title

ここで、江戸末期までの岡山平野の主な干拓を図と表にまとめてみる。

備前・備中の国境は、ほぼ今の岡山市域であるが、備前が池田家1藩の領地であるのに対して、備中は天領や松山、足守、池田支藩など小大名による分割統治であり、干拓の規模はいずれも小さい。

しかし、永忠の死後、岡山藩の干拓は、幕末の興除新田(1824年)まで約130年間も停滞している。

後述するが、備中との境界争いに加え、用水が足りなくなったせいであろう。




back-page next-page