広大な平野に波打つ黄金色の稲穂。
新潟は、米の質、量とも全国一の座に君臨して久しい。
あらゆる農民が夢見た美田とは、新潟の水田のことであると断言しても差支えあるまい。
しかし、有史以来、つい近年にいたるまで、上の写真のような光景こそ、まごうことなき新潟農業の現実であった。
雪解け水に肩までつかる田植え作業。
いったいこれが農業と呼べるものなのであろうか。
作家ならずとも、私たちはその姿に言葉にならぬ激しい感慨を覚える。
昔の話ではないか。
人はそれを笑い、または忌まわしい過去として目をそらすかも知れない。
あるいは、その泥の海のような田を日本一の水田にした幾多の農民の辛苦、または、戦後の農業土木 の輝かしい成果として喧伝することも可能であろう。
が、しかし、ことはそれほど単純でもない。
また、何より、農業だけの問題ではない。
新潟平野に暮らす人すべて、いや、近代文明を謳歌している私たちすべて、そして、次の時代を担う 人すべてに関わる深刻な課題が、21世紀を目の前に、差し迫っているのである