求めて郡山絹糸紡績会社、日東紡績会社等の製糸会社が進出し、一躍郡山は殖産興業の先進地として急激な発展を遂げていくことになります。


一本の水路にかけた先人達の夢。そして、一本の水路が生み出した東北の名都・郡山。

その後の郡山の発展については、述べるまでもないでしょう。現在の郡山の人口は約34万人。わずか7,000人に過ぎぬ宿場町からのスタートでした。

思えば、明治9年、明治天皇の巡幸で訪れた大久保利通が、開成社を案内されたことに発したこの歴史的大事業。大久保の夢は20年を経ずして明治の世に大きな花を咲かせ、現在もなお、福島の地に計り知れない恩恵を与え続けています。

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