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水-それは雨となり、雪となり、霜となり、氷となり、蒸気となり、雲にもなる。人はこれを飲み、煮炊きし、物を洗い、風呂に使う。火事を消し、暑気を払う。かぶって身を清めたり、祭壇にも捧げられる。農業や漁業、水運、発電、工業・・・。また、とりわけ地下水は大地そのものでもあることを、私たちは濃尾平野の地盤沈下を通して学んだ。

私たちのあらゆる生活は、水なしでは成り立たない。実に、文明とは水の利用に尽きるともいえよう。


地上に生きる人間にとって水の利用とは川の利用でもあった。チグリス、ユーフラテス、黄河、ナイル・・・。古代文明はいずれも大河のほとりに生まれている。東西を問わず現代の大都市もまた、大きな川を中心に発展してきた。川や地形に応じて、その地の発展が規定されてきたのである。

しかし、川は生き物である。生き物であるから容赦なく動く。水量も刻々と変わる。大きな恵みをもたらすかと思えば、時に大災害をもたらす。まさに人は、川との闘い、治水、利水という<動かざるための技術>を通して社会というものを築き上げてきたのである。


しかし、その技術は“動かざる”故に、影響は広範囲、かつ長期間におよぶ。そして、<動かざるための技術>そのものが、土地利用や社会の仕組み、産業の構造まで変えてしまう。

水の流れが、歴史の流れをも変えてしまうといっても過言ではなかろう。


とりわけ近年、私たちの文明社会の新しいアジェンダ(課題)は重い。持続可能な発展、都市と農村の共存、そして、自然と人間社会との共生・・・。しかし、真の近代的文明社会を築くには、真の近代的水利システムを築かなければならない。


御囲堤の築造から約400年。

近代的水利システムを求め、積もりに積もった水秩序の重い歴史を根底から築き直す愛知の先駆的な挑戦が、ここから再び始まるのである。


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