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高瀬地区の場合、ボーリング孔やGPS観測による調査では、平成12年からの5年間で約20cm、年間最大8cmの継続的な地すべり移動量が確認された。最大ブロックの地すべり規模は、長さ870m、幅450m、深度80mと想定され、その地すべり土塊量は2,200万m³(東京ドームの18杯分)という膨大な量となる(図1)。

その土塊は、崩れたら大渡ダム湖に流入する。同ダムは下流域数千haの農業用水や水道用水として利用されており、その影響は甚大である。そのため、地すべりの規模が大きいことや技術的な難易度が高い等の理由から、農林水産省による国直轄の地すべり防止対策として「高瀬農地保全事業」が実施されることとなった。


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【図1】 高瀬地区全景

高瀬地区の地すべりは、豪雨などによる地下水位上昇に起因していると考えられるため、地下水を排除して地すべりを抑制するとともに、今後杭やアンカー等で地すべりの移動を抑える工事も計画されている。(図2参照 詳しくは、中国四国農政局「国営高瀬農地保全事業」のWebサイトをご覧いただきたい)。

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【図2】 高瀬地区地区の地すべり防止対策

地すべりは、天恵と厄災が隣り合わせである。集落や農地を造るには適地であったが、地すべりは何度でも繰り返す。 地すべりそのものは動きが緩慢であり、当初それほどの危険はないものの、すべりを起こす層は10~100mと深いので、いったん崩れるとその崩壊土砂は膨大な量となる。

長者地区(仁淀川町)の地すべりは、専門家で知らぬものはいない。古代から大規模な山の崩壊や地すべりが発生し、近代では明治19年・23年に甚大な被害を記録している。いずれも台風による大雨が引き金となり、激しい地響きとともに山が崩れ多くの家屋や農地が流出、この地すべりによって、旧寺野、古生寺といった当時の集落では、集落ごと移転している。この地区の地すべりは緩慢ながら現在も続いている。

四国には地すべりが多い。これは地質条件によるものであり、未来永劫避けようのない宿命のようなものである。

ここで一般論として、地すべりの要因を簡単に整理しておきたい。

四国の地すべりはほとんど中央構造線と仏像構造線の間、すなわち三波川帯~秩父帯で起こっている。その要因については完全には解明されていないが、学術的には、次のように整理されている。


素因(内的要因)……地形や地質、岩石の集合状態や配列、化学組成、固結度など

誘因(外的条件)……地震、豪雨、地下水位、雪解け、温度など


これらの要因が複雑に関係しながら地すべりが発生する。高知県では大豊町でも、農林水産省による直轄地すべり防止対策として「高知三波川帯農地保全事業」が行われている。大豊町も昭和30年に約2万人であった人口は、現在5,400人にまで減少、高齢化率も50%を超えている。

「これを語りて平地人を戦慄せしめよ」と、柳田は山の民の実在を謳ったが、今は山の民の不在こそが「平地人を戦慄」させる状況を招いていることになる。

山地の地すべりは天災には違いない。しかし、はたして、平野に生きる人々の経済や社会的価値観などと無関係であると言えるであろうか。


地すべりという物理的崩壊はこうした対策工事でとりあえず防ぐことはできる。しかし、これはあくまでも局所的なものに過ぎない。最も恐れるべきことは、山村で山を守ってきた集落の社会的崩壊である。

こうした山村集落の社会的崩壊を阻止することが、遠回りのようでありながら、真の防災につながる。この冊子を発行した意図は、当初、このことを訴えるためであった。

しかし、地元の歴史や文化を調べ、人々の暮らしを知るに及んで、こうした山村の衰弱が、地すべりの誘因を増加させるにとどまらないことを認識するに到った。

何かしら、とてつもなく大きなものを、私たちの社会は失おうとしているのではなかろうか。


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長者の地すべり(仁淀川町)



※ページ上部イメージ写真 : 長者の棚田(仁淀川町)
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