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昭和34年9月、全国の死者・行方不明者5,041人という未曾有[みぞう]の災害をもたらした台風である。浸水は木曽川下流沿岸と名古屋市の南部ほぼ全域に広がり、ひどいところでは深さ6m、浸水期間は最長60日におよんだ。

被害状況がほぼ明らかになってきた頃、ある大学教授の一文が新聞に掲載された。タイトルは「三百年の努力むなし」*1。この台風による浸水区域が、実に、鎌倉時代の絵図に描かれた海岸線と一致した、というのである。

“三百年の努力”とは、17世紀(江戸時代初期)以降営々とこの地域に繰り広げられてきた治水、利水、干拓や地盤沈下対策等々をめぐる人と水との壮絶な闘いを意味している(したがって、正確には鎌倉、室町、安土桃山時代の海岸線ということになる)。

いずれにせよ、その3世紀におよぶ先人の苦闘の歴史が、いかに強暴な台風だったとはいえ一夜にして水没してしまい、何も手を加えていなかった頃、つまり江戸時代以前の国土、地形に戻ってしまったということである。“努力むなし”という表現が適切かどうかはさておき(事実わずか60日で、海岸線は鎌倉から昭和のそれに戻された)、私たちは確かにこの事態に関して、驚きとも気落ちとも判別のつかぬ、居心地の良くない感慨を覚える。

それは、自然への脅威、あるいは、人間の営みのひ弱さを思ってであろうか。おそらくは、いくら文明が進歩しても「大地の形状は昔と少しも変わってはいないのだ」ということを災害の凄まじさとともに思い知らされたゆえであろう。

しかし、事実はもう少し奥が深い。そして、少なからず複雑でもある。というのも、自然と人間の営みの間に、“土木”という<動かざるための技術>が介在するためである。


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通常の機械、車やコンピュータなどは動くことによって初めてその機能を発揮する。しかし、水路や道路、橋、ダム、堤防、建造物などは、動かないことで初めてその機能が発揮される。ピラミッド、ローマの水道橋、万里の長城・・・、古代遺跡の多くは土木、つまり<動かざるための技術>の長い歴史とその偉大さを物語っている。

そして、それは“動かざる”が故に、その地の生活や風土、文化や産業にまで、ほとんど決定的といっていいほどの影響を長期間にわたって及ぼし続ける。

とりわけ、水と大地をめぐる<動かざるための技術>。人間の生存にとって不可欠な要素だけに、これほど社会の形成に大きく投影される分野も少ないのではなかろうか。

その際だった例を、私たちは愛知という地域の形成に見ることができる。鎌倉時代の海岸線を念頭におきながら、愛知の水と大地を振り返ってみよう。

近世、この地の歴史は、御囲堤[おかこいづつみ]という<動かざるための技術>から始まるのである。



*1 中村英孝名古屋大学文学部教授「300年の努力むなし-伊勢湾台風の惨禍」

  中日新聞(昭和34年10月4日)


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