佐賀県:筑後川水系・城原川

佐賀平野の農業用水

 かつて、佐賀平野における農業用水は城原川のような中小河川からの取水と、満潮時のアオ取水によって賄われていた。
  アオ取水といっても最近は忘れられてしまった感がある。満潮時に有明海から遡ってくる潮が巧まずして川の水位を堰き上げ、一度海へ下ったはずの淡水を潮に乗せて運んでくる。この淡水がアオといわれる。海水と淡水の比重の違いが生み出した自然の恩恵のひとつである。筑後川の河口域では、このアオを取水して飲料水に使ったり、醸造の水などにも使った。特に、「お茶好きの人は水の吟味がやかましく、同じアオでも若津(大川市)の旧渡船場から馬之丞までのアオが一番よか」と云われたり、「特に寒中のアオは夏まで保存しても腐らない。それで薬をのむ時は、このアオでのむと薬が良く効いた」などと云って、アオクミ(汲み)して土間の瓶に保存していたものだという。

 農業用水に使うアオは、満潮時に堰きあげられたアオを、井樋を開いてクリークに引き入れ、干潮時に閉めてクリークに貯水し利用する。井樋のかわりにポンプが使われることもあるが、いずれにしろアオ取水はアオと潮を厳密に区別して取水しなければならず、水の色、流れの音、そして水の味を見極める経験と勘が要求された。
  まかり間違って潮が混入すれば稲への害は必至で、特に雨が少ない年にはぎりぎりまで取水するために、しばしば塩害を招いた。


田手川の枝川の一つ、字入江のアオ取水施設のひとつ。現在はその役目を終えてしまったけれど、満潮時に押し上げられた淡水をポンプで隣接のクリークへ送水していた施設の名残である。



 しかし、背振山地は山が浅く保水力に乏しい。山中において十分な集水面積を持たない川は、農業用水の慢性的な供給不足となり、農業用水を確保するためには、川からの取水と満潮時のアオ取水と、両方を利用しなければならず、水貧乏から生まれた知恵と技術のひとつが、河川水とアオを有機的に結びつけて利用できるクリークだった。

 米倉二郎著による『筑後川下流平野の開発』は、これらの事情を次のように記している。

 「山麓より平野の5m等高線付近までは主として自然灌漑可能にして、クリークはただ導水路の意義を有するに過ぎないが、南下するに従い、クリークは貯水的意義を増大して、その規模も大となり幅員10m、深度5m以上に及ぶものが少なくない。この点、本州の大和、河内平野の溜池に匹敵するものであるが、溜池とならずしてクリークの形態をとるいわれは、この平野が極めて低湿であるために、排水の必要が大にしてクリークは排水路を兼ねることと、干潟時代の澪に基づく自然発生部を基礎として、発達した事にあると思われる。」