二つの植生と文化

 わが国の植生は、基本的に大きく二つに区分できる。一つはカシ・シイ・クスなどの常緑広葉樹林(照葉樹林帯)で、西日本をおおう。もう一つはブナ・ナラ・クリ・クルミなどを主とした落葉広葉樹林帯(ナラ林帯)で、東日本に分布している。この大きな区分は、縄文前期ごろ(約6,000年前)から、現在まで変わっていない。
 照葉樹林帯は、海を越えて中国大陸の長江流域から雲南を経てヒマラヤ中腹へと連らなる。ナラ林帯は、朝鮮半島中・北部から中国東北部・沿海州・アムール川流域および黄河流域へと連らなっている。それぞれの系譜に連らなる特色をもった二つの文化が交わったところ、それが日本列島である。

二つの植生ーナラ林文化圏と照葉樹林文化圏


 縄文文化は、この二つの文化の特色を兼ね備えているが、東と西ではやや色彩が異なる。典型的な縄文文化は、東日本のナラ林帯の自然の中に成立した。そこでは、東北アジアのナラ林帯と同様、狩猟と魚撈に加えて西日本=照葉樹林帯よりはるかに豊かな堅果類の恵みを享受した採集経済が安定して営まれた。中期から後期にかけては、高い人口支持力をもち、ユニークで華麗な土器を伴なう文化の発達がみられた。北方系の麦・ソバの作物群、イノシシの飼育、弓矢や犬などに、大陸ナラ林文化との共通点がうかがえる。
 一方、西日本では、縄文文化の核心をなしていた東日本と比べるとやや異なる特色が現れた。自然の恵みがナラ林帯ほどではないため、雑穀を主とした焼畑農耕文化が、採集・狩猟・魚撈に補われながら発達したのである。ここでは、稲・アワの雑穀類、サトイモなどのイモ類など作物群だけでなく、モチを儀礼食とする慣行、ウルシ・絹・茶・ミソ・納豆・麹酒など、東南アジアとの共通の要素をもった照葉樹林文化が広がっていた。
 日本文化は、弥生時代以降、水田稲作に基礎を置く文化を中心に再編成されていくが、その基層にナラ林文化と照葉樹林文化に由来するさまざまの要素を抱え込んできたらしいことが、最近とみに注目されてきている。二つの文化のルーッは、縄文時代にさかのぼるのである。


照葉樹林帯


ナラ林帯


■原始農耕の発達


アワ


焼畑

■豊富な堅果類と動物


クルミ


イノシシの土偶
(弘前市土腰内遺跡出土:弘前市立博物館)