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現在の大江川(一宮市桜付近)。パイプラインとして地中化された用水路の上は、緑道公園として市民に憩いの場所を提供している。
西暦2008年 ―― 宮田用水は齢400を数える。大江用水から指折れば1000余年。

世の中のほとんどが変わり果てた。貴族や武士もいなくなり、衣服も生活様式も変化した。昔、馬が通った道にはビルが建ち並び、無数の車が走っている。飛行機、新幹線、コンピューター……。

しかし、天平の昔からほとんどその姿を変えずにきたものもある。神社とお寺、黄金色の稲穂、のどかな田畑の風景。 そしてまた、用水路も近代化されたとはいえ、その流れを変えていない。大江用水は1000年も同じ場所を流れ続けている。


このことは、私たちが築き上げてきた社会の本質と深くかかわっているのであろう。人は生きるために食べ、食べられるよう神仏に祈りを捧げてきた。豊かになった今も、その構造は変わらない。食と祈りの間にある事象が増え、より複雑・高度化しただけである。

社会にとって真の資産とは何であろうか?

世界に遺産と言われるものは多くある。ピラミッド、万里の長城、法隆寺……。確かにこれらは人類の偉大なる創造的遺産、あるいは文明や自然が生んだ貴重な財産である。しかし、その文化遺産の多くは王朝、または宗教的権威を示すためのものであり、真に民衆の資産であったものは数少ない。

宮田用水は、400年、あるいは1000年もの長きにわたって民衆のための資産であり続けてきた。この水路を流れる水は1年たりと途絶えることなく何百万人という人の命を育み続けてきたのである。


歴史もまた、権力者の栄枯盛衰に記述の多くが割かれて、九分の比率を占める民衆の記録は少ない。

あるいはまた、大江匡衡、伊奈忠次の名を知る人が何人いよう。桶狭間や安土城は史跡となっても、信長が安堵して現在も現役である下之郷立切(堰)には碑すら建っていない。


巨木を組み、岩を運び、時に荒れ狂う濁流の中で土嚢を積み上げ、命を賭して農を築き上げてきた我らが名もなき先人たち。それらは、あまたの合戦や城の攻防にもいささかも劣らぬ壮絶な自然との闘いであった。

400年、あるいは1000年もの長い風雪から水路を守り抜いてきた我らが先人の闘い。そして、用水路の総延長329km(35路線)、排水路の総延長170km(28路線)、合せて実に約500kmという全国屈指の大水路網。

何百年と人の命を育んできた宮田用水こそ、真に民衆の遺産と呼べるものであり、この平野最大の資産であると言っても過言ではなかろう。


石油の枯渇が危惧されている。この限りある化石資源がなくなれば、世界経済は未曾有の混乱に陥るであろう。日本の農地は人口の半分を養う力もない。おそらく、そのときに次世代の社会は気づくに違いない。

「百の診療所より一本の用水路を。」

宮田用水の通水400年を記念して、以上のようなことを当改良区組合員全員に、そして、尾張平野に生きるすべての人々に捧げたいと願う。

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