佐賀県:筑後川水系・城原川

三千石堰と横落水路

 慢性的な水不足地帯へ城原川から水を送るために設けられた堰を三千石堰という。この堰の築造にあたって、次のことが考えられた。
(1)三千石堰より下流の取水を妨げない事
(2)三千石堰のすぐ上流に打ち出している井手溝が堰のバックの影響を受けない事
(3)西へ水を送る横落水路に巧く水を乗せる事 (4)三千石堰と横落水路が洪水の被害を受けないようにする事

 これらの要件を満たすことが三千石堰築造と横落水路掘削の成功へのポイントであった。

 下流部の取水を妨げないようにするために、洗堰にして3ヶ所に水のがしを設け、灌漑期は水のがしに石を詰め込み、そこから漏水させて下流へ流し、非灌漑期には石を引き揚げる。下流と横落水路への流量は詰め込んだ石の数によってその比率を決めることができるようにした。さらに、上流の井手溝打ち出し口への影響と横落水路への導水を巧く行うために、堰の高さ、長さ、幅が決められた。
 最後に残るのが洪水時の心配である。平野の北部を東西に走る横落水路が氾濫すると、南に位置する佐賀城下が冠水してしまう怖れが充分にあった。


江戸時代に成富兵庫によって
考案された三千石堰


 そこで先ず堰を洪水から守るために、300m上流部に野越の仕掛けを持った二重堤防を築き、洪水を野越からある程度オーバーフローさせて堰にかかる水勢を弱める。横落水路へかかる水勢は水路の井樋を閉ざし、堤防と堤塘で遮る。さらに象の鼻は野越となるように緩やかな傾斜をつけて派口へ落ち込ませ、洪水の流下が緩和されるようにして城原川へ溢れ出させ、下流の堰へも水が流れるようにしながら、なおかつ下流の堰を洪水の被害から守るために、三千石堰の下流部にも野越を設けて、城原川から水をのがす仕組みを造りあげた。そうすることで三千石堰のバックに打ち出す井出をも守れるように考えられたのである。


三千石堰見取り図