アフガン難民の治療に従事してきた現役の医師が、白衣を脱いで用水路の建設に挑んだ記録である。英雄とは何かを伝えて余りある感動の書物と言えよう。
医師の名はドクター・サーブ(先生様の意)こと中村哲*1、61歳。
斜め堰、柳枝工、蛇籠、鼻ぐり井出*2……、奇しくも一人の医師の手によって我が国伝統の農業土木技術がはるか海を越え、21世紀に中近東の山中でよみがえることになる*3。
2007年4月。ついに川の水はこの水路をつたって、怒涛の飛沫を上げながら砂漠に流れ込む。アフガンの農民は狂喜乱舞。この日ばかりは爆撃音ではなく、感涙にむせびながら叫ぶ声が山河にこだました。「ゼンダバード!ゼンダバード! (万歳)」。
ドクター・サーブはこの水路一本で何万人もの命を救うことになった。神に代わって起こした奇跡と言っても過言ではあるまい。
百の診療所より一本の用水路を ――これが彼らの合言葉であった。中村医師の20余年に及ぶ現地医療の経験から得た究極の哲理であったに相違ない。
それにしても、これほど見事に用水の本質を言い当てた言葉が他にあるだろうか。
*1
1946年福岡市生。九州大学医学部卒業。国内の病院勤務を経て1984年パキスタンに赴任し、アフガン難民のため診療所、後に基地病院も設立。2000年以降、大干ばつのため井戸掘りを開始、2003年から灌漑水利計画に着手。年間診療数約8万人。『医者井戸を掘る』(石風社2001年)など著書多数。
*2
「鼻ぐり井出」とは加藤清正の考案とされる水路。用水路を仕切った壁の底部に穴を開けて流速を高め、阿蘇特有の火山灰土が底に溜まるのを防いでいる。中村医師も水路に大量の砂が入るのに悩んで加藤清正式の沈砂池を造った。
*3
中村医師は、この書の「あとがき」を次の言葉で結んでいる。「用水路建設にあたっては、環境問題、河川を考える専門家の方々はもちろん、かつて日本の農業土木を支えて今に伝える数百年前の先人たちにも、敬意と感謝を捧げたいと思います」。