工業化は、当然のことながら電力開発をともなう。木曽川の豊富な水量を狙って発電ダムの建設ラッシュが始まったのである。
そのために木曽川の水位は、毎日40~50cmも変化し、農業用水の取水に甚だしい支障をきたした。加えて上流からの土砂の流出が止まり、河床低下が進行。各用水とも、取水口や導水路の修理に莫大な労力と出費を強要されることとなった。
農業と工業の川をめぐる深刻な対立は次第に激しくなり、今渡ダムの建設などその調整には数十年を費やしている。
もっと深刻なことが起こった。尾張の干拓地では、18,600haにおよぶ地域で1mもの地盤沈下が発生したのである。工業化の進展と都市化による過剰な地下水の汲み上げが原因であった(その地下水も尾張平野の広大な水田が涵養したもの)。
「破天荒の暴挙」とはいささか手厳しい物言いかもしれない。しかし、数百年にわたって営々と築き上げられてきた尾張平野の緻密な水秩序が、わずか数十年の工業化で根底から崩れてしまったのである。
これらの事態は、今渡ダムや犬山頭首工など水利の近代的再編で解決が図られ、馬飼頭首工の建設によって地下水の代替水源(工業・都市用水)が確保されて地盤沈下は沈静化。さらに、国営尾張西部農業水利事業(平成八年完了)や県営の地盤沈下対策事業などが行われている。
しかし、変わってしまったのは水秩序だけではなかった。いやむしろ、こちらの方が真に憂うべき事態なのかもしれない。
昭和初期までの水路の水は煮炊きにも使えるほどきれいであった。日本人は水を神様と崇め、洗い物の水すら水路に流さないようにしてきた。
しかし、工業の発展にともなう都市化とともに、水に対する思いも世の中から消え失せてしまったらしく、本来あるはずのない所業が日常の風景と化してしまった。
水路に投げ入れられた大量のゴミや周辺地域からの雑排水の流入である。