龍神に祈れば雨が降るのか、などとは問うまい。人は欲望や哀しみなしでは生きられず、祈りとは欲望や哀しみが昇華したもの。人の手ではどうにもならぬ事態に陥れば、ご利益にかかわらず祈るほかない。
そのどうにもならない領域の一丁目一番地に位置するのが気象であろう。
水田には雨が欠かせない。また、川が溢れるほど降っても困る。暑すぎても稲は病み、寒ければ穂をつけぬ。農人の祈りのすべては作柄であり、作柄のために良き天候を願った。
水田の米を国の基礎財政としてきた古来の日本は、気象という最も当てにならないものの上に社会の礎を築いてきたことになる。言うまでもなく祈りは最後の手段であった。先人は、いかなる天候にも対処できるよう農地を改良してきた。川を堰き止め、野や岩を掘りぬいて水路を通し、また、ため池を築いて水を溜めた。あるいは洪水を制する様々な工夫を凝らし、堤を築いて村を護ってきた。農とは作物を育てる生業であるが、同時にそれは気象や地形との闘いでもあった。
それでも日照りが続けば、太鼓を打ち鳴らし、火柱を立て、天に祈りを捧げた。空に舞いのぼる黒煙を龍になぞらえ、雨雲を呼ぶ龍神の光臨をひたすら待つしかなかった。
龍を祀る雨乞いの儀式は、今も全国各地で行われている。
さて、本題に入ろう。ここでとりあげるのは、伝説や架空の存在ではなく、本物の龍のことである。
両総用水 ―― 上総、下総の野山に横たわる80kmの幹線水路。満々たる利根川の水を吸い上げた巨大な鉄管は、龍の背のごとく銀の光に輝きながら、山を登り、谷を渡り、丘をくぐり、野を下って、その水を遠く九十九里平野へと運ぶ。そして、およそ2万haの農地を隅々まで潤すのである。これがこの世の龍でなくして、何であろう。
九十九里平野。虹のように美しい弧を描くこの海岸平野は、黒潮が押し寄せて冬でも霜が降りず、どこまでも平坦で海あかりに映える広びやかな農村地帯である。
しかし、この平野ほど龍神を欲した地はなかったと言ってもいい。信じがたいことに、この両総用水ができる昭和中期まで、実に7割以上が天水田であったという。
この平野には気象に加えて、もうひとつ、人の手ではどうにもならぬ事象があった。およそ六千年前の地球の営みによって形成されたと言われる地形的宿命。
両総用水を造った男たちは、その六千年に及ぶ地形的矛盾を解決するという日本の農業土木史上、燦然と輝く業績を成し遂げた。
いささか時代がかった比喩が許されるなら、彼らは天空を駆ける龍を地上に降臨させてしまったことになる。