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この平野の農業の躍進ぶりを見てみたい。阿南市は、現在、米の収穫量が県内1位、四国96市町村の中でも3位、産出額でみれば堂々の四国第1位。小松島市も収穫量は県内4位、四国内でも16位と健闘。

躍進は米ばかりではない。徳島県は全国有数のにんじん産地だが、阿南市の収穫量は県内6位、全国の市町村の中でも第24位。きゅうりは阿南市が県内1位、小松島市が2位を占め、他にもトマトやみかんなどが両市ともトップレベルの収穫量である。こうした野菜や果物は、主に京阪神地区へと供給されており、那賀川平野は、今後も主要な生鮮食料供給基地として大きな期待を寄せられている。※文中のデータは、いずれも平成17年度時点 農林水産省データベースより。


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    (写真提供:徳島県立文書館)
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    (写真提供:徳島県立文書館)

 近世以降、米作地帯であったこの平野では、昭和初期まで牛馬が農耕の主役であった。明治前期までは馬の飼育が多く、荷馬車としても重宝されている。その後、馬と入れ替わるように牛が増えていったが、これも戦後には機械化農業が進み衰退。牛は肉牛としての飼育が主になってゆく。このほか畜産では、戦時下の軍用うさぎなどもあった。

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写真提供:徳島県立農林水産総合技術支援センター農業研究所
 この平野では地形的に灌漑が難しく、水車による揚水を行っていた地域も少なくないが、戦後、ポンプ揚水などによって徐々に姿を消していった。

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写真提供:徳島県立文書館
 昭和27年(1952)の長生町。それまで牛馬に頼っていた農耕は、戦後、急速に動力付きの耕耘機へと変わっていく。効率は飛躍的に上がった。


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 この地の米作には古くから台風、病害虫の被害が絶えず、これを避けるための早期水稲が熱心に研究されてきた。古くは那賀郡の篤農家、中西小十郎が生み出した「権八米」。10月上旬に収穫されるこの早生種は明治期を通して県の主要品種であった。昭和38年には、見能林町の柏木清が「藤阪五号」で県下一の反収をあげる。8~9月に収穫されるこの米は、大阪市場では特別の高値で取引されたという。現在もコシヒカリをはじめとする早期水稲が中心。「阿波美人」は県を代表する銘柄米である。

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 野菜などのハウス栽培は、麦(米の裏作)が減少し始めた昭和30年代から盛んになった。きゅうりは、阿南市、小松島市ともに盛んで、京阪神地区の市場に新鮮な状態で届けられている。にんじんは、県の産地指定を受けている旧阿南市域のトンネル栽培が中心。県産の「春夏にんじん」は全国でも圧倒的なシェアを誇る。このほか、ハウスみかんも盛んであり、みかんとにんじんは徳島ブランドにも指定されている。

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