安曇野水土記
安曇野の遺産 変貌する安曇野 1000年の宿命と水土の変遷 拾ヶ堰の偉業 縦堰と横堰 集落の成立 消える川 海人・安曇族の里 安曇野の春
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*1
推積した礫に黒色のものが多いことから烏[からす]川と呼ばれるが、烏川は、すなわち空洲[からす]川。現在は、わずかながら水が流れている。

*2
ただし、現在は梓川上流にダムが建設されているため様相は異なる。

*3
扇状地の末端で、涌き水が出る泉のことを地元では花見(けみ)と呼んでいる。



*4
河川の堆積作用によって形成された土の層。
消える川
北アルプスの秀峰・常念岳[じょうねんだけ]にその源を発する烏[からす]川は、深い谷間の水を幾筋か集めて安曇野に流れ出るが、平野部に出たとたん、その流れは忽然と姿を消す*1

また、その南、黒沢山から流れ出る黒沢川も、途中、落差30メートルの滝で水飛沫をあげながら、平野にたどり着くや川はやせ細り、田畑の真ん中でついに姿を消してしまう(上記写真参照)。

扇状地でたまに見られる、いわゆる尻無川[しりなしがわ]である。
上流ではあれほど水量豊かな梓川も、安曇野へ出るとともに流れはまばらになり、小石だらけの広い川原を水が流れるのは大雨の後くらいだったという*2

そして、奇妙にも、地元では “花見[けみ]*3”と呼ばれるあちこちの緑陰[りょくいん]から清冽な湧水となって再び姿を現わし、穏やかな流れの野川を形成するのである。

万水[よろずい]川 ――― その名のとおり、わずか七・四キロメートルのこの短い川は平野部から突然姿を現わし、すり鉢状になっている安曇野の底に位置して、地中から地表から、北から南から、万[よろず]の水を集めて淘々と流れている。
まさに“千山万水[せんざんばんすい]”。

この奇怪な現象は、この盆地が礫質[れきしつ](小石)の多い沖積[ちゅうせき]層*4からできているせいである。
加えて、この地は、下図のように、鹿島川、高瀬川、乳川、芦間川、中房川、川窪沢川、烏川、黒沢川、梓川といった幾つもの川が形成した“大複合扇状地”となっている。

それぞれ深い渓流となって北アルプスの岩石や土砂を運んできた急流は、平地に出ると急にその流速を落とし、礫[れき]の多い土砂が扇状[おうぎじょう]に堆積する。

安曇野複合扇状地
 
水は地下を潜って不透水層を流れ、再び、扇状地の終わる先端部で姿を見せることになる(その複数の扇形の先端部が重なり合ったところに万水川が位置するわけである)。

それぞれの川の上流部(扇状地の要)と、それらの川が一ヵ所に集結する下流部(すり鉢の底)の沼地は水が豊富であったが、広大な面積を占める扇状地の中腹には水がなかったのである。

縄文時代の遺跡は50ほど散在(上流部に集中)するが、弥生のそれは半減する。また、大きな古墳も造られていない。
理由は明らかであろう。北アルプスという巨大な水の宝庫を持ちながら、水田を造ろうにも地表に水がない。
おまけに、北アルプスの水は稲が育つには、やや冷たすぎた(水温11度前後)。
畑作も、地下水位が低く(20メートル以上)、天水に頼るしかない。しかも、この盆地は年間雨量1050ミリ前後(日本の平均雨量は約1800ミリ)。夏の雨量は極端に少ない。
松本平、伊那[いな]平、佐久[さく]平、善光寺平。海を持たぬこの山国のわずかな平地は、俗に信州四平と呼ばれている。
安曇野は、その松本平の大半を占めるなだらかな地形でありながら、水のなさゆえに、過去長い間、不毛の大地だったのである。

 
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