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隧道[ずいどう]や水路は、ただひたすら掘ればいいというものではない。安定した流速と適切な水量を、水の重力エネルギーだけで数キロメートルにわたって維持するには、相当の計算力と広範[こうはん]な知識、また経験の積み重ねが要る。

今でいう物理学や数学の体系的学識、水理学、測量、構造学といった工学全般、あるいは地理、地質や地盤などの地学、さらに、気象、河川、森林等に関する深い造詣[ぞうけい]。

測量器械やコンピューターもなかった時代、彼等農民は何故あのように妙[たえ]なる用水を築き得たのか。

このことは、この地の学術水準の高さと、その裾野[すその]の広さを雄弁に物語っていると言えるのではないだろうか。


和算-といえば鶴亀[つるかめ]算のような幼稚なものを思い浮かべがちだが、江戸期、日本の数学は世界でもトップレベルであった。中期の数学者・関孝和は、多元高次方程式(ホーナーの解法)、行列式、ニュートンの近似解法、ベルヌーイ数の発見、バッボス=ギュルダンの方法といった高度な数学の体系を確立し、天文、暦学等の分野においても高い業績を残している。


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●算額。加賀には多く残っている。

当時の数学者は著書で様々な難問を出題し、その難問の解法は庶民の娯楽でもあった。今も多くの算額[さんがく](写真参照)が加賀に残っている。

この地の和算は二つの流派があり、とりわけ石黒信由[いしぐろのぶよし]が名高い。彼はまた伊能忠敬[いのうただたか]に劣らぬ測量技術者でもあった。

測量といえば、ほぼ同時代に『加越能三州地図』の遠藤高のり(王へんに景)や、共に地球の半径測定に挑んだ三角風蔵[みすみふうぞう]らもいる。他に、学者、工学者の名を上げればキリがない。

加賀の数学・理工学の系譜は、大河のごとく近代にまで連綿[れんめん]と続いている。日本で初めて西洋数学を著した関口開[ひらく]。明治六年の『新撰数学』は二十二万部という大ベストセラーを記録し、近代数学の曙[あけぼの]となった。

また、世界的発明となった井口在屋[いのくちありや]の渦巻ポンプ(明治十五年)。教え子の畠山一清[はたけやまいっせい](能登七尾城主の子孫)は、ポンプで有名な荏原[えばら]製作所の創業者である。


学問や工学の体系は、一人二人の傑物が独自になし得るものではない。彼等が育つ地域の風土、社会的気質、学問的土壌、さらに、幾代にわたって受け継がれてきたその他の先人の業績。

加賀のそれは、「百姓の持ちたる国」といわれた中世期にその萌芽[ほうが]を持ったとは言えまいか。

あるいは、和算を得意とし「そろばん大名」と異名をとった加賀藩の祖・前田利家。爾来[じらい]、藩主は代々、学問に力を入れ、多くの学者が仕えている。蔵書も膨大であった。「加賀は天下の書府なり」とは、江戸中期を代表する学者・新井白石の言葉である。


天才的技術者・兵四郎も、加賀のこうした気風が生んだとも言えなくもない。積年の偉業・七ヶ用水も庄与門の気骨も。

農業とは、自然と大地との弛[たゆ]まざる闘いである。そして、そうした闘いは、闘うに足る人間を生む。知恵を生む。その集積が学問をも生む。その学問が、また人を育て国を育てる。


加賀という国は、そうやって“創造[たがや]”されたのではないだろうか。


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