福岡県:矢部川水系

矢部川源流域(福岡県八女郡矢部村)

 矢部川の源流域、八女郡矢部村。
 矢部の地名の由来を『日本書紀 巻第七』の景行天皇九州巡幸の記事に見出す説がある。八女地方に巡幸してきた景行天皇が、「其の山の峰岫重畳(ミネクキカサナ)り、且美麗(マタウルハ)しきこと甚(ニへサ)なり。若(ケダ)し神其の山に有(マ)しますか」と尋ねる。水沼県主(ミヌマノアガタヌシ)猿大海(サルノオオアマ)が、「女神(ヒメカミ)有(マ)します。名(ミナ)を八女津媛(ヤメツヒメ)と日(マヲ)す。常に山中(ヤマノナカ)に居(マ)します」と答え、八女の地名は八女津媛の「八女」によって生まれたと記されている。そこで八女津媛神社が矢部村に鎮座しているところから、八女津媛の八女が矢部になったのだという。  さらなる一説は、ヤは山の意、ベは辺の意で、湿地に沿った地であるところから生まれた地名ではないかともいわれている。

 「肥後筑後豊後三ケ国之堺、九州無双之要害」(五条文書)の地と中世の文書に記されるように、矢部村は東に御前岳1,209m・釈迦ケ岳1,230m・猿駆山968mの峰々を連ね、南は三国山994m・国見山1,018m・休鹿山866m・文字岳807.3mなどの山並みをもち、西には星原山793m・高取山720.6m、北には無名峰ながら800m級の山々が連なっており、起伏の激しい急峻な地勢を呈している。矢部村の総面積81.74k㎡のうち、杉の山林が85.2%を占め、耕地はわずかに4.9%。降雨量は年間2,600mm、福岡県下で最も雨の多い谷間の村である。

 集落は、山間を縫う矢部川本流と、その5本の支流に沿って散在しており、高齢化、過疎化が急激に進行し、廃屋が多く目立っている。樅鶴川に沿った道端で、廃屋の壁に張られた古い求人の看板が、もはや誰もいなくなった風景のなかに虚しく人を求め続けていた。


樅鶴川沿いの廃屋の壁の求人申込書の看板


矢部川の支流、樅鶴川沿いの段丘に拓けた棚田